*** 子育ち12章 ***
 

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「第 11-07 章」


『バリア張り 外の世界が 荒れ果てる』


 ■はじめに

 子どもがスケート遊びで道路を駆け抜けていきます。急には止まれないという速さで,見ているとヒヤヒヤします。ご近所の方は車を運転するときには,事情に配慮して徐行していますが,アパート住まいの若い方は一旦停止もなくスッと車を飛び出させるので心配です。

 子どもがチョロチョロすると邪魔だという気持ちが一般に支配的になっています。子どもたち そこのけそこのけ 車が通る,ということです。車社会という暮らしぶりは地域という居住区には馴染みません。車の横暴さをむき出しにされては,傍迷惑です。人の弱さを慈しむ気配りを失ったら,利器は凶器に成り下がります。

 ところで,小学生がガソリンを浴びせられ火をつけられた事件がありました。自分の死を背負って出歩き,誰でもよかったからお裾分けをしたということのようです。とんでもないことなのですが,その思慮を失ってしまう人がそばにいるかもしれないと思うとこわいですね。

 住宅街であれば少しは人のつながりがあり,少しはお互いを気遣い,もうちょっと歯止めが働いたはずなのにと思うものです。人のつながりを断っている住宅街,つながりを拒否する閉じこもり,それは都会化という個人的な安寧の姿なのでしょうが,一歩外に出たら修羅の世界という危ういものです。

 バリアフリーという言葉が時代のキーワードですが,日々の生活パターンが自宅に閉じこもるようなバリアを張り巡らしています。皆が周りに無関心になるから,皆の周りが目の届かない闇の世界に荒れ果てます。バリアを張ることで,バリアを張らなければならなくなっているのは自己矛盾です。暮らしのバリアフリーから始めないと危険の種を蒔いているようなものです。



【質問11-07:お子さんの勇気を認めていますね?】

 《「勇気を認める」という意味を確かめておきましょう!》


 〇がんばったね?

 幼い頃は怖いもの知らずです。危なっかしくて目が離せません。見ているとどうしても制止することが多くなります。子どもはワクワクする冒険から封じ込められるようになります。臆病になる道に迷い込みます。勇気という前向きの気持ちを萎えさせるからです。

 幼い子どもが怖いと感じることが一つあります。それはママからの離脱です。ママの姿が見えないと不安になり,怖いという感情を持ちます。それを我慢できるようにならなければなりません。怖いという気持ちを抑え込む重し,それが勇気という強さです。我慢することも勇気なのです。

 勇気を発揮するには,かけ声を発することです。負けないぞと叫んだり,腹の底からワアッと声を張り上げたり,拳をきつく握りしめたりします。体に力を入れることで,気持ちを鼓舞することができます。相撲取りが勝負の前に顔面を思いっきり叩く仕草をすることがありますが,同じことです。

 子どもがお留守番するとき,不安で怖い思いをします。それを必死に我慢します。身も心も張りつめています。ママの顔を見たら泣き出すかもしれませんね。緊張がいっぺんに解放されて安心するからです。とにかくそっと抱きしめてやってください。

 さすがお兄ちゃんね,お姉ちゃんね,とほめてやることを忘れないでください。じっと我慢できた勇気を認めてやるのです。勇気を持たせようとしようとしても,それは無理です。勇気は自分の中からわき出させなければならないものです。そこで,勇気を出したときに,その勇気を認めてやるのです。がんばったね,その一言で子どもは絞り出した勇気を受け止めてもらえます。

 子どもを見守るというのは,子どもががんばった姿を見つけてちゃんと認めてやるためなのです。できない姿を見つけるのは見張ることになります。がんばりなさいと言うことではなくて,がんばったねと認めることが大事なのです。

・・・一所懸命な姿を見つけてほめてやるのが,ママの見守りです。・・・


 〇勇気半分?

