*** 子育ち12章 ***
 

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「第 13-10 章」


『育てたい 友の笑顔を 喜ぶ子』


 ■つれづれ

 地域の恒例行事であるソフトバレーボール大会を応援に行きました。昨年は役員としてお世話したこともあり,途中からでしたが観戦と応援に参加しました。試合成績の方は前半を終わった所で2位という成績で,このままでいけば,ビールを1ケースと体育館掃除という賞品がもらえます。因みに1位は便所掃除が与えられます。

 ボール扱いは相変わらずトボトボで,拾えるボールが少ない有様です。足が動かずにすとんとあっけなく抜けていきます。受けたボールは誰もいない所を選んで上がっていき,ラリーが続かないのです。ミスの少ない方が勝ってしまうといった試合運びです。見合ってしまうことも数知れません。笑うのを忘れます。

 見ている方は,ああしたらこうしたらと思います。よく見ると,選手の人も「こんなはずでは?」と苦笑いをしています。自分の思い通りにならないボールに,じっと手を見る,という状況です。どうしてちゃんとボールコントロールができないのか,内心はコートの内外ともにイライラしています。

 昼食時間に小学生3,4年生の女の子たちがコート内でボール遊びをしています。大人よりボール扱いが上手です。ポーンと軽々ボールが宙に舞い上がります。しかしながら,よく見ていると結構ミスをしています。不思議なことにそのミスを和やかな気持ちで眺めている自分に気づいてしまいました。試合ではないためばかりではありません。

 子どもはミスして当たり前と思っているからです。ミスしていいと思っているから,うまくできたときは心から「よくできた」と思うことができます。大人の場合にはできるのが当たり前と見ているので,できないとイライラしてしまうようです。子どもを育てる目に気づかされた一日でした。



【質問13-10:お子さんは,人を喜ばせようとしてはいませんか?】

 《「人を喜ばせる」という意味を理解しましょう!》


 〇《指針5−2》よかったね?

 子どもは天真爛漫? そう信じていたのに,現実にはクレヨンしんちゃんも負けそうな悪ガキ? でもやはり,子どもに悪気はありません。良くも悪くも純真です。家族の中では,可愛さが勝って大目に見ていられますが,こと大っぴらな事柄になるとそうも言っていられません。しつけという導きが必要になります。

 子どもは本来ママが大好きです。その気持ちをしっかりと受け止めて,もう一人の子どもとの第二のへその緒にしておくことです。具体的には,子どもに笑顔を見せておくことです。その心は素直に受け容れてやることです。ちゃんとできるかどうかなどは問題外にして,どんと構えていれば子どもは飛び込んでくれます。

 何が飛び込んでくるのでしょうか? 子どもからのかわいい思いやりです。肩の張りをトントンと叩いていると,「ママどうしたの?何をしているの?」と関心を示します。トントンすると気持ちがいいからよ。ボクが叩いてあげようか? 大して効果はないかもしれませんが,「ありがとう,楽になったわ」と言ってやってください。子どもは「よかったね」とにっこりするでしょう。

 ママを喜ばせるのは,子どもにとって最高の喜びです。人を喜ばせるためには,その人が喜んでもらいたい人である必要があります。ママは子どものそばにいる適任者です。ママが喜んであげることで,喜ばせることがどんなに素敵なことなのかを身にしみて分かるようになります。この刷り込みが大事なのです。

 弟や妹のためになにかしてやって喜んでくれたら,「よかったね」とうれしくなります。きょうだいがいれば,そうしたうれしい経験をすることができます。家族の中で相手のためにしてあげる喜びをしつけられたら,進んで手伝いをできる子に育っていきます。よかったねと子どもが言えるような状況を作ってやってください。

・・・もう一人の子どもは,喜んでもらえる自分を誇りにします。・・・


 〇関わる喜び?

