*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-12 章」


『がんばりは がんばる人に 見えるもの』


 ■つれづれ

 今の子どもたちにとって,生活空間はどこにあるのでしょうか? 家庭? そこには自分の部屋がありますが,生活はありません。独りぼっちですから,自分の存在が感じられません。地域? 遊び場をぶらついていても,出来合いの場を訪れる旅人でしかなく,自分の存在感はあり得ません。

 家庭や地域からつまはじきされている子どもに残された空間は学校です。ところが,学校は授業を受けなければならないところ,同級生と仲良くしなければならないところ,決まりを守らなければならないところ,あれやこれやと押しつけてくるところです。かなり気分的には重苦しいところです。

 いじめなどが発生しやすい環境というものがあります。それは閉鎖的環境,他に逃れようのない環境です。例えば,シカトするいじめは出入り自由なところでは成り立ちません。そこにいるしかないという閉じこめられたところでないと意味をなしません。他のいじめも外に追い出すことはしません。側に置くことでいじめ抜くのです。学校でいじめが起こるというのは,子どもたちの心理が,学校に縛られている,学校以外に場所がないという閉鎖感に囚われているせいです。

 かつて,子どもたちは学校を仮の場所と意識していました。ちょっと勉強に行ってくればいいという程度の場所でした。自分の本来の生活空間は学校から帰ったあとの地域での子ども集団にあったからです。縦集団の中で自分の存在場所が実感され,人とのつながりが確固としていました。自分はこの地域の子というプライドみたいなものを持つことができていました。

 もちろん家庭も違っていました。自分の生活が家族の生活とリンクしていました。お手伝いといった生やさしいものではなくて,しておかなければ家族の生活が停止するほどのちゃんとした役割を担っていました。叱られて済むようなものではありませんでした。だからこそ,自分の存在が意識できました。

 学校しかないという状況は,追いつめられている状態です。大人の中に子どもの育ちは学校任せという傾向が強い中で,子どもは学校を忌避しようとし,行き場を失ったあげく,バーチャルな世界に逃れるしかないようです。早く救い出して確固とした居場所を与えてやらなければなりません。



【質問12-12:ママ,あのね。ママはワタシにがんばりを伝えてる?】

 《「がんばりを伝えてる」という意味を分かってあげましょう!》


 〇コツコツ?

 部屋中に衣類が広げられています。パパのや弟のやワタシのものもあります。「どうしたの?」。「入れ直しているのよ」。「どうして」。「夏のものと冬のものを交代しないといけないでしょ」。空にされた透明な衣装ケースがあちこちにあって,タンスの引き出しも引き出されています。

 衣類の小さな山がたくさんできています。足の踏み場もありません。ワタシがまたごうとすると,引っかかって山を崩してしまいます。「余計なことはしないの」って叱られちゃいました。こんなに散らかして,片づくのかなと心配になりました。「あっちに行って」と追い出されてしまいました。

 しばらくしてからのぞいてみると,ママは黙々と衣類を畳み直し衣装ケースに詰め込んでいます。全然片づいていません。防虫剤のにおいがしています。「ちょっとこちらに来てごらん」。ワタシを見てママが呼びました。「なあに?」。「いいから,こっちに」。側に行くとママは衣類の山のひとつから服を取り出して,差し出しました。「ちょっと着てみて」。

 「もう着られないわね。どうにもなっていないのに,もったいないこと」。「捨てちゃうの?」。「何かに縫い直してみようかな」。そう言って脇に選り分けました。一枚一枚何かを確かめるように広げて見て,しまっていきます。どれくらい時間が経ったことでしょう。ケースが埋まって引き出しにも詰まっていきます。

 「さあ,やっと終わった」。ママはゆっくりと背伸びをしました。衣類があんなにたくさんあったのに,すっかり収まっています。ママはすごいです。ワタシだったら途中で嫌になって止めちゃうことでしょう。面倒くさくなって,まとめてガーッと詰め込んだりして。ママは一つひとつ丁寧に畳んでいました。がんばりやさんです。

・・・コツコツとがんばれば,大きな仕事ができてしまうものです。・・・


 〇創作?

