*** 子育ち12章 ***
 

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「第 13-02 章」


『育てたい 人の痛みを 知る子ども』


 ■つれづれ

 NHKの朝のドラマが,BSチャンネルで再放送されています。9月まで「こころ」という4姉妹の末っ子の話でした。童話を書きたいと願っている若い娘さんのお話でした。その中で一つのキーワードになる言葉が語られました。

 「赤ちゃんは誕生の際に,右手に夢を,左手に将来連れ添うことになる人の名前を握りしめてこの世に生まれてくる。ところが生まれてしばらくすると手のひらを開いてしまうので,二つの大事なものがどこかに飛んでいってしまう。赤ちゃんはその失われた夢と伴侶を求めて,育ち生きていこうとするんだよ。」

 人はそれなりの夢に向けた手がかりを見つけ,自分にふさわしい伴侶と結ばれて,スタートラインに着くまでの育ちの期間を終了します。そこから人としての本当の人生が始まります。青春時代は二つの宝物を手に入れようとするときめきに満ちたときです。親はその育ちを見守ることで,親としての喜びを得ることが出来ます。

 ところで,夢と伴侶という二つの宝は,ドラマ「こころ」の作者が意図していたかどうか分かりませんが,とても大事なメッセージに思われます。夢とは自分の育ちの目標,伴侶とは他者との関係の中に自分を結びつけるという目標を例示しています。人は自分自身を常に向上させることはもちろん,同時に他者との円満な関係を築くことで生きることができます。自分勝手であると,人としての前提が満たされないということです。

 人が生きていく上で,愛という大切なものが不可欠です。愛とは他者との理想的な関係です。もっとも根元的な愛は親子愛です。愛のふるさとは母子関係にあるということができます。しかし,愛の宿命として,その対象の広がりが求められています。隣人にお裾分けができるようになってこそ,愛の価値が輝きを発するものです。



【質問13-02:お子さんは,人まねをしようとしてはいませんか?】

 《「人まねをする」という意味を理解しましょう!》


 〇《指針1−2》私は誰?

 前号で,育っているのはもう一人の子どもなのだと考えました。日記を書くときには,もう一人の自分が「自分は何をしたか,感じたか」を見つめます。自分を見ることのできるもう一人の自分がいるのです。自省とか,客観的に自分を見つめるという行為です。

 自己紹介をするとき,氏名,住所,性別,年齢などを明らかにします。いわゆる個人を確定する要素であり,それらを秘すと匿名者となり,無責任な行動に走りやすくなります。社会的な存在でなくなるわけです。この社会で生きていくためには,人とのつながりを確かなものにしなければなりません。例えば,世間では初対面であれば,お互いに名刺を交換します。どこの誰という名乗りによって相手の理解を得ることが最低限の要件なのです。

 同じことは,もう一人の自分が自分を理解しようとするときに起こります。まず自分の名前を覚えます。名前とは元々は他人から呼ばれるために必要なものであり,普段に自分が使うものではありません。だからこそ,もう一人の自分が自分を見るときには不可欠な拠り所になります。

 次は住所です。住所不定の者はまず他人から信用してもらえません。それはただ単に住居がないということではなくて,人との確かな関係がないという意味です。連帯保証という制度があることからも分かるように,人は人とのつながりがあってこそ,認知されるのです。

 私はこの両親の子どもである,このファミリーの一員という人脈の中ではじめて,もう一人の子どもは自分を確定することができます。独りぼっちであることの恐怖は,自分が何者であるかという確信が持てなくなることから発生します。定年後に人脈から外れた虚しさは,自分の存在価値すら認知できなくなることなのです。

・・・もう一人の子どもは,他者とのつながりの中に自分を見つけます。・・・


 〇自他の認識?

