*** 子育ち12章 ***
 

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「第 12-13 章」


『母さんが いてくれるから がんばれる』


 ■つれづれ

 最近の流行に女児の連れ去り事件があります。識者のコメントでは,今時の青年男子が同年代の女子とまっとうな交友関係を持てなくなっているために,少女に向かっていると指摘されています。若い女子が援助交際という売春交遊にうつつを抜かしているため,同年代の男子には見向きもしなくなっていると考えると,つじつまは合いそうです。

 精神保健関係の方の講演を聴くと,男子が母親に育てられていることに発端がありそうです。母親が男子に変な意味ではなくてオトコを期待して育てているせいで,男子は母親以外の女性を想定できなくなっているのです。イイオトコになることが将来の伴侶のためではなくて,ママのためになっています。

 これまでも男子は母親に似た女性に心を引かれるという傾向はありました。しかし,母親は母親として別格であり,よその女子に関心を持ちつきあいを重ね結ばれていきました。すなわち,仲睦まじい夫婦仲をしっかりと見せつけられて,母親は父親の伴侶であるということを納得していたからです。

 母親意識が妻意識よりも強くなっていると,母子のつながりが深まり,男子の女性への憧れが枯渇していきます。「うちの子はおくてで困る」と言いながら,実は密かに喜んでいる気持ちが母親にあるなら要注意です。息子を夫の空白を埋めるオトコとして引き留めておこうという深層心理が男の子を育てる上で障害になります。

 女の子の育てにも同じ側面があります。両親の仲が愛情豊かでないと,ママの気持ちを受け取って,男女のつきあいを愛情なんていう曖昧なものに託すことができなくなります。肝心なのは金のつながり,そんな世界に女子を送り出すことになります。情熱よりも情欲で金儲けした方がましといった打算に走るスタートラインは,家庭に引かれているのです。社会風俗とはそこに住んでいる人が自ら作り出すものです。社会のせいにしたら,卑怯です。

 前にも書いておきましたが,今の子育てが数十年後の我が子の道を決めています。ボタンの掛け違いは成人したときになって現れてきます。後悔は間に合いません。そのための羅針盤でありたいと願って,このマガジンを書き続けております。道筋さえ見えていれば怖いことはありません。一緒に考えていきましょう。



【質問12-13:ママ,あのね。ママはボクのことを可愛いと思ってる?】

 《「可愛いと思ってる」という意味を分かってあげましょう!》


 〇ボクのママ?

 ママなんて大嫌いだ。ママは「お兄ちゃんでしょ」って,いつも妹の味方ばっかりしてボクを叱るから。女同士で仲良くして。妹が庭に咲いている花を折ろうとしていたので,「ママの花だからダメ」って止めたんだ。そうしたら妹が泣き出して,ボクが叱られることになっちゃった。どうして?

 ママだってボクにダメって言うでしょ。ボクは泣かないよ。でももしボクが泣いたら,ママは「ママでしょ」っておばあちゃんに叱られるのかな。泣かしちゃったというだけでいけないことになるなら,ボクは妹が何をしようと構わずに放っておくことにしようと思う。

 ボクがママとお話ししようとしていると,きまって横から妹が割り込んできて,ママの膝に抱かれてしまう。妹だから仕方ないと思っているけど,寂しいな。この前ママが留守をしたとき,妹がぐずって困ったんだよ。何とかなだめて遊んで,やっとママが帰ってきたとき,ママは走り寄った妹を抱いて行っちゃった。

 あのね,ママ。ママはボクのことが可愛くないんだ。ボクのことをまっすぐに見てくれていないもの。「いたの?」って言われたことがあったけど,ボクがいちゃいけないみたい。パパ早く帰ってこないかな。でも,パパも疲れているし。

 ママ。弟を産んでちょうだい。そうしたらママを妹にあげる。弟だったらボクのことを頼ってくれるはずだから,ボクも寂しくなくなると思うんだ。妹のように可愛いいって構ってくれなくてもいいけど,誰かとつながっていたいんだ。それまで,時々はボクのママでいてほしいな。

・・・子離れは子放れとは違うということを分かってやって下さい。・・・


 〇脱皮?

