*** 子育ち12章 ***
 

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「第 13-05 章」


『育てたい 言葉遣いの きれいな子』


 ■つれづれ

 ご近所の防犯力が薄れてきて,検挙率も凋落しています。子どもを育てる環境は劣悪になっています。親としては心配です。何を心配すればいいのでしょうか? 一つは子どもが被害者になるかもしれないということ,もう一つは子どもが加害者になるかもしれないということです。

 ご近所づきあいが希薄になって,地域の抑止力が脆弱になっています。同時に,何らかのことが起こったときの市民レベルの情報網が機能不全に陥っています。心配な状況を作っているのは,誰のせいでもなく親の暮らしぶりの必然的な結果です。近所の人と挨拶も交わさない,それは自分の家庭を守ってくれるはずのバリアに穴を開けていることなのです。

 安全は自分の手で組み上げるものです。何も小言幸兵衛を気取るつもりはありません。その現実を弁える勇気を持つことが親としての大事な役割と気がついて欲しいのです。保護者という名前に恥じない行動をするだけでいいのです。ご近所との人間関係を持てないことは,丸裸になるようなことなのです。

 しつけは先生に,食事はコンビニに,衣服はブランドに,防犯はお巡りさんに,勉強は塾に・・・。地域二日制で帰ってきた子どもは,地域の大人が引き受けることになりますが,親は地域の大人にはなりたがりません。私は忙しいと言っていれば,親の役目が果たせると思っているのでしょうか? 子どもはいったい誰の子でしょうか?

 もちろん,皆さんはそんな親ではないと厳重に抗議なさるはずです。皆さんのような地域の親が一人でも増えていけば,状況は必ず好転します。子育ては親たちが子どもたちを育てることであると誰もが思うようになったら,もっと子育ては楽になります。かつてはそうであったのですから,できないはずはありません。



【質問13-05:お子さんは,言葉を尋ねようとしてはいませんか?】

 《「言葉を尋ねる」という意味を理解しましょう!》


 〇《指針3−1》いつ育つ?

赤ちゃんが育って幼児になり,児童になり,生徒になり,学生になり,社会人になっていきます。その最初のステップである赤ちゃんからの卒業は,「ママ」という言葉を発したときです。泣きわめくだけで得体の知れない存在であった赤ん坊は,周りとコミュニケーションできる言葉という道具を手に入れたとき,人として仲間入りします。

 言葉は共感のための手段です。自分を相手に分かってもらいたいという欲求が,言葉を作り出しました。そこには,自分と相手の二人の世界があり,それを想定することのできるもう一人の自分が登場します。あるいは,話し相手が誰もいないときに自分は独りぼっちだと思うのはもう一人の自分です。

 子どもが何も話さないと,子どもを見ているのに,子どもが見えないという思いをされるはずです。分かり合いたい相手とはもう一人の子どもであり,もう一人の子どもが言葉を使っていると考えてみて下さい。言葉をしゃべるようになる時期と物心が付いてくる時期は,こうして同じ時期を指していることになります。

 第二の誕生をしたもう一人の子どもは,やはり母親から第二の母乳を摂取して育ちます。第二の母乳,それは母国語である言葉です。言葉を記憶し使えるようになったとき,もう一人の子どもが成長をしていきます。いつ育つのか? それは言葉を覚えたときです。おしゃべりが得意なのは女性の方ですが,母親の性だからです。

 言葉が幼稚であると人としての育ちも幼稚であると思われることがありますが,人にとってそれだけ不可欠なものと思われているからです。しつけの悪い子どもはどんな子どもか? それは言葉遣いがちゃんとできない子どもと一般には考えられています。食べさせるものは食料だけではなく,言葉も豊かに与えなければなりません。

・・・もう一人の子どもは言葉を覚えたときに育っています。・・・


 〇分かりたい?

