*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-01 章」


『ボクのこと どうすればいい ママの留守』


 ■つれづれ

 役目柄さまざまな会議に引っ張り込まれます。協議の場では執行部や事務局からの提案に対して,「何かご意見は?」と問いかけがなされます。大方が提案の通りでいいんじゃないかと思っているところに,勢いよく手を挙げてご意見を述べる方がいます。聞いていると,協議されているテーマとの関連があまりありません。何のために意見を表明しているのか分かりません。司会は処理に窮して,「貴重なご意見をありがとうございました」と言うだけで,他の意見を求めます。

 その場に相応しい意見を言わずに,ちょっとした連想に乗って我田引水をする人がいます。会議というものになれていないと言ってしまえばそれまでですが,「あの人はどんな人?」という感想が会議の場の流れを乱す迷惑な人という印象にすり替わっていきます。多少非難めいた烙印を押してしまいます。

 日本人は議論が下手だという大層な結論を引き出すつもりはありません。言論の自由があるのだから仕方のないことと無視しようというつもりでもありません。会議とは100点満点の人だけがするものではないという事実を見ておきたいのです。出席者は60点の人です。だからこそ,意見を集めてよりよい結論に近づこうとするものです。

 的はずれ,ピントはずれがあるからこそ,会議をする意味があります。協議されているテーマを出席者がどのように理解しているか,全員のテーマ理解の幅が浮き上がることで,実践上の広がりが見えてくるからです。多少のずれ,余裕を持たせることで,より多くの人が関われるようになります。

 会議は一つの結論を出すことが目的ですが,同時に全員がそれぞれのイメージに従って関われるように結論の広がりを持たせる必要もあります。それが了解を得る鉄則です。社会的な活動はその広がりがなければ,人を巻き込むことはできません。それぞれができることを寄せ合うために会議を開いていることを忘れてはなりません。一人ひとりにはできることとできないことがある,テーマに対して60点である,だから協力しようとしている,それが会議をする意味なのです。



【質問12-01:ママ,あのね。ママはボクのこと見えてる?】

 《「ボクのこと」という意味を分かってあげましょう!》


 〇もう一人のボク?

 ママとお買い物にいった帰り道で,道路脇にある背の低い木の枝にトンボが留まっていました。二つの大きな目をクルクルと回しているのが見えたので,おもしろいなと眺めていると,「何をぐずぐずしているの。早く帰るわよ」というママの声が聞こえてきました。せっかく見ようと思っていたのに!

 雨が降っています。窓を開けて雨を見ていると,雨粒がスーッと落ちていきながらキラッと光ります。ザーッという音がうねって聞こえてきます。突然ママの声が「何をボーッとしているの。早く閉めないと部屋が湿ってしまうでしょ」とかぶさってきます。光と音の風景が遮断されてしまいました。

 友だちとおもちゃで遊んでいました。その気になっておもちゃの世界に入り込んでいたら,どこからかママの声が割り込んできます。「いつまで遊んでいるの。いい加減に止めて片づけなさい」。どうしてママはいつでも勝手に割り込んでくるのでしょう。ボクがしていることを邪魔ばっかりします。

 ママ,あのね。ボクのことをほっといてくれないかな。ボクが何をしようとボクの勝手でしょ。ボクが何をどうするか,ボクが決めるの! そうでないと,ボクはボクでなくなりそうになるんだよ。ボクがボクでなくなれば,ボクはどうすればいいんだろう。この気持ち,ママに分かってもらえないかな。トンボや雨を見ているボクだけではなくて,そうしようと思っているもう一人のボクがいるんだよ。

 あのね,ママ。ママが鏡の前でお澄まししているとき,見られているママと,見ているママがいるでしょ。これで決まりって,感じているママがもう一人のママなんだよ。パパがちょっと派手じゃないかといっても,自分にはこれくらいでいいのって決めているもう一人の自分がいるでしょ。ボクにも自分のことを決めるもう一人のボクがいるんだ。トンボを見たいボクのことを分かってくれたら,帰ろうとボクが決められるんだよ。

・・・もう一人のボクを見ていてくれたら,分かり合えるはずなのに。・・・


 〇子どもの目?