 ご近所のおばちゃんが,ママと一緒に歩いているボクを見て「あら〜,可愛いわね」って頭を撫でるけど,ボクはもう嫌なんだ。ボクは男の子だから可愛くないんだ。小さい頃はほめられていると思ってうれしかったけど,もう大きくなったから分かっちゃった。

 男の子は腕白が自慢なんだよ。でも,ママは「可愛くない」って言うんだ。このごろママの手を焼かせているけど,「ボクは男の子だ」って分かってほしいからなんだよ。そうしないと,これまでずっとボクを可愛い可愛いって撫で回してきたママから逃げられないみたいなんだもん。

 あのね,ママ。ママのこと嫌いになったんじゃないよ。大好きだよ。でも,頼むからボクをオトコにして下さい。ママから見れば子どもだから,ボクのことを可愛いと思うのは仕方ないけど,ボクに可愛さを押し付けないでくれたらいいんだ。「女の子だったらよかったのに」ってママは思うかな。

 野球をしたりサッカーをしたり,ママはできないでしょ。パパは教えてくれるんだ。パパはボクよりも何倍もうまいんだ,ママは知ってた? 今度のお休みの日に公園で練習するってパパと約束したよ。うれしいな。はやく休みが来ないかな。ママも一緒に行こうよ。練習しているところを見せてあげるからさ。

 パパは格好いいね,ママ。ボクは大きくなったらパパみたいになるんだ。そうしてパパがいないときは,パパがしているようにママを助けてあげるからね。でも,そうなるまではまだだから,待っててね,ママ。きっとだよ。

・・・いつまでも可愛いと見ていたら,子どもはすり抜けていくものです。・・・


 〇振り返れば?

 「お母さん」。いつからこんな風に呼ぶようになったのだろう。「ママ」って言っていた頃が遠い昔になってしまった。はじめはどうしても「お母さん」と呼べずに,「ネエ」って曖昧な呼び方をしていたときもあったね。中学生になった頃だったかな。里帰りしたときにおじいちゃんから,「そろそろママは止めた方がいいぞ」って言われたことがきっかけだった。

 ママからお母さんに呼び方を変えたとき,ボクの中で何かがスッと抜けていったみたいだった。ママの可愛いボクからお母さんを支えようとするボクに。背伸びをした自惚れでしかなかったけれど,自分が一回り大きくなった自信みたいなものを感じたっけ。母との距離を自分の方から決めたという点で,生まれ変わりができたということかもしれない。

 多少うるさくってずいぶんと追いかけ回された母親だけど,それも母なりの可愛がり方だったんだろうね。親の思いを子は知らずなんて愚痴られたけど,子どもは親になったことがないから分かりようもないのが当然のこと。子どもにすれば子の思いを親は知らずと思っていたし,親は子ども時代を経験しているのにどうしてかなと不思議だった。親になった途端に自分の子ども時代を忘れてしまうのかな。

 親子はお互いに選べない関係で,逃れようがない関係でもあって,それだけに窮屈に感じるときもあると思う。うまくいかないときは放り出せたらどんなに楽かと思いながらも悩まざるをえなくなる。子どもは勝手だから短絡的に家出なんていう拙い選択に走ることもあるけど,親はやはり見捨てられずに何とかしてやろうという粘りが現れてくるんだね。

 母親は自分が産んだ子どもという絆を持っているから,母さんのようにボクがどんな子どもであっても丸ごと抱え込めたんだろうね。いろんなことがあったけど,可愛がってくれたことだけを思い出してしまうのは,ボクがお母さんの子どもだから,分身だからかもしれない。ありがとう,母さん。

・・・なんだかんだがあっても,子どもはやはり母親が愛しいのです。・・・



《可愛いと思ってるとは,愛が可なりという深い仲にあることです。》

 ○可愛さ余って憎さが百倍ということがあります。状況としては切ない男女の機微がふさわしいでしょう。ところが,これが親子の間にまで持ち込まれてくると,とんでもないことに至ってしまいます。親子の慈愛を恋愛感情とすり替えているからです。意識はしていないのでしょうが,気を付けなければなりません。

 若い男女は恋愛感情を成熟させて夫婦の情愛に達し,その先に親子の慈愛が成熟してきます。夫婦の情愛が充分に満たされずに不完全燃焼のままであれば,いつまでも慈愛の境地に入ることはできません。親子関係までも情愛のレベルで感じてしまいます。慈愛のレベルで可愛いと思えるお母さんになって下さいね。


 【質問12-13:ママ,あのね。ママはボクのことを可愛いと思ってる?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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