*** 子育ち12章 ***
 

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「第 13-07 章」


『育てたい 手を動かして 楽しむ子』


 ■つれづれ

 「下手な芸人の道具集め」という諺があります。下手な芸人は自分が下手なのは道具が悪いからだと考えて,あれこれと道具を集めるようになるという意味です。自分のことを棚に上げる愚かさを自戒するつもりで言い伝えてきたのでしょう。諺は,人を中傷し,あざ笑うためにあるものではありません。

 似たようなことはざらにあります。物事がうまく進まないとき,あれがないから,あの人が助けてくれないからと,周りに原因を押し付けようとします。心理学的には自分の身を守るために防衛本能が機能すると説明されます。自分を責めるのは辛いことですから,誰でも避けようとしますが,そのためには別の理由が必要です。

 このことは人としては弱みになります。だからといって,この弱みを恥じる必要はありません。大人はじっくりとつきあって生きています。だからこそ,がんばることができるのです。このがんばりのコツを子どもに確実に伝授することが疎かになっていないかと心配です。

 子どもの前で愚痴ばかりこぼしていると,子どもに愚痴る癖が感染します。学校が悪い,友達が悪い,あげくは親が悪いとエスカレートします。好きな人と一緒になるのに家族が邪魔だから抹殺しようという,とんでもない道に迷い込んでいきます。

 人は自分のできることを見つけなければ生きられません。周りのせいにしたら,自分が正しくできることを見失います。周りは自分の力ではどうにもならないものであり,それを何とかしようとすれば必ず無理無体になり,結局は人権を侵すことになります。人にできるのは,自分を何とかすることでしかありません。能力というのは,自分を何とかしようという願いによって身に付くものです。生きることは自助努力であるとしつけられたら,子どもは健全な育ちをするはずです。



【質問13-07:お子さんは,あれこれやろうとしてはいませんか?】

 《「あれこれやる」という意味を理解しましょう!》


 〇《指針4−1》何が育つ?

 ちょっと目を離したすきに,子どもは思いもしないことをしでかしています。考えられないこと,大人はそう言いますが,子どもは考える力が未熟ですから,考えてはいません。そんなことをして何が面白いの,そう言いたくなるようなことを嬉々としてやっています。ちゃんと意味はあるのです。

 テレビを見ていたら,子どもの仕草について話している場面がありました。どうして子どもは押入に入りたがるのか? それは自分の大きさを確かめようとしているから。どうして子どもは引き出しを開けたがるのか? それは中が見えるという新しい視界に転換することが楽しいから。どうして子どもは人差し指でボタンを押したがるのか? それは指を使って何かができることが面白いから。

 大人が子どもの行動をつまらないこと,バカなことと見るのは,結果で考えているからです。そんなことをして何になる?というわけです。子どもは結果よりも,できるプロセスに関心を持っています。こんなことができるんだ,こうすればいいんだ,こうなっているんだ,いろんな体験をすることで,環境を学ぶと同時に,関われる自分の能力を見つけているのです。

 もう一人の自分が自分という超高精密な生き物を試運転しているようなものです。自分の中に組み込まれている性能をチェックしていると思えばいいでしょう。現実の環境と関わる能力を選別していきますが,その作業が何が育つという問に対する答えです。これから生きていかなければならない環境に適合できる能力を自分の可能性の引き出しから棚卸ししています。

 試運転とは,普段とは違ったいろんなやり方を試しながら,最適な方法を探し出す作業です。こうすれば失敗するという体験をしなければ,適切な方法は見つかりません。失敗は成功の元とは,子どもの能力開発の鉄則でもあります。

・・・もう一人の子どもは,最適な潜在能力を選び出すことで育ちます。・・・


 〇指使い?