 アリが川面を流されていきます。その様子を見ていたハトが木の葉を一枚落としてやりました。アリは木の葉につかまって助かりました。狩人が鉄砲でハトをねらっています。それに気づいたアリが狩人の足に噛みついてねらいを外させました。ハトは命拾いをしました。この話を聞いていた子どもは,ホッとうれしくなります。

 子どもにお話を聞かせてやるとか,読書を勧めることは大切ですね。ところで,どんなことが大切なのか納得していますか。本なんて読まなくても特に困ることはないのでしょうか? 読むに超したことはないという程度でしょうか? 読まないと何か失うのでしょうか? あまり教えて貰ったことはないはずです。実は子育ての場ではとても大事なことだということを考えておきましょう。

 お話には複数の人物?が登場します。アリとハトと狩人です。子どもはどの人物にも自分を投影することができます。ボクはアリさんになります。ハトが助けてくれたことをうれしいと感じます。ハトさんが危ないと思うからアリさんが狩人に噛みつくことが納得できます。ハトさんを助けてあげられた喜びを経験します。こうしてアリである自分とハトという他者との関係を疑似体験することができます。

 ワタシはハトさんになります。アリさんが大変だと見て取るから思わず木の葉を落としてやります。狩人の鉄砲の弾がねらいを外して危うく命拾いをしますが,それがアリさんのお陰であるということをお話から気がつきます。アリさんアリガトウと感謝する喜びと共に,自分が知らない所で助けられている情けの仕組みを学ぶことができます。

 人と人がお互いに助け合って生きていることは,日常の暮らしの中で子どもの目からは見えません。子どもは他者の立場に立てる程の経験がないからです。それを補ってくれるのがお話の世界での疑似体験なのです。本を読まない子どもは,人の気持ちが分からない子どものままに留まってしまうのです。自分と他者を相対視できる世界がお話の世界の特徴だということです。

・・・人としての喜びとは,人との温かな関わりの中にあります。・・・


 〇分け合う?

 人を喜ばせるってなかなかできないことだし,結局は損することでしょ? いい子ぶった所でいいことなんかありはしない。人のことなんか関係ない,誰だって自分が可愛いし,自分のことで精一杯なんだから。人に迷惑を掛けなければそれでいいんでしょ。開き直ってしまうのも一つの選択ですが,子どもから言われるとしたら,大人として悲しいですね。

 犯罪の低年齢化,薬物汚染の低年齢化が進行しています。その傾向は決して人ごとではありません。幼い子どもが後10年したら,闇の世界に迷い込んでいる可能性は増しているのです。今までの子育てを続けていたら,事態の改善は望めません。では,今までの子育てとは? そのことを明確に意識しておく必要があります。

 自分を喜ばせることしか考えていないことが入り口の間違いなのです。可愛がられ甘やかされた結果,周りは自分を喜ばせるためにあるという錯覚を持たされることです。幼い頃は7割程度しか自分を喜ばせられない,成長につれて5割になり,やがて3割程度に落ち着いていくのが自然です。それでは無理矢理我慢させればいいのかというと,そうではありません。

 一緒に喜び合うように形を変えるのです。自分だけ喜んでもつまらない,皆と一緒に喜ぶ方がずっとうれしいと気づかせるのです。自分だけの喜びを無くすというよりも,変質させるのです。園や学校で集団で喜ぶ体験を通して,自分の喜びは人と分け合い共有できることを学ばせるのです。大きな喜びに目覚めさせることができたら,非行などの迷い道が現れることはありません。

 遊ぶお金が欲しい,高価な持ち物を買うお金が欲しい,自分を喜ばせることしか知らない子どもの前には,薄暗がりの世界が待ち受けています。世間のせいなどではなく,自ら迷い込んでいく,すり寄っていく弱さと考えておいた方がいいでしょう。一つのケーキを分け合って食べた方が美味しいと思える子どもに育って欲しいものですね。

・・・自分の喜びは本能であり,共に喜ぶことが育ちなのです。・・・



《人を喜ばせるとは,実のところ自分を喜ばせることになります。》

 ○世間の誰からも相手にしてもらえない,無視されていると感じたら,辛いですよね。でも,自分は周りの人を無視しているとしたら,おあいこです。人から見て欲しいなら,自分から人を見ることが先です。こちらから笑顔で声を掛けたら,向こうから笑顔が返ってくるものです。

 妙に愛想よくしたら誤解を招くからやめた方がいいという世の中は社会ではないですね。そんな世の中にしたのは,引きこもっている大人のせいなのですが・・・。今回のテーマは12章の中で最も大人が自省すべき課題でした。それだけにちょっぴり苦い読後感をお届けすることになりました。ごめんなさい。


 【質問13-10:お子さんは,人を喜ばせようとしてはいませんか?】

   ●答は?・・・なるべく適えるようにしていますよね!

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