『育てたい 誰ともちゃんと 話せる子』
■つれづれ
小中学生の作文を選考委員長として読む機会がありました。全体の印象としては,細部の説明は高学年ほど詳しくなっているのは当然として,話の進め方に年齢の差は見られないということでした。着眼点から展開を経て結論,いわゆる起承転結というパターンは,小学生低学年でもしっかりとこなせていました。
お年寄りのことに触れた作品が数編ありました。お年寄りは身体が弱くなって思い通りにできないことが増えてくると思いやっていますが,そこからが幼い発想につながります。年を取るのはイヤで,今のままでいいと思いますと感想を述べています。自分の将来を暗いイメージに思い定めてしまうと,育ちのアクセルを踏まなくなります。大人になりたくないというブレーキです。
近くに生き生きと暮らしているお年寄りがいてくれれば,子どもの育ちへの意欲はフルに発揮されるはずです。お年寄りはすごいなという明るい将来イメージは,子どもにとってはとても大事なのですが,形として世代の断絶が進んでいる暮らしぶりでは失われてしまいました。ご近所におられるお年寄りと仲良くすることです。
バスに乗っていてお年寄りに席を譲ろうと思ったけど,同年代の目が怖くてできなかったと悔やんでいる話がありました。子どもにとっての世間とは同年代に限られているようです。大人たちの支える目を身近に感じさせていないことを気づかされました。
ところで,続きがありまして,お年寄りの方から「席を譲ってほしい」と言ってくれればいいのにというのです。言わないと分からないでしょ,そんな風に育てられているのかもしれません。思いやりは求められてすること,子どもたちがそんな風に思っていくとしたら,子育てはどこか間違っているようです。
【質問13-06:お子さんは,人の話に入ろうとしてはいませんか?】
《「人の話に入る」という意味を理解しましょう!》
〇《指針3−2》どういうこと?
いつの間にそんな言葉を覚えたのという驚きは,子どもを育てていると必ず体験します。子どもは周りで聞こえる会話に聞き耳を立てています。耳に入ってくる人の声が何らかの意味を持っていることに気づくと,短いひとつながりの音声を単語として聞き取ろうとします。
同時に,その音声がどういうことかを覚えなければなりません。一つひとつを逐一口移しに教えてはもらえません。そこで,どういう局面で使われるかをじっと見聞します。もちろん,ものの名前の単語などは見ている現実に重ねられるので,自然に覚えていきます。それが言葉の力への入り口になります。
子どもがひらがなを覚えた頃に,看板や新聞やチラシなどの文字の漢字を飛ばして読むことがあります。何のことか分からなくても読めることが楽しくてたまらないのですが,同じように知っている単語を大人の話の中から聞き取って,部分的にでも分かっていきます。しかし,分からない言葉もたくさんあります。
何度か聞いているうちに,何となく意味を掴むことができます。自己流ですから,ちょっぴり意味がずれることもあります。そんなことを一々気にはしません。最初はおおざっぱでいいのです。この時期に親が細かく注意をして直そうとすると,分かる喜びに水を差しますので,ほどほどにした方がいいのです。
言葉に対する好奇心は,もう一人の子どもの食欲に相当します。言葉を覚えるごとに育っていると思っていれば間違いありません。赤ちゃんの頃には何でも口に入れて食べられるかどうかを確かめていますが,もう一人の子どもも言葉を手当たり次第,いや耳当たり次第取り込んで味ならぬ意味を探っているのです。ですから,聞かれていいようにきれいな言葉をそこら中に撒いておいてください。
・・・もう一人の子どもは言葉に対する食欲が旺盛です。・・・
〇聞いて欲しい?