 若者は親指を器用に使って携帯メールを打っています。端から見ていると,感心させられます。これまで人が使ってきた機器では,ボタンを押すという作業は人差し指が担当するのが普通でした。今までにない親指使用という指使いがどのような能力を開発するのか楽しみです。

 人は手,特に指を器用に使うことで知恵を獲得してきました。ハードである十指を微妙に動かすには,超高精度のソフトが必要です。触覚から力の程度を検知し筋力をコントロールしながら動かすという複雑な動きをリアルタイムで瞬時に計算し実行します。そのソフトは膨大な作業手順が順序よく組み上げられています。

 知能とは,これをしたら次はこれという一連の手順の総体です。こうしたらこうなるという理屈通りにつながっていなければなりません。体験することで検証しながら知能というソフトを書き上げることができます。こうして体験を整理した膨大なソフトは神経回路として定着し,論理回路という機能を持つようになります。

 ちょっと堅苦しい話に入り込みましたが,仕事は手で覚えるという庶民の知恵は確かな裏付けがあるということです。あれこれやってみることでいろんなことを覚えますが,そのソフトはそのまま多方面に転用できるものです。一芸に秀でたらあらゆることが処理できますが,基本はおなじだという例証です。

 家の中で出会う経験は便利で手軽でなければという理由で簡素化されていますが,外で遊ぶという体験ではあらゆる方面の体験に直面させられます。やったことがないことはできませんが,やったことがあることは何とかこなせるものです。たくさんのやったことから,それに対応するフリーソフトをインストールしているからです。体験の差,それは知能の差を産み出していくのです。

・・・人としての能力は,あれこれの経験の多寡に左右されています。・・・


 〇できる?

 何が育つのかという問に対して,一言で答えるなら「能力」です。能力とは,平たくいえば「あれこれができること」です。この「できる」ということについて,しっかりと理解しておかなければなりません。なぜなら,できる子を勉強ができる子と勘違いしているために,子育てが偏向する羽目になっていたからです。

 畳の上での水練,という言葉があります。言うばっかりで何もできないという批判の言葉もあります。その構造を解き明かしておきましょう。もう一人の子どもは言葉を覚えて育つと言っておきました。つまり,もう一人の子どもは言葉で知るという知識システムとしてのソフトです。できるという現実世界における機能は,ハードとしての自分に備わるものです。自分とはパソコン本体や周辺機器に対応します。

 ソフトとハードが一体化してはじめて,さまざまな機能が実現するのと同じで,もう一人の自分が自分と一体になることによって,できるようになります。情報化の中で子どもたちは知っていますが,できる力にはなっていません。生きる力と表現されている力も,できる力のことです。能力とは,この一体化の完成なのです。

 自分の体験によってもう一人の子どもが知恵のシステムとして育ち,同時にもう一人の子どもの力を自分の力として発揮できるように自分が育つのです。練習や訓練という行程が,自分を育てる作業に相当します。思うようにならないのは,自分のできる力に完成していないということです。未熟さとは,この一体化における育ちの途上にあるということです。

 夢というのは,もう一人の自分が思い描くことです。それを実現できるのは自分なのです。1%のひらめきと99%の汗が創造の公式であるとするなら,汗をかくのは自分であると気づかない限り,夢の実現は不可能です。バーチャルな世界に片寄っていると,できる力を発揮するはずの自分をないがしろにすることになります。生活している自分を脇に置いていたら,決してできる力は得られません。

・・・能力とは,もう一人の自分と自分が協働した力です。・・・



《あれこれやるとは,できる力を見つけ獲得しようとする訓練です。》

 ○子どものうちはあれやこれやに手を出します。何をやっても長続きしないという嘆きの声が向けられるかもしれません。でも焦らずにじっくりとつきあってあげて下さい。子どものうちにあれこれやっておかないと,もう一人の自分は自分を見つけることができません。

 これまでの話の中では,もう一人の子どもの育ちが中心でしたが,ここで子ども自身との共育ちが出てきました。現在の子どもの育ちで不可解といわれる事象は,もう一人の子どもだけが勝手に育っているからです。自分を置き忘れているから,生身の生きているという感覚を持ち得なくなっています。幼い子どもではまだそんなことはありませんが,中高生ぐらいで表立ってきます。17才頃の危険な時期は,そんな背景があるのです。そのときは手遅れです。


 【質問13-07:お子さんは,あれこれやろうとしてはいませんか?】

   ●答は?・・・なるべく適えるようにしていますよね!

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