*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-09 章」


『楽しみは 愛しい人を 待つ夕べ』


 ■つれづれ

 不登校の児童生徒数が減ったという報道がありました。少子化の傾向と相関している部分もあるでしょう。多くの論調は,アフターケアの充実が効果を上げてきたと指摘しています。それは対処療法であるということを留意しておかなければなりません。子どもを不登校に追いつめている要因の除去が進んでいることではないのです。例えば,風邪を引いた子どもの治療が進んだということで安心してはいけないということです。

 大事なことは,風邪を引かないように耐性を持たせることです。予防に力を向けなければ,後手に回ります。不登校で耐性を持たせるということは,学校生活に適応できる能力を育てるということになります。人付き合いに対する我慢を中心とした能力です。ところで,この流れの上にあるのが,不登校は子どもが脆弱であるからという視点につながります。無理にでも行かせようとする強制が正解であるという判定です。これは正しくないというのが,今の動向です。

 どこが間違えているのか明らかにしておかなければなりません。原因と結果を逆にしてはいけないということです。学校生活になじめる子どもは不登校になりません。ですから,あくまでも予防としての人付き合いの訓練は大事なのです。それはいいのですが,不登校になった子どもは,無理矢理登校させても学校生活になじめるようにはならないのです。逆は真ではないということに気付いてください。

 もう一つ大きな要因を押さえておくべきです。それは風邪を引かせない環境にするということ,つまり,不登校を産み出す要因です。乱暴にいえば,旧来の学校というシステム形態が今の子どもに適合できなくなっているということです。多くの子どもを教室に座らせて一斉に教えるという形が,今の子どもたちの生体リズムに合わなくなっているということです。

 例えば,家でテレビを見るとき,おとなしく一時間座って集中しているでしょうか? テレビの前では自分勝手におしゃべりしながら横目で見ていますし,またCFで気分をズタズタに分断されることに慣れている子どもが,授業時間の緊張を維持できるはずもありません。学校環境が時代の変化に追随していないという要因に注目しなければ,不登校の抜本的な解決はできません。土曜日に子どもを学校から解放したことによって,新しいスタイルの誕生が期待されているのです。



【質問12-09:ママ,あのね。ママはボクの楽しみを感じてる?】

 《「楽しみを感じてる」という意味を分かってあげましょう!》


 〇ボクのせい?

 妹が熱を出したときのことです。小児病棟の待合室に座っていると,あえいでいる妹と心配顔のママの切羽詰まった空気が伝わってきました。「まだかな,はやく呼ばれないかな」,ママはボクに言うともなしにつぶやいています。そんなママのそばでボクもじっと待っていると,妹のことが気になってきました。

 元気なときの妹は,ボクに突っかかってくることもあってやんちゃです。つい邪険にすると「お兄ちゃんがいじめた」とママにご注進。やっかいです。でもママに抱かれてぐったりしている妹を見ていると,もう邪険にはしないから,はやくよくなってと思ってしまいます。

 診察と治療が終わって,落ち着いた様子で眠っている妹の側で,ママは力が抜けたようにホッとして妹を見つめています。妹が病気になったのはボクのせいかな,もういじめないからと思っているボクは,どうしてそんなことを思ったのだろう? 元気になったら一緒に遊ぼう。そんな風に思ったら,なんだか妹がよくなるような気がしてきました。

 あのね,ママ。ボクはね,妹がはやくよくなって今までどおりに仲良く遊べたらいいなって思っているんだ。ほんとだよ。なんだか分からないけど,一緒に走り回れることが楽しみになっているんだ。ボクが妹のためにしてやれることはそれしかないんだもの。

 妹がボクを困らせるとき,「妹なんて要らない,どこかにいってしまえばいいのに」と思ったことがあるけど,でも,ボクがそう思ったために妹がどこに連れて行かれると,嫌だ。ボクを追いかけてくる妹の笑顔が大好きなんだ。はやくよくなろうね。お兄ちゃんが待っているから。

・・・心配を慰める唯一の手段は楽しさにつながる扉を見つけることです。・・・


 〇後の楽しみ?