 もう一人の自分が自分に目を向けたとき,「私は何者?」という自問が湧き上がります。もう一人の子どもが生まれるのは,一般に言われている親離れの第一段階なのです。一心同体であると思っていた母親と自分は別の存在であることに不安になります。初めての孤独感を味わいます。

 自分は何者かという確かな縁(よすが)があれば,落ち着くことができます。その最初のものが,自分の名前です。猫ではありませんが,「名前はまだない」ということであったら,自分をしっかりとつかまえたという感じはしないでしょう。もちろん,幼い子どもがそこまで思い詰めるようなことはありませんが,その他大勢の中の自分でしかないという認識は,自分が意味のない存在ではないかという恐れを生みます。

 例えば,「可愛いわね」と言ってもらえる自分があれば,もう一人の子どもは可愛い自分が好きになります。しかしながら,いつまでも可愛いだけでは,物足りなくなります。育ちが進み知恵がついてくると,もっと別の「自分らしさ」を知りたくなります。最も分かりやすい方法は,他者とは違う自分を発見することです。

 兄弟姉妹がいたら,お兄ちゃんとかお姉ちゃんという看板を掲げることができます。「自分はお兄ちゃんだ」という自意識です。「私は女の子」という看板もあります。ボクは○○幼稚園の何組とか○○小学校の何年生という看板もあります。いろんな形の「私は○○です」と言えるものを持てばいいのです。

 このような自分自身のイメージは,他者との対比の中にあります。ということは,他者をしっかりと認知しなければなりません。男がいるから,女がいるということです。弟がいるから,お兄ちゃんなのです。いろんな友だちがいるから,いろんな自分を発見することができ,自分を幅広く知ることができ,自尊心がしっかりと根付いてきます。

 今の子どもたちは自意識が弱くなっています。他者との関係が希薄になって,自分と他者をしっかりと対比できないからです。対比の意味を間違って教え込まれているせいかもしれません。優劣であるとか,強弱であるということにこだわりすぎて,他者を恐れ忌避しようとしています。その悪しき現れがいじめにつながっていきます。素直に違いを見て取れば,自分の姿を自覚できるはずです。

・・・子どもが育つ核となる自尊心は,他者を認めた見返りです。・・・


 〇人まね?

 子どもは周りの人と自分を対比させることで自分を作り上げていきますが,やがて種切れになっていきます。次の段階として,自分を憧れの対象に近づけようとし始めます。幼い向上心です。男の子であれば,アニメのヒーローの仕草をまねることでヒーローになりきっていますね。女の子であれば,家族の前でアイドルの真似をして見せてくれます。

 絵本を読んでやると,お気に入りの登場人物になることで,絵本の世界に入り込んでいきます。不思議の国のアリスという話が,読み継がれている理由は,面白さもさることながら,その設定にあります。主人公の少女が不思議の国にスルッと入り込んでいきます。現実にはあり得ないことですが,現実には起こっていることなのです。この読者の直感を見事になぞっているから,素晴らしい本として評価されているのです。

 自分という現実は本の世界に入り込めませんが,もう一人の自分はあっさりと不思議の国に入っていけます。ごっこの世界とは,もう一人の自分が自由自在に何にでもなれるからこそ可能です。もう一人の自分は他者を疑似体験することで他者を理解することができ,自分を客観的に見るバランスのとれた視点を獲得できるようになります。このプロセスが,読書をすればするほど豊かな人になれるという秘密です。

 もう一人の自分は,いろんな人になってみる試行錯誤の中で育ちの目標を設定して,それに向けて自分を育てようとします。子どもに「大きくなったら何になりたい」と質問することがありますね。そのとき答えてくれているのが,もう一人の子どもなのです。

 子どもを育てているのはもう一人の子どもであり,親が育てているのはもう一人の子どもです。親が子どもを育てようとあれこれしつけをする際に,このことを忘れないようにして下さい。子どもの気持ちを考えるようにといわれるのは,もう一人の子どもの存在を大事にしようという意味のアドバイスなのです。

・・・もう一人の子どもは,人まねにより育ちの目標を試しています。・・・



《人まねをするとは,自分の将来像をデッサンしようとすることです。》

 ○思いやりとは,相手の身になることですね。それができるのは,もう一人の自分です。自分以外の人も自分と同じように生きていると思い,また自分と相手を客観的に眺めることのできるのは,もう一人の自分です。思いやりのある子どもに育てるためには,もう一人の子どもをしっかりと育てることです。

 少年たちが示す問題行動は,もう一人の子どもが周りにいる赤ちゃんからお年寄りまでの多様な人との接触をしていないので,真似ごっこによる疑似体験の機会を持てず,片寄った人間像を持つことに一因があります。ゲームなどに登場する仮想的な人物しか疑似体験していないと,当然のこととして現実世界では通用しません。


 【質問13-02:お子さんは,人まねをしようとしてはいませんか?】

   ●答は?・・・なるべく適えるようにしていますよね!

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