*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-10 章」


『眠る子が 笑っているが どんな夢』


 ■つれづれ

 お年寄り向けの講演を頼まれることがあります。その冒頭で必ずお話しする言葉があります。「少年よ,大志を抱け(Boys, be ambitious)」というクラーク博士の言葉です。お年寄りに,少年よと呼びかけるのはふさわしくないと思われるかもしれません。お年寄りがかつて少年時代に聞かされたであろう過去の言葉です。

 この有名な言葉には続きがあるのです。「少年よ,大志を抱け,この老いぼれのように(Boys, be ambitious, like this old man)」となっています。後半は聞かせる言葉としては必要ではないので省略されてしまいました。しかし,言う言葉としては,お年寄りの現在にとって大事なのです。お年寄り自身が大志を持っていてこそ,この言葉が生きてくるのです。

 「夢がない そういう大人 どんな夢」(矢野壽男著:親を見りゃボクの将来しれたもの)という中学生の狂歌があります。かなり昔のものですが,今も通用するでしょう。年配者は何やかやと若者に意見をするものです。聞かされる若者は,そういうあなたはどれほどのことを,と思っています。言う方は楽でいいよな,と聞く気がありません。

 ワシントンはサクラの木を切ったことを正直に親に謝ったから大統領になれた,と子どもに正直であれと教えようとします。でも,それを大統領になれなかった親が言ったところで効き目はありません。子どもに対する意見は,自らの実践という裏打ちが不可欠なのです。

 青少年の健全育成は,大人が変わらなければ達成しないと言われます。根本は「俺にもできたから,お前にもできる」という言葉の重みです。重い言葉にするためには,育てる側の覚悟が付随していなければなりません。自分自身が本気になるということです。



【質問12-10:ママ,あのね。ママはワタシに夢をくれてる?】

 《「夢をくれてる」という意味を分かってあげましょう!》


 〇身近なモデル?

 ワタシのお母さんはたいへんです。お父さんを見送った後すぐに,バタバタとワタシたちを起こしにやってきます。お父さんのお出かけは早いので,ワタシが起きたときはお父さんはもういません。お母さんは私たちに「早く朝ご飯を食べてしまいなさい」と言いながら,お出かけの着替えをしています。鏡の前で一度着た服を「これはダメ」とか言いながら,脱いでしまって,裸のままで別の洋服を探しています。前の晩から用意しておけばいいのに思います。

 ワタシが朝ご飯の食器を流しに下げているとき,お母さんは弟の保育園へお出かけの用意です。「ちゃんと立って」と言いながら,遊んでいる弟を左手で抱え右手で洋服を着せています。背中越しに「忘れ物はないわね」とワタシに声を掛けます。毎朝同じことを繰り返しています。一緒に玄関を出ると,お母さんは必ず「アッ,忘れた」とか言って,家に駆け込んでいきます。鍵であったり,財布であったり,携帯電話であったり,いろんなものを忘れます。

 お母さんはいつも忙しいのです。朝のお出かけのときも,夕方の帰ってきてからも,食事の用意や後片づけ,ワタシたちの面倒でてんてこ舞いです。昼間のお勤めのときのお母さんは知りませんが,家ではゆっくり座っていることはありません。それでも「太ってきた」とか言って,ワタシにお腹を見せてくれます。見せられてもどうしようもありません。

 お母さんが忙しいのは,何でも早く済ませてしまおうとするからです。パッパッと片づけようとするから,順序を間違えたり飛ばしてみたり,行ったり戻ったりしています。買い物から帰ってきて,買いに行ったものを買い忘れて,自分に怒っています。もっと落ち着いたらいいのに思います。

 しっかりしているようであわてん坊なお母さんを見ていると,手伝ってあげたくなります。でも,失敗してもめげることなく,一所懸命なお母さんが大好きです。ワタシも大きくなったら,お母さんのようなお母さんになれたらいいなと思います。そして,ワタシのような子どもに手伝ってもらって。

・・・できすぎた親でない方が子どもの夢を膨らませることもあります。・・・


 〇慣れ?