 今度の日曜日にはレジャーランドに連れて行ってくれると言ったよね。絶対だよ,パパとちゃんと約束したんだからね。何をして遊ぼうかな,いろいろ考えていると楽しくなっちゃう。あといくつ寝たらいいのかな。はやく日曜日が来ないかな。

 日曜日の楽しみがあると,まだ先のことなのにどうしてこんなにワクワクするのかなあ。今日だって,楽しく過ごせちゃったよ。暑くてもへっちゃら。だって暑いなんて言ってたら,お出かけできないもん。ママがどうしちゃったのとあきれているけど,がんばっちゃう自分がいるみたい。

 「今日の夕ご飯,ハンバーグが食べたいな」。いつもならママが「何が食べたい」と尋ねるけど,時々ボクの方からリクエストすることがある。「まだ朝ご飯が済んだばかりなのに,もう夕食のこと?」って,ママは呆れてしまう。「じゃあ,明日してあげる」という返事があると,「今日じゃなくては嫌だ」。

 あのね,ママ。献立はママの都合で決まるかもしれないけど,ボクにも都合があるんだよ。今日はハンバーグでなくてはいけないんだ。今日は学校でちょっぴり嫌なことが待っていて,あまり行きたくない気分なんだ。でも,帰ったら大好きなハンバーグを食べられるという楽しみができたら,嫌なことも何となく忘れられそうな気がするんだ。

 今日の嫌な気持ちを上塗りするには,楽しみを持ち出さなくてはいけないんだ。後の楽しみがあれば,嫌なことも我慢できるから。明日じゃだめ,今日じゃなくては。自分だけでは楽しみを作れないから,ママ手伝って。我慢したらいいことがある,そう思いたいんだけど。

・・・我慢は後の楽しみが約束されていれば可能になります。・・・


 〇大人になりたい?

 どこかに連れてって。パパにねだっていたら,「よーし」と言って,バスに乗って山に連れて行かれました。木陰をぬって登っていくと,やがて清流の音が聞こえてきました。流れの側にある大きな岩の上に座っていると,冷たい水しぶきがかかります。パパと一緒にしばらく流れを見ていたけど,飽きてきました。

 「どこに行くの?」。「ここだよ」。「何もないよ。遊ぶところがないからつまんない」。「何もないな」。「どうするの?」。「どうしようか?」。パパは何もせずに流れを見ているだけです。ボクは退屈して,流れが緩やかになっている瀬に降りてみました。パパもついてきました。

 流れに手を浸けるとヒヤリとしました。突然パパが「そこの石を裏返してみろ」と指を差しました。片手で動かそうとしたけど動かないので,両手でごろんとひっくりかえてみました。水が濁りましたがすぐに澄んできました。石があったところに何かが動いています。「カニ!」。「爪が赤いよ」。カニはススーと近くの岩陰に入っていきました。

 あのね,ママ。パパと川に行ったら面白かったよ。何もないように見えた所に,パパはいっぱいいろんなものを見つけて,ボクに見せてくれた。川って水が流れているところと思っていたけど,違うことを知ってビックリしちゃった。カニやお魚がいて。それから水の中にもいろんな虫がいたんだよ。

 パパに教えてもらったけど,忘れちゃった。パパは何でもよく知ってるからすごいよ。ボクもパパみたいになりたいな。なれるかな。大人ってみんなパパみたいに,何でも知ってるんだろうか。ボクもはやく大人になりたいな。

・・・子どもにとって最大の楽しみは,親みたいになることです。・・・



《楽しみを感じてるとは,明日を待ちわびることです。》

 ○明日がないと人は生きられません。明日があれば人は幸せな気持ちになれます。楽しみとは過去にはなくて,必ず明日にあります。子どもたちは明日の楽しみを見つけられなくなっています。楽しいのはゲームをしているときというのは,今日の享楽に溺れているだけで,本当の楽しさではありません。

 何か面白いことないかな,そういいながら自分で探そうとしていません。お金で買える楽しさとは,所詮借り物の一時的なものです。自分の感性とつながった手作りの楽しさでなければ,生きる力に転換することはありません。明日への期待,そういう楽しみをたくさん与えてやってください。


 【質問12-09:ママ,あのね。ママはボクの楽しみを感じてる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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