*** 子育ち12章 ***
 

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「第 11-05 章」


『同じこと 言い方変えれば 違う意味』


 ■はじめに

 育児をしない父親は意気地なしである。他人が見ていてもそう思われるので,パートナーであるママは切実に感じているかもしれません。そう言われても,パパにすれば勤務に追われてそれどころではないと思っているでしょうし,思うようにはならないのが現実です。

 奥様ではなくて外様になっているママも珍しくはない状況で,それなりに男女共同参加型の社会になっています。共同参画には未だ道は遠いようです。帰ってきたら,家事と育児が手ぐすね引いて待っています。追われるようにバタバタと片づけなければなりません。

 家事のことはもとより,育児に対して父親不在のしわ寄せが,子どもの正義感を育て忘れるなどの不健全性をもたらしているという指摘が可能です。共同で育てるべきであるという考え方を受け入れて,ママの仕事を肩代わりするという分担イメージを持つならいささか見当はずれです。

 分担という言い方には,負担という印象がつきまとっています。できればしたくないけど,しなければならないから仕方なしにしているといった風です。イヤなことを押しつけられるのはかなわないから,公平にしようという押し付け合いになります。パパは仕事で手が離せないから仕方がないと言い抜けていると誤解されます。

 夫婦はお互いを必要とするから,一緒に暮らしているのでしょうか? お互いに大事な人と思っていますが,自分にとって都合がいいという魂胆が勝っていると,あちこちにほころびが出てくるはずです。大事な人は大事にしないといけませんね。そう考えれば,家事や育児はイヤなことではなくて,してあげたいことになります。

 同じことを半分こにすれば事足れりというほど,育児は単純ではありません。そんなことをしていると,子どもにすればママが二人いるように見えます。父と母は違うから,お互いの存在に意味が生まれるのです。



【質問11-05:お子さんの表現を認めていますね?】

 《「表現を認める」という意味を確かめておきましょう!》


 〇表現?

 表現と一口に言っても,その内容はいろいろあります。見たり聞いたりしたこと,考えたこと,感じたこと,求めたいことなどを,分かるように言葉や態度で表現します。言葉にならないものもあります。赤ちゃんの泣き声などは難解な表現でしたね。察するという能力を発揮しないと通じない表現になります。

 表現とは相手に通じなければ意味がありません。通じるためにはどのようなことに気をつけたらいいのでしょうか? まず第一には,直接に話し聞くことです。電話などによる表現はかなり曖昧であると覚悟しておいた方がいいでしょう。なぜなら,情報の伝わる割合は耳からは1割,目から9割と言われているからです。

 二番目には,その場に居合わせるということです。特に聞き取る方はその場の雰囲気などお構いなしですから,同じ表現でもニュアンスが違うということを見落とします。例えば,子どもが友達に突き飛ばされたといって帰ってきたとき,その状況を確かめないと判断を間違えます。ちゃんと伝わらないのです。

 三番目は,なるべく具体的に明瞭な表現にすることが大切になります。例えば,ママが「きょうはどうだった」と帰宅した子どもに様子を尋ねますが,返事のしようがありません。「別に」としか言えなくなります。子どもが何も話さなくなったのではなくて,親子の間で具体的な表現をしていないからです。

 四番目は,分かってもらおう,分かってあげようと努力することです。100%の表現とはあり得ないので,お互いに足りない部分を自分勝手に思いこまないように確認をするのです。それが対話になります。表現は助け合うことで,通じ合うように磨かれていきます。「どうしてもっとはっきりと言わないの」って迫るのは,聞く作法に反することになります。

 子どもの場合は,言葉が少ない分,一つの表現がいろいろな意味で使われます。ときには,大人が思いも及ばない使い方をしてのけます。適切ではなくても,その伝えたいことは分かるという場合もあります。子どもとの対話では,表現の受け取り方に広い間口を用意して,ゆったりと聞き取ってあげることです。

・・・表現にはお互いに理解しようという気持ちが込められています。・・・


 〇聴く?

 ママは子どもにとって自分を理解してくれるはずの唯一の存在でした。最近の母親像は指導し教えてくれる存在に様変わりしています。子どもたちの意識が変わってきたのは,ママの態度が変化したことを教えてくれます。ママが子どもを理解するよりも育てることに重きを置いているということです。

 そんなはずはないと思いますか? 子どもとの対話をしている場面でチェックしてみましょう。例えば,(1)兄弟や友達と比べていませんか? (2)どういうつもりか下心を見透かそうとしていませんか? (3)子どもが話しているとき自分が話そうとすることを考えていませんか? (4)つまらないことだとふるいにかけていませんか? (5)そんな馬鹿なことと決めつけてはいませんか?