 イヌがいると遠回りをします。牙を持った長い口が怖いのは本能です。イヌが持っている獣性,言葉の通じない相手への警戒心がわき上がってくるからです。危険を察知する感性です。それを確かなものとして認知するのが体験です。たった一度だけ,イヌに寄りかかられて押し倒された恐怖の体験,それが身体に染みこみます。

 怖くないと言って聞かせても,それは無理です。身体の恐怖はおいそれとは理性で消せるはずもありません。一つの救いは,人が忘れる力を持っていることです。完全にぬぐい去ることはできなくても,薄れさせることはできます。トラウマは傷跡として残りますが,痛みはかなりの程度薄れるのと同じです。

 さらに怖い体験を上書きする積極的な対応が望まれます。身体が感じる恐怖をうち消す体験を重ねるのです。イヌに慣れさせるということです。触ってみればいいのです。そのときに勇気が必要です。だからといって,触ってみなさいというだけではうまくいかないでしょう。少々の勇気では間に合わないからです。

 ママがイヌに触ってみせるのです。陰から一緒に触らせます。それだったら半分の勇気で済みます。勇気のお手伝いをしてやるのです。ちょっとだけならやれるかな,という小さな勇気を引き出してやりましょう。徐々に慣れさせる,それはちょっとずつ勇気を出していくことです。

 自転車の練習で,パパが後ろから支えてやれば,怖いという思いに半分の勇気で対抗できます。手をかけるとは,勇気のお裾分けをしてやることです。勇気の分割払いをすれば楽ですよね。どんなによいと思われる体験でも丸投げすれば,子どもは受け止めきれません。小出しに刻んでやる,嫌いなものを食べさせるやり方と同じ手が使えることを知っておいてください。

・・・勇気のようなとらえどころのないものも分割で手に入ります。・・・


 〇優先順位?

 子育ちの特徴は自分を外に向けて発揮することです。外に出さずに閉じこもるのは育ちに逆行することになります。外で遊びなさいという要請は,育ちの基本的なパターンに合致しているからです。内に籠もると文字通りに開花できないのです。ゲームの不健全性は,手の動きが外部のゲーム機に伝わりますが,結果が画面を通して自分に跳ね返ってくるという閉じた行為だからです。単なる自慰行為と見なすことができます。

 能力を発揮するのは,外に向かってオープンな行為でなければなりません。自分とは違った外部に,自分の作用を及ぼす力が能力です。それができない状態を内気であるとか臆病とか呼んでいます。用心深いという場合もありますが,度を超すと育ちのブレーキになります。

 勇気を出して自己表現しなさい,ママの声はいつもそう言っています。積極的であってほしいという願いです。そこでちょっと,子どもの立場を弁護しておきましょう。子どもが臆病になっているとき,しくじることを恐れています。だめだっらどうしようという不安です。

 思い切ってやりなさい,ママの声が背中を押してくれても,踏み切れません。物心ついたときからちゃんとしなさいといわれてきました。ちゃんとできないと叱られます。よけいなことはしないで,咎められます。やる以上はちゃんとできないといけないのです。だから,できないことを恐れるのです。

 やってみようという勇気を出しても,ちゃんとやろうという重しがのしかかってしまいます。ちゃんとしようとすることが,せっかくの勇気の足を引っ張ります。だから,足踏みするのです。やってみることが大事であると優先順位を明確にしてやってください。結果は二の次だということです。

 勇気を出したことを,がんばったねと認めてやります。そのうちにできるようになる,育ちとはどれほど無駄を重ねたかによって見積もることができるものです。できないことをやろうとすることが勇気の働き場所なのです。結果は後からついてくるものと,楽しみにしておけばいいのです。

・・・しようという気持ちを勇気の発露と認めて優先させることです。・・・



《勇気を認めるとは,子どもの育ちの後押しをすることです。》

 ○勇気ある行動として称えられることがいろいろとあります。自分のことのために勇気を出しても,人はそれを勇気とはいいません。しかし,人は自分のことのために勇気を出すことができなければ,人のために勇気を出す訓練ができません。勇気を出したことがなければ,出るはずがありません。

 子どもの育ちは,勇気を発揮することの連続です。すべてのことが初体験ですから,勇気がなければ育ちができません。新しいことをやったときに,その勇気を認めてやることが,育ちを認めてやることと重なるのです。


 【質問11-07:お子さんの勇気を認めていますね?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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