 学習の面で,国語はあらゆる教科の基礎であるといわれます。国語は普段使っている言葉について学ぶ教科であるため,それほど大事なものという意識が湧いてこないこともあります。勉強としては読み書きの反復練習から始まるので,言葉を学んでいるという実感が脇に追いやられてしまいがちです。

 知恵という面で考えると,言葉を知っているかいないかは,知恵を持っているかいないかと同じことです。知恵とは分かることです。言葉を知れば分かりたいという本能が満たされていることに気付き,子どもは驚くほどの速さで母なる言葉を吸い込んでいきます。ときには苦い言葉も口にしてしまいますが。

 あれは何? 動くものを目に留めると指差して必ず尋ねます。バスや電車,犬や猫,トンボやスズメ,・・・。母の口から発する言葉に聞き耳を立てて,自分の口で何度も言ってみます。母と子どもの言葉のキャッチボールです。そのためには,母と子どもは同じものを見て,同じ気持ちでいなければなりません。

 言葉にすることで,見たもの聞いたことが記憶として格納されていきます。図書館に行かれたことがあるでしょう。膨大な知識が言葉として蓄積されています。同じように人の体験が脳の神経ネットワークに言葉のパターンとして記憶されています。言葉にしないと記憶のしようがなく,利用することもできないのです。

 幼児に黄色の蝶を見せた後,その蝶をたくさんの蝶の中に混ぜ込んでどれかを指差させる実験がありました。正確に指せた幼児は「黄色」という言葉を知っている子でした。黄色の言葉を知らない子は「黄色の蝶」と記憶できないからです。大人は意識して言葉を使っていないので気がつきませんが,言葉の力はすごいのです。

・・・人としての知恵は言葉として記憶されていきます。・・・


 〇表現力?

 聞き覚えた言葉を口に出すときに,始めは単語ですが,やがて単語の羅列になります。「お外,犬」といった調子です。この言葉をつないでいく時期に,じっくりとつきあってあげないと言語生活が貧しくなり,もう一人の子どもの育ちも滞るようになります。「お外に犬がいるのね」という文章表現を教えなければなりません。

 モノを指示するには単語で済みますが,思いや気持ちなどを表現してコミュニケーションするためには,言葉をつながなければなりません。その訓練が現在の家庭では疎かになっており,そのせいで若者が人付き合いを苦手にし,ひいては自分の感情表現が滞るようになっています。

 「お腹空いた」。こういう言い方は捨てゼリフであり,独白でしかありません。人に気持ちや願いを伝える形式が整っていません。でも,家庭では通じていませんか? それが訓練不足なのです。捨てゼリフを聞き取ってやってはいけないのです。放っておきましょう。「お母さん,私はお腹が空いたので,何か食べるものがあったらちょうだい」。誰に向かって希望を伝えるようとしているのか,それがちゃんと話せたときに,聞き届けて下さい。

 日頃から言葉をつないで文章表現に慣れていることが,言語力になります。若者が本を読まなくなったのは,文章表現に馴染んでいないので,ついて行けないからです。「ムカツク」。感情をその一言でしか表すことができないから,いつまでもウジウジとくすぶってしまいます。文章による表現力はもう一人の自分の生きる力を支えてくれているのです。

 人前でちゃんと話すことができますか? おしゃべりはいくらでもできるのに挨拶一つちゃんと言えない,ということはありませんね。子どもは家庭で習い覚えた言葉遣いを母親に試してみながら,「これでいいの?」と尋ねていると思って下さい。どこに出てもちゃんと言えるように,きちんとした文章表現を教えてやって下さい。繰り返しますが,母親は言葉の先生なのです。

・・・頭の良さ,器量の良さは言葉遣いに掛かっています。・・・



《言葉を尋ねるとは,もう一人の子どもが育ちたいからです。》

 ○言うことを聞いてくれないお子さんを前にして,じれったい思いをするのは親の常です。大人はこうだからこうしなさいとあれこれ考えた上で,子どもに言葉を掛けます。でも子どもにはこうだからという理由の部分は分からないと判断して,説明を省いてしまいます。

 子どもに伝えたつもりですが,伝わりません。それは大事な部分を言わないからです。たとえ子どもには理解できなくても,何かわけがあるみたいということは伝わるはずです。分からないから言わないのではなくて,分からなくても伝えようと考えてちゃんと話してやりましょう。伝えたと伝わったとは違うんですよ。


 【質問13-05:お子さんは,言葉を尋ねようとしてはいませんか?】

   ●答は?・・・なるべく適えるようにしていますよね!

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