 まだあります。(6)そういえば前にもそんなことがあったと思い出していませんか? (7)話を途中で引き取って勝手に話し始めていませんか? (8)いい機会だからと何かを教えようとしていませんか? (9)つい言葉尻を捕まえて争ってはいませんか? (10)分が悪くなると屁理屈を言わないのと打ち切っていませんか? (11)まじめな顔をしてどうしちゃったのと途中で茶化してはいませんか? (12)ご機嫌を損なわないようにその場逃れをしていませんか?

 ママが理解者でなくなったのは,聞く耳を閉じてきたためです。自分の気持ちを表現しようとするから,聞くことが疎かになり,子どもの表現をちゃんと受け止められなくなりました。理解できるはずもありません。実は上記の12のチェック項目は,リスニングブロックといって,聴こうとしないバリアのあれこれなのです。

 親としての指導性・しつけをする役割を果たそうとして,知らないうちに子どもの表現をブロックしてしまっています。自分のことをママだけは分かってくれているという信頼は得られず,逆にあれこれと押しつけてくるママが鬱陶しくなっていきます。

 ママはまず子どもの表現をきちっと聴くことからはじめてほしいのです。そのためには,聴こうという気持ちを持つことです。例えば,子どもの表現を言い換えてみる,言葉を補って明確にしてみる,適切な質問を返してやりとりをしてみる,素直な心を開いて共感できる部分を見つける,小さなことを注意して見つけていけば,子どもの良さがきっと見つかるはずですよ。

・・・ママは子どもの姿をちゃんとつかまえてこそママなのですよ。・・・


 〇叱咤激励?

 育てようとすると思うように育たないのでイライラします。イライラさせられるのではなくて,ママは自分勝手にイライラの種をまいているようです。反省のあまり自分の育て方がいけないのではと思いつめることもあります。子どもの育ちを邪魔しないようにしさえすればいいのですから,ゆったりと構えましょう。

 ゆったりとはどうすればいいのでしょうか? 焦らなければいいのです。焦りとは,どのような形で現れてくるのでしょうか? 例えば,「それがあなたの悪いところよ」と決めつけていませんか? 「ぼんやりしている暇があったら今のうちに宿題を済ませなさい」と指図していませんか? 廊下で走っていて小さな子どもとぶつかって押し倒したときに,「そんなことはよくあることよ」と妙にかばったりしていませんか?

 算数の計算をしているときに「字をきれいに書きなさい」と脇道に追い込んでいませんか? 「どうしていつもママの邪魔ばかりするの」と邪推をしていませんか? 子どもは自分の気持ちや考えを言葉だけではなくて行動で表現しようとしています。育ちとは自分を表現する営みとして見えてくるものです。

 子どもの表現に対して立ちはだかることは,どう考えても邪魔になります。ですから,ママが育てようという焦りを子どもに向けて表現してはいけません。しなさいという命令,しないと叱られるという脅かし,いい子にならねば意味がないという強制,そんなことでは先が思いやられるという説教,パパに似てどうしようもないという同情,よそに連れて行けないという恥かかせなどは,してはいけないことです。

 ママは本心ではないはずです。そういう言動を見せることで,しっかりしてほしいという願いを表現しているつもりです。叱咤激励を期待しています。それは大きな子どもになってから通用する高等戦術であると弁えておいてください。焦りはしつけにおける劇薬を使ってしまうという過ちを犯させます。叱るときに一気に強い折檻に至るのも,焦っているからです。

 こうしようと思い詰めないことです。山登りのときには,頂上ばかり見ているとかえって疲れます。目の前の道を見つめて一歩一歩歩んでいけばいいのです。もちろんたまには,頂上を仰ぎます。ときには頂上が見えないこともあります。それでも歩んでいけば,見えるところに行き着けるはずです。子どもを尋問したり否定する表現が出てきたら,自分が焦っている兆しです。

・・・叱って激励するといったあやふやな表現は子育てには不適切です。・・・



《表現を認めるとは,曇りのない素直な心の通い合いです。》

 ○子どもの声が聞こえない街は静かですが,一方で生気が失われているような沈んだ雰囲気です。寂しいと言った方がいいのかもしれません。笑い声や泣き声,楽しい表現や悲しい表現が錯綜するからこそ,人がそこに生きているという証が感じられるものです。

 子どもは自己中心的ですが,それさえも生きようとする健気さと思うゆとりが大人の方にはあります。子どもが大きくなったとき,自分のつたない嘘に騙されてくれた大人の大きさに感謝することでしょう。育ちにはそのようなきわどい一面も組み込まれているのです。


 【質問11-05:お子さんの表現を認めていますね?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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