*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 10-13 章」


『楽しみは ママの手作り 受けるとき』


 ■はじめに

 幼い子どもの夢,無邪気でいいですね。お菓子屋さん,大工さんなどの手に職を持った人になる,そんな夢は少なくなっていることでしょう。子どもの目に触れる近くで,すごいなと思わせる働く姿がありません。乗り物の運転手さんやお店やさんのような,いろんなものを使う仕事をする人が見えます。そのほかに,テレビ画面に登場する人やヒーローがいます。

 作る人の目立たない姿が敬遠されているような感があります。ダサイということでしょうか。情報化が進んでいますが,情報は食べられませんし,ものを動かしてもくれません。手を汚すことのない情報世界は仮想世界でしかありません。人が生きるのに不可欠なモノ,それを作り出すことを疎かにしてはいけないでしょう。弁当を作る人がいなければ,一日も生きられません。

 物作りの世界がしっかりしていない社会は,健全ではありません。子どもたちがお金さえあれば生きていけると思っているとしたら,生きる力は程遠いでしょう。確かに,お金によって生きることができる社会です。しかしながら,それは一つの側面に過ぎません。もちろん,お金はどうしたら手に入るかということをきちんと弁えることが必要ですが,その前にお金で買えるモノが提供されていなければなりません。

 お金があっても,モノがなければどうしようもありません。モノを作ることがもう一つの社会の側面です。買う力が生きる力ではなくて,作る力が生きる力であることを,子どもたちに教えておかなければなりません。買う力だけを育てているから,金をふんだくって生きようとする子どもたちが現れてきています。

 作る力を育てていないから,身を売っても平気な子どもが育っていきます。自分自身をモノ扱いにするしかないからです。自分を大切にするということは作る力を備えることです。象徴的にモノを作ると言ってきましたが,抽象的な価値まで含めて考えることができます。生み出す力,何事かをなせる力,創造力などは全て作る力です。

 家の中を見回してみると,ほぼ全てが作られたモノです。その中に,自分の作ったモノが一つもないというのでは,生きているとは言えません。多少でも自分の手の入ったモノがあれば,自分の暮らしがそこにあります。子どもがママの手作りに心和むのは,そこにママの生きる力を感じるからです。



【質問10-13:お子さんと一緒に作ってみませんか?】

 《「一緒に作る」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇竹串を削る?

 家庭二日制の対応として,地域の公民館などで子どもたちを対象としたイベントが催されています。全国的にどこでも実施されているのが,お年寄りとの触れ合い企画です。竹細工を教えてもらうという伝承活動などはお手軽に実行されています。

 ある会場で見かけたのは,七夕企画でバーベキューをするために,男子児童に竹串を削らせるというものでした。お年寄りが削って見せて,マネをさせていました。ナイフになれない子どもたちは,苦戦していました。

 ナイフといえば,身を守る道具,人を傷つける凶器というイメージしか思い描けなくなって,子ども世界から抹殺されています。父親が暮らしの中で有効に使って見せてくれた時代ではなくなっています。ナイフの使い方,力のいれ具合,刃の立て方など,子どもたちにははじめての経験のようでした。

 刃先を外に向けるように削る,人のいない方を向いて作業するなど,いくつかの注意をすれば,子どもは分かります。でも,竹串を削るのは簡単ではありません。竹串そのものを知っていても,割り箸状に裂いた竹の棒の中に,竹串をイメージして削り出さなければなりません。そんなことは簡単ではないかと思われますか?