 ママがお隣のおばちゃんとお話をしています。「このごろ,目が離せなくなって」と言いながら,ボクの方を見ています。ボクが叱られることばっかりしているせいでしょうか。そういえば,今朝も叱られました。シンブンというカミを郵便受けから持ってくるのがボクのすることですが,雨が降っていて途中でシンブンを濡らしてしまったのです。ボクだってたくさん濡れたのに?

 濡れたボクと濡れたシンブン,ママは新聞しか見ていません。もう一人のボクはシンブンを濡らさないようにボクを濡らさなければいけないようです。ボクなんか濡れてもかまわない,もう一人のボクはボクに言い聞かせることにします。そうしないと,ボクがママに叱られちゃうから。

 学校で答案を返してもらいました。赤い字で75点と書いてあります。隣の席のマサちゃんは90点です。すごいなと思いました。ボクとマサちゃんはどこが違うのかなと考えました。でも分かりません。ママはきっとこわい顔をして言うでしょう。「あなたは遊んでばかりいるからよ」。

 もう一人のボクだって,いっぱい丸をもらって「できたね」と言ってもらいたいよ。でも,どうすればそうなるのか,誰も教えてくれないもの。ママは勉強しなさいと言うだけ。マサちゃんと同じように学校で勉強しているのに,どうしてかな? 答えの出し方ではなくて,勉強の仕方が知りたいな。

 あのね,ママ。もう一人のボクはボクのこと大好きだから,いろんなことができるボクになって欲しいと思っているんだよ。もう一人のボクがいることを見てくれていないから,誰ももう一人のボクに教えてくれようとはしない。いつだったか,ママがパパに「子どもの目線」という話をしていたね。分かってくれたかなと思っていたけど,違っていたみたい。子どもの目線とはもう一人の子どもと同じ目を持つことなんだけど・・・。

・・・もう一人のボクにちゃんと教えて欲しいんだけど。・・・


 〇自意識?

 ボクが砂場でこけちゃって顔中砂だらけになったとき,みんなでボクのことを笑ったでしょう。あのとき,とっても嫌な気持ちになったんだ。それまでは何でもなかったのに,急に自分が恥ずかしいと感じたんだよ。これって何なんだろうととても不思議な気分だった。

 ママとにらめっこをしているとき,ボクが変な顔をしたらママは大笑いをしたね。笑われている自分がいるんだけど,ママを笑わせたと喜んでいる自分もそこにいたんだ。恥ずかしい自分だけど,そんな自分を嫌だと思ったりうれしいと思ったりする自分って,どういうことなんだろう?

 学校でみんなの前で発表するとき,顔がほてっちゃって胸がドキドキするんだけど。見られてると思うようになったからかな。フワフワしている自分を何とか抑えようとするもう一人の自分が生まれたみたい。しっかりしなくっちゃ,そう自分に言い聞かせているもう一人の自分が目を覚ましたのかもしれないね。

 このごろ,ママがボクのことをどう思っているのかって考えちゃうんだ。いつも叱られている自分と叱っているママ,もう一人のボクはどっちの味方をしたらいいのかと迷っているんだ。大好きなママの味方をしたいから,ボクは自分をいけないやつだと叱らなければならなくなって,とっても辛くなる。ママと一緒に自分をほめてあげるためにはどうすればいいんだろう?

 あのね,ママ。ママが「どうしてそんなに言うことが聞けないの」って言うよね。ママを困らせようとしているつもりじゃないんだけど。もう一人のボクがボクのことを知りたいから,あれこれ試しているだけなんだよ。ボクにはこんなことができると分かれば,もう一人のボクがママに叱られないようにボクをコントロールできるからなんだ。ママに言われるからではなくて,自分で自分を育てていきたいんだよ。

・・・もう一人のボクは未熟だから見守って欲しいんだけど。・・・



《ボクのこととは,ボク自身を導いているもう一人のボクのことです。》

 ○何かしら分かりにくい内容だったかもしれません。それでも,是非分かっていただきたいので無理をしました。自信とは,もう一人の自分が自分を信じることができることです。自分を大切にするのはもう一人の自分です。

 もう一人の自分がしっかりと育っていないと,自分を大切にすることができません。自棄になるというのは,か弱いもう一人の自分が至らない自分を見捨てることです。自分を見捨てずに育とうとするには,もう一人の自分がママからちゃんと支えてもらっているという実感を持たなければならないのです。


 【質問12-01:ママ,あのね。ママはボクのこと見えてる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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