 ママが机に向かって座っています。原稿用紙が置かれています。鉛筆を持つママの手は止まっています。難しい顔をしてまっすぐに花瓶の花を見ていましたが,「もう〜」といいながら両手を広げて背伸びをしています。「何をしてるの?」。「作文をしてるの」。「どうして? 宿題?」。「そう,宿題」。

 実は,2週間ほど前に,ママに一つの封書が届きました。ママの通っていた小学校が30周年を迎え,記念誌を発行することになり,卒業生として思い出を書いてほしいという依頼でした。「どうして,私に」ってママは言ってましたが,パパが「書いてみたら」と勧めたのです。延ばし延ばしにしてきたのですが,いよいよ締め切りが迫って来たようです。

 いつもならテレビを見ながら泣いたり笑ったりしているママが,真剣に悩んでいます。ワタシが宿題で悪戦苦闘している気持ちが分かるでしょ。でも,「ガンバレ」って応援したくなります。なんだかママのがんばりが移ってくるようで,ワタシもがんばろうという気になりました。

 あのね,ママ。ワタシもこの前学校で作文を書いたの。家族っていう題だったけど,何をどう書けばいいのか,なかなか書き出せなくって困っちゃった。書き始めてもその次が続かなくって,何度も書き直したもの。自分で文章を考え出すって,とっても大変。

 ワタシも宿題を思い出してやっていたら,「できた」っていうママの喜びの声が聞こえてきました。振り返ると,ママは原稿をポ−ンと机の上に置いたところでした。読み返していたのでしょう。「もう書きあげたの?」。「そうよ」。「ママすごい」。「見直したでしょ」。「何を書いたの?」。「読んで聞かせようか?」。「聞きた〜い」。

・・・産むがんばりがあればこそ,仕上げたときの喜びがあります。・・・


 〇本気?

 運動会ではかけっこがあります。ワタシは早く走れないので,好きではありません。練習ではいつもビリです。半分くらいまではそんなに遅れないけど,ゴールに着く辺りではすっかり後になっています。明日は雨が降らないかなと思っていたときです。弟が「お姉ちゃんも運動会で走るの?」と尋ねてきました。

 「どうして?」。「ボクも一緒に走りたいな」。「ダメよ」。「どうして?」。「どうしてでも」。「つまんないな」。「何故走りたいの?」。「だってさ,ママがお姉ちゃんは走るのが遅いから明日行きたくないって思ってないかなって気にしてたから」。「それで?」。「ボクが一緒に走ってお姉ちゃんを押してあげるんだ。」

 スタートラインに立ちました。ドキドキしています。ドンの合図で走り出しました。みんなの間をまっすぐ前に走っていきました。半分くらい行ったところで,弟の姿が見えました。手を振り回しながら何か叫んでいます。体が熱くなってきました。ゴールに着いたのが分かりませんでした。息が弾んであえいでしまいました。

 「がんばったね」。並んで座っていると,横にいた子が耳元でささやいてきました。「ウン」。「今日はどうしたの,いつもと違って本気だったみたいよ」。「ちょっとね」。これまでは嫌だなあと思って走っていたけど,今日はただ一所懸命に走ろうと思っていました。これが本気なんだって,気が付きました。

 何着だったかって? ビリじゃなかったけど,そんなことはどうでもよかったの。がんばれた自分が一番! 弟が「お姉ちゃんかっこよかったよ」だって。生意気に。かっこいいって,本気になることみたい。そういえば,ママはいつも本気でお仕事しているから,かっこいいのかな?

・・・人は励まされて本気で取り組むことができるんですね。・・・



《がんばりを伝えてるとは,生きる力に火を付けてやることです。》

 ○何となく同じ毎日を過ごしていくのが暮らしです。それは大人の感じ方です。子どもは日々を新しい気持ちで迎えています。学校では新しい内容の授業に飛び込んでいきます。かけ算の九九を覚えたらそれで終わりではありません。次には割り算が待っています。漢字だって次々に湧いて出てきます。

 育ちの階段は決してスムーズではありません。小さな階段になっています。引っかかってつまずくこともあります。上れそうもないと諦めたくなる場合もあります。そんなときにがんばりを出せるかどうかが,育ちの有無になります。いろんながんばりを子どもに伝えてやって下さい。


 【質問12-12:ママ,あのね。ママはワタシにがんばりを伝えてる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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