 むくの材木の中に人の像をイメージしてノミを振るう彫刻家と同じ作業をしなければなりません。材木を見ただけで,そこに人の形を思い描くことができますか? 削った後の像を見るのは簡単ですが,削る前にそれが見えなければ,削れませんよね。たかが竹串ですが,それが見えなければ,ナイフで削る量が分かりません。

 そこで手本が必要になります。お年寄りが作ってくれた竹串を,材料である竹の棒に当ててみて,どれほど大きめになっているか,どれほど削ればいいのか,見極めて削ります。それも用心して少な目に削っていきます。まだ太い,また削る,もうちょっと,少し削ってみる,これくらいかな。さらに,先を尖らせる部分を別途少しずつ削っていきます。竹串一本,作るためにはいろんな要素が関わっているのです。

・・・見えない形を削り出すには,豊かな想像力が必要になります。・・・


 〇隠し味?

 味噌汁を作るといえば,水に具を入れて味噌を溶かして炊けばいい。作ったことのない人は,できあがりの形から,そんな風に想像するかもしれません。その通りに作った味噌汁はおそらく飲めたものではないでしょう。因みに,おみおつけは食べるもの,味噌汁は飲むものです。ご存じでしたか?

 できあがりの形を再現しても,本物にはなりません。見えないもの,味噌汁では味の再現をしなければなりません。ダシが入っているかどうかが決め手です。イリコのダシは水から,削り節のダシはお湯にといったタイミングもあります。味噌を溶かし込むのは,できあがり前になります。作るには手続きがあり,もちろん,その手順一つ一つにはそれなりの理由があります。

 砂糖や塩,お酢やお酒など,水溶性の調味料も見えない材料です。できあがり前に,小皿にとって味見をして確かめます。ことさら凝る必要もありませんが,それなりの味が求められます。お袋の味を作ってみせると,ママの作ったモノが一番美味しいことになります。

 ところで,店屋物が続くと飽きるのは,誰しも経験なさるでしょう。商品としてきちっとレシピ通りに作るので,味の揺らぎがないからです。その点,ママの作るものは同じものができません。ちょっとした分量の違い,煮炊きの時間の違い,材料の吟味の緩やかさなど,いわゆる適当な調理のせいです。毎日のことですから,それでいいのです。

 今日のおかずはちょっと甘いとか,塩辛いとか,いつもと違うという経験によって,子どもは砂糖や塩が入っていることに気付くことができます。お菓子の甘さしか知らないと,おかずにこっそりと砂糖が入っていることなど思いも寄りません。ちょっとずらしてみせることで,中身が見えるようになることを知っておいてください。

 一緒に作るとき,始めから終わりまで全てを一緒にしてください。途中だけ手伝わせる場合でも,何をどうしているかきちんと見せるのです。ときどき,しすぎたり,したりなかったり,ちょっと失敗して見せることも大事です。途中で味見をさせて,ちょっと足りなったら追加するといったことをしてみせるといいでしょう。修正しながら仕上げるという手続きを教えられます。

・・・全く同じように作っても,出来不出来になるわけがあります。・・・


 〇作業?

 人は毎日何らかの作業をすることで暮らしています。朝起きて身繕いをするのも作業です。作業とは作る業なのです。部屋を片づけるのも,整理された環境を作ることです。人は自由になる手を獲得したことで人として発展してきましたが,それは作るという技を発揮できたからです。

 作るためには必然的に考えなければなりません。あれこれ作っているうちに,人は知能を発達させました。子育ちも同じプロセスで踏みます。手作業を豊かにすれば,頭脳も豊かに構築されます。手を器用に使うためには,それなりの高度のプログラムをインストールしなければならないからです。育ちとは,手作業による知能インストールと見なすことができます。

 子どものお手伝いは,一緒に作業することが基本になります。子どもにも何かを作っていることが分かるような作業に参画させるようにしてください。作業は終わりの段階になると細やかな動きになるので,子どもには難しくなります。なるべく初期段階に関わらせる方がよいでしょう。

 例えば,夕食のお買い物などです。献立に合わせた材料を見つけさせます。カレーを作る材料が何と何かを教えることができます。できあがったカレーを食べているだけでは,美味しさを感じることはできますが,作る知恵は育ちません。批評家は育ちますが,能力は未発達に抑えられます。材料を知っていれば,美味しさが配合によってできあがっていることが見えるので,美味しさを作る能力を発揮できます。