ママがご近所の方と立ち話をしているとき,子どもが割り込んできます。言葉を使って自分の思いを分かって欲しいと思っているだけで,邪魔をしようというつもりはありません。会話の流れに乗るためには,話を聞き取って,今自分は何を話せばいいのかを理解しなければなりませんが,そこまでの力はありません。
その場の内容には無頓着で,子どもは自分の都合で話そうとするので,大人の方は話の腰を折られることになります。邪魔になるので,「後で聞いてあげるからね」と遮ります。子どもにとっては,このような話してみたいというスタートの時期に十分に受け容れてもらうことが大切です。曲がりなりにでも人とお話ができるという喜びを刻んでおかないと,話すこととはそれほど意味のあることではないと刷り込まれてしまいます。
言葉は自分の周りを理解し,自分の気持ちを表すことだけではなく,それを人に伝えることができる道具なのです。コミュニケーションという言葉の最大の喜びは,人としての育ちに導いてくれる大切なものです。独りぽっちになるとつらくなるのが人の本能ですが,それを解消してくれるのが誰かとの会話であるということからも,言葉は人であろうとする上で不可欠なものと実感して頂けるでしょう。
テレビから言葉を覚えている子どもは,言葉そのものの数はたくさんもっているかも知れませんが,コミュニケーション能力は育ちません。テレビは会話をしてくれないからです。話したことに答えてくれません。会話とは話せば聞いてくれて,次の言葉が返ってくるから自分も聞くということで成立していきます。
今の子どもたちは話すことは話しますが,聞いてもらおうという話し方ではありません。相手に伝えようとしていません。言い放しです。会話の訓練が疎かになっているからです。子どもが大人の話に割り込んでくるのは正常な育ちと考えて,普通に受け容れてやり,ちゃんと会話をしてやるような豊かな会話環境が大事です。
・・・人として育つためには,会話能力の訓練が必要です。・・・
〇学力?
人がものを理解する機能は,飛び込んでくる情報を言葉というラベル付けで区分けできるかどうかということです。ですから,言葉を持ち合わせていないと,情報の処理ができないので,理解もできないということになります。たとえれば,情報の文字化けが起こってしまい,単なる雑音として処理されてしまうのです。ところで,この区分けという作業は準備段階に過ぎません。
外国人のしゃべり方を真似する時に片言言葉になります。言葉の覚え始めに通るプロセスです。いろんな単語をバラバラに覚えていきます。話す時には「て,に,を,は」無しで並べます。言葉をどのように並べればいいのか,その配列のできる力が学力の源泉であると知っておいてください。てにをは,というルールはものごとを認識し整理する基本形式を表しているのです。
言葉の先生であるママは,言葉の名人です。でも,名人は必ずしも良い指導者とは言えないこともあります。「ちゃんと言いなさい」と言われても,「ちゃんと」という言葉が子どもには理解できないので伝わりません。手本としてちゃんと話してみせなければなりません。簡単に言えば,てにをはの具体的な形を見せるのです。
前号でも書いておきましたが,単語表現ではなくて,文章表現にするということです。「お水やったの?」ではなくて,「あなたは,朝起きて,花に,水をやりましたか?」という文章的な表現に馴染ませてやってください。それがちゃんと話すということであり,言葉のつながり方を通して伝わる形式を伝授してやることです。
最近話題になっている学力の低下とは,言葉をつなぐ力が衰えていることに原因があります。考える作業は,煎じ詰めていけば,言葉をどうつなぐかという作業でしかありません。今の子どもたちの言語能力はまさに辞書的なのです。言葉はたくさんあっても機械的に並んでいるだけです。言葉をどのようにつないでいくか,その作業訓練として「体験学習や総合学習」が位置づけられているのですが,その辺りの説明はいずれ取り上げるつもりです。
・・・学ぶ力とは言葉を組み上げる力と同義です。・・・
《人の話に入るとは,言葉の伝わる力を育てようとしているからです。》
○言葉について考えてきましたが,文字については触れられませんでした。表現・記録・伝達の手段として使われる文字ですが,言葉を身につける育ちの一環として備わるものと見なしておきます。漢字に込められている意味を学ぶことも,ものごとを理解しようとした古人の叡智を知る参考になります。
一言多かったり,一言が足りなかったりすることで,コミュニケーション全体がぶちこわしになることがあります。言葉は過不足なく積み上げられなければ,きちんとした内容理解にはなりません。言葉をつないでお伝えしようとしている内容が皆様にちゃんと伝わっているか,難しいと思っています。
【質問13-06:お子さんは,人の話に入ろうとしてはいませんか?】
●答は?・・・なるべく適えるようにしていますよね!