 日曜日のお昼,テレビを見ているとき,パパが「大きくなったら何になるんだ?」とワタシに話しかけてきました。「歌手」。「アレッ,前はケーキ屋さんになるって言ってなかったか?」。「ケーキ屋さんは止めたの」。「どうして?」。「どうしてでも」。

 「ところで,歌なんか歌えるのか?」。「歌えるよ」。「本当か?」。「上手なんだから,先生にほめられたこともあるくらい」。「そうか,どんな歌だ?」。「歌って聞かせようか」。「そうだな」。自分で伴奏を付けながら,振りを精一杯に付けて,歌いました。「すごいな,パパは歌はダメだから,ママに似たんだろうな」。

 「ママは歌えるの?」。「もちろん,上手に歌えるぞ」。ワタシはママの歌を聴いたことがなかったので,ビックリしました。「そうなんだ」と思ってママの方を見ると,ママは知らんぷりをしています。「ママはどんな声でどんな歌を歌うんだろう?」。

 思い出しました。ワタシがまだ小さかった頃,ママが子守歌を歌ってくれていたことを。耳元で優しく歌ってくれると,スーッと眠りに吸い込まれていきました。散歩をしているとき,ママとつないだ手を振りながら,一緒に歌ったこともありました。普段の何気ない暮らしの中に紛れて気がつかなかったけど,ママはたくさん歌って聞かせてくれていたんです。

 「歌います」と宣言して歌うのではなくて,そのときの気持ちに合わせて自然に歌が出てくるって,素敵。ママは本当に歌が好きで,好きだから上手に歌えて,それを聴いて育ったからワタシも歌が好きになったんだと思います。ワタシの中に歌を育ててくれたのは,ママだったんです。

・・・ママの隠れた才能が子どもの夢を引き出すこともあります。・・・


 〇型破り?

 ワタシはこのごろつまんないと思うことがある。だって,何かしようとしても,「それはダメ,いい加減にしなさい,きちんとできないの」と大人が止めさせるんだもの。ワタシだっていけないことが何かは分かっているから,もう少し信用してくれてもいいのに。

 大人って,何かしたらこうなるって決めてしまっているところがあるみたい。ワタシがママとお話ししているとき,ママは「でもね」って必ず思いとどまらせようとするの。ママは自分が決めている世界にワタシを閉じこめようとしてるのかしら。もっと自由にさせてくれないかな。

 ちょっとぐらい羽目を外してみたいな。図書館にある偉人伝を読むと,みんな普通と違ってどこか型破りなところがあると書いてあったけど,楽しいだろうなと思いました。いい子にしてなさいという言葉が時々とても窮屈に感じるけど,それは振る舞いが制限されていることよりも,気持ちが抑え込まれていることの方がつらいということかも。

 あのね,ママ。夢って,現実を超えることだと先生に教わったけど,それってマンガみたいなこと? こんなことができたらいいなって思うことがたくさんあるけど,それが夢なのかなあ。だったら,夢って楽しいよね。ママも夢を見つけたらいいのに。

 でも,夢のままだったら,それもつまんないし。今はできないけどいつかできるようになる,そう思うことができたらいいなあ。どうしたらそんな夢が見つけられるか,ママ,知ってたら教えて。「無理だから止めなさい」と言うのではなく,「難しいけど,こうしたらできるかもしれないよ」,そう言ってほしいなあ。

・・・創造する力は型破りなことを考えられる自由さの中に宿ります。・・・



《夢をくれてるとは,今を楽しく明日をより楽しく暮らすことです。》

 ○人が落ち込んでいたら慰めますよね。今を悲観し投げやりになったら,明日が消滅するからです。明日に期待をはめ込んでいるから,人は今日を精一杯生きられます。どうせ明日も同じ繰り返しと思うとやるせないですが,それが今日と同じで窮屈であれば,明日から逃げ出したくなります。

 大人になれば仕事ばっかりで楽しくないみたい,子どもがそう思ったら成長にブレーキを踏むようになります。自分の育ちは進むのに,もう一人の自分が抗えば,育ちは混乱し,心身の不調和が生じ,自滅の道を選ばざるをえない状況に追い込まれていきます。早くパパやママみたいになりたい,それが健康な夢なのです。


 【質問12-10:ママ,あのね。ママはワタシに夢をくれてる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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