 子どもたちの意欲を育てたいと思っていますね。どうすればいいのでしょう? 作業の基本的なプロセスを身につけさせましょう。そのときにママが気をつけることは,1から教えようとするのではなく0から教えることです。カレーを作ろうとするとき,まず材料を買いに行くことが0からの作業です。材料を揃えてからは,1からの作業です。

 1からの作業しかできないと,材料が揃っていないと何もできないことになります。おもちゃがないから遊べないという子どもに育ちます。0からの作業に慣れていれば,おもちゃがなければ自分であり合わせのモノで工夫して作ろうとします。それが意欲の出発点になります。

・・・買い与えることは0からの育ちを邪魔することです。・・・


 〇積み木遊び?

 日本の人口は1億2千万人です。学校でそう教わるとき,納得しない子どもが出てきます。「1億2千万」というきりのいい数になるはずがないというのです。確かにその通りです。今は午後8時半です。ディジタル時計では,8時33分ですが・・・。正確さが問われない場合もありますね。

 イヌやネコといった言葉を使います。それは特定のイヌやネコではありません。山や川も同じです。自分が飼っているレオという名のイヌは,特別のイヌになります。「犬がいたよ」。それだけではよく分かりません。そこで,具体的な詳細が必要なら「どんなイヌ?」という質問が続きます。でも,イヌがいたというだけでも事足りる場合もあります。

 子どもが積み木遊びをします。積み上げていくと,お家や車やイヌなど,いろんなものができていきます。それは細かい部分を再現できていなくても,それらしく見えます。大まかなイメージを表しています。このように大局的なイメージによって物事を把握することは,とても大事なことなのです。

 雲を見て,その形が何かに見えることがあります。人の理解の仕方とは,自分が既に持っているイメージに似ているものを探そうとしているからです。何かに見えないものは,見えないのです。見たこともないもの,それは記憶に照らし合わせることができません。だから,不気味に感じます。

 ブロックを何とはなしに組み上げていくと,ある段階からフッと何かに似ていると感じます。その記憶されているイメージを再現しようとして,付け足していきます。もちろんはじめから何かを作ろうと意図することもありますが,それはかなり慣れてきてからです。およその基本的な形をいくつか作れるようになれば,それに修正を加えるだけでいろんなイメージに変えることができます。

 折り紙もしてみませんか? ツルは本物のツルとは違いますが,ツルに見えます。もちろん,本物のツルを絵や映像で見て記憶しておくことが必要です。一枚の紙から,いろんな形が折りあげられる楽しさを存分に楽しませてください。想像力が創造力に転化していくのですから。

・・・物事を大づかみにデッサンできる力が創造力の核です。・・・


 〇壊れる?

 子どもたちは,手作りのおもちゃを体験していないようです。おもちゃの店屋物です。もちろん,高価で精巧です。お小遣いで買っているガチャポンのおもちゃも,子どもたちの遊びを支配しています。それは子どもたちの発想を組み込む隙がないほど,完成しています。

 壊れたら手に負えません。本当はパパが修理できるといいのですが,そんな遊びの技を身につけているパパも少なくなっています。確かに精密な部品を駆使したおもちゃには,素人は歯が立ちません。パパが扱えるような単純なおもちゃを与えていれば,子どもにはよい学習になるのですが。

 身近にある物からちょっと手を加えればできるようなおもちゃを作ってみませんか? 壊れてもすぐに修理することができます。ママの手で作ったクマのぬいぐるみはいかがですか? 耳がちぎれても,すぐに元通りです。竹細工でも,いろんなおもちゃができるはずです。ペットボトルでも風車ができますよね。

 壊れたおもちゃは,すぐに捨ててしまうのではなくて,パパと一緒に分解してみませんか? どんな部品でできあがっているのか,普段は見ることのできない中身を見るチャンスです。ちょっとした突起が折れただけで動かなくなっているといったことが,見つかることもあるでしょう。

 接着剤でくっつけてみようか,そう言いながらやってみてください。やっぱり無理だった。それでもいいのです。接着力の問題や,一部の故障で全てが駄目になるということを学ぶことができます。おもちゃの仕組みを見たことがあるかどうかは,長い一生の中で大事な経験になります。ネジ一本の大事さを体験的に知っていることで,会社勤めでネジ一本ぐらいと甘く見て仕事の失敗をすることから免れるかもしれないのです。

 器具類は乱暴な扱いをすると壊れます。可動部品の摩耗もあります。毎日繰り返しガチャガチャやっていると終いには壊れます。それでいいと思ってください。乱暴にすると壊れるという体験をすることで,ものは大事に扱わないといけないと納得できるからです。おもちゃを壊して反省する,それも大事な通過体験なのです。

・・・モノが壊れたとき,修理できるか診断をしてみてください。・・・


 〇共生?

 生き物が死んだとき,電池がなくなったと思う子どもの話があります。無機質なおもちゃにばかりかまけていると,感覚が片寄っていきます。今年4月7日に誕生した鉄腕アトムは無機質なロボットであるために,産みの親の天馬博士に疎まれました。ロボットは育てなかったからです。生き物の最も大事な特徴は,育ちがあるということです。たくさん食べて大きくなるのです。

 生き物と戯れる暮らし,共生する体験を子どもに与える工夫をしてください。子どもの生活の中に,何か生きている物がありますか? 庭の片隅に種を蒔けば,芽を出してぐんぐん育っていきます。露地植えでも水の管理を怠ることはできません。それを子どもに任せてみることです。

 一緒に野菜を作るのもいいですね。自分で作った野菜を食べるのは,いろんなことを教えてくれるはずです。命を貰っているという気持ちを味わうこともできます。大人は感性が鈍くなっていますからそんな殊勝な感動はないでしょうが,子どもの感性はきちっと反応するはずです。

 数ヶ月掛かって育てた花が咲いたとき,買ってきた花とは違う美しさを見るでしょう。作り上げた美しさとお買いあげの美しさとは,感じる方に違いがあります。花そのものの美しさは負けるかもしれませんが,成長に関わったことによって,生命を感じることができます。美しさは本来生命に備わるものであるからです。花が美しいのではなくて,花を咲かせている生命が美しいのです。

 子どもたちに思いやりや優しさを備えて欲しいと願うのはなぜでしょう? それは生命あるものに向けた感性であるからです。共に生きる術として必要不可欠な資質だからです。特別な場合を除いて,普通は物に思いやりはかけません。イライラしたときに八つ当たりするのは,ほとんどが物に対してです。おもちゃを蹴っ飛ばしても,足が痛いだけで心は痛みません。

 矢ガモという,矢を射込まれたカモが現れます。可哀想だと思うか,面白いと思うか,許されないと感じるか,やってみたいと感じるか,人としての大事な分岐点です。カモを生きていると思うか,モノと見なすかという差です。幼い子どものうちに思いやりの感性を育てておかないと,心のふるさとを失うことになります。

・・・生命あるものとの関わりが心のふるさとになります。・・・



《一緒に作るとは,生きることの喜びを共感することです。》

 ○砂場で遊ぶ。それは砂を使って何かを作ることです。手が作っていく喜びを知ることによって,自分の中にある生命を吹き出させることができます。何をしようかなと迷い道にはまっている子どもは,作るという楽しみを教えられていないのです。

 豊かな暮らしはあらゆるモノが備わっているから,作るという最も大事な資質を眠らせます。それ故に,人としての育ちが停滞してしまいます。育ち上がった大人はいいのですが,これから育とうとする子どもには不適当な状況です。作るという形による育ちを見直してくださいね。


 【質問10-13:お子さんと一緒に作ってみませんか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第10-12章に戻ります
「子育ち12章」:第11-01章に進みます