*** 子育ち12章 ***
 

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「第 14-01 章」


『育てよう 自分の考え 持ってる子』


 ■徒然子育て想■
『出題者の悩み?』

 新年,あけましておめでとうございます。今年も「子育て羅針盤」をよろしくお願いいたします。

 今号から第14版に入ります。お約束しておきましたように,少し身軽な形にダイエットしてみました。毎回のテーマスタイルもダブルスタンダード形式に変更します。比較という構成が理解を促進するという試みです。従来と違ったスタイルに違和感があるかもしれませんが,新鮮さを感じて頂ければと願っています。

 この「徒然子育て想」の欄では,ちょっぴり辛口の話も持ち込んでみようと思っています。良薬は口に苦しとか。大事なポイントをお伝えしておかなければならないという切羽詰まった思いで,お目障りは覚悟の上です。親業の先輩からの苦言と受け止めて頂ければ幸いです。

 勤めていた国立大学で入学試験問題を作成したときの思い出から始めましょう。担当した科目は理科の選択科目である物理です。身内に受験者がいない教官数人でチームを作ります。作成プロセスの中で問題に関わる文書は問題と模範解答の作成完了に伴って全て廃棄されてしまいます。作成者に記憶は残りますが,夏時期には作業が終わるので試験時には忘れています。

 ところで,問題作成の際に最も気を遣うのは,間違いのないことは当たり前のこととして,問題のレベルです。大学の授業では高校終了レベルの知識を前提として講義をしており,それを出題するとどうしても受験生には難しくなります。つまり,出題者の希望レベルは少なくても90点以上という意識が働いています。一方で,競争試験ですから点差がつかないと困ります。基本から応用まで取りそろえなければなりません。

 ほとんどの受験生ができるだろうという問題は迷いなく作成できます。他方で,できる受験生しか解けない問題も作成することはできます。ところが,その中間レベルの問題をつくるのが難しいのです。半数程度の受験生が解ける問題,つまりちょっぴり難しい問題,それが見えてきません。問題を作る方は解答を知っているので,余計にやさしく見えてしまいます。点差がつかないのではないかという心配が出てきます。そこで,経験上,勇を奮ってやさしくすることで決着します。・・・(次号に続きます)。



【質問14-01:お子さんは,素直ですか,聞き分けがないですか?】


 ○素直な子!

 親が望んでいる子どもは素直な子どもですね。親の言いつけを素直に受け容れてくれる子どもは本当にいい子です。生まれて間もない頃は完全介護状態ですから世話が大変ですが,それでも母子関係はママの思い通りに運んでいきます。子どもが見せてくれる笑顔にホッと心和むこともあり,母としての喜びを貰うようになります。

 子どもはママが大好きです。だから,ママの言うことを聞いてママに好かれたいと思っています。ママが何を望んでいるかを察知して,ママが喜ぶようにすれば,自分に笑顔を向けてくれるからです。微笑ましい関係ですが,少し穿った観点から見ると,子どもは母子一体感の中で親を操る術を意識することなく覚えていきます。

 素直な子は親に可愛がられます。親もあれこれしてやる甲斐があると感じるようになります。いきおいやりすぎてしまうことがあります。過保護になり,甘やかされて育つようになります。子どもが欲しいと思っていなくても,親が先回りして与えてしまいます。特に「お勉強」に関わることであれば,かなり先走ることもあります。嗜好品もいつでも揃っている,至れり尽くせりの優遇を与えます。

 食物であれば,過食は見た目に太るという結果が明らかですから,修正するきっかけがあります。そのほかに,柔らかいお菓子で育ててしまうと,栄養面のみならず,噛む力が身に付かず,顔つきまでが引き締まらなくなります。口をボーっと半開きにしたような情けない表情が普通になります。素直さに親がつけ込まないように用心しなければなりません。

 素直な子どもが抱えている弱点は,言われることに慣れて,自分を見失うことです。自分が感じて自分で考えなければならないのに,親が先回りをするから,考えなくて済みます。そのことが「もう一人の子ども」の目覚めを邪魔します。親がいなければ何もできない子どもに育てたくはないですよね。それを本当に望むのであれば,子どもに任せてみて,親は後からついていくつもりでいた方がいいのです。

 もちろん,人柄としての素直さは大切な資質です。しかし同時に,素直な人は頼りにならないといった面も感じてしまうはずです。個性化の意味はともかく,自己主張にウェイトが傾いている現代,素直さだけでは物足りないのも事実です。ほどほどがいいということでしょうが,目安として6割程度と考えておいてください。

・・・素直な子は受け身の立場に置かれやすいと知っておいてください。・・・


 ○聞き分けのない子?

 全体として素直であったとしても,子どもの成長過程には何度かの反抗期があります。反抗とは親の側の勝手な言い分です。子どもの側から見れば,育ちの大事なプロセスであり,決していけないことではありません。最近の子は,反抗期がないと言われることがあります。全く反抗しなくて済むか,あるいはのべつまくなしにダラダラと反抗をしています。メリハリのある反抗している「時期」がはっきりと特定できないのです。梅雨明け宣言ができないのと似た状況です。

 聞き分けのないというのは,煎じ詰めれば親の言葉に逆らったり拒否することです。親にすれば沽券に関わると感じるはずです。昔なら,「言うことを聞かないなら,出て行け」という折檻が発動されました。今の親御さんはそれが言えません。実はこの折檻には一つの効用がありました。親子共に修羅場を離れることができて,それぞれが一人になって考える冷却の時間が持てたのです。親は言いすぎたかな? 子どもは親の言うことにも一理はあるかな?

 現在は,逆上してもケンカ別れをする時間を持たないので,キレルところまで突っ走ってしまいます。虐待は突っ放してみるという方法を失ったという意味で閉塞的な環境が産み出しているのです。父親が出て行けと突っぱねて,母親が後でそっと取りなすという親の二人三脚が機能しないのです。ご近所のおばちゃんが一時預かりをしてくれるという協力もありません。閉じこもっていたら,いざというときに働く歯止めがなくなるのです。

 聞き分けない子どもにすれば,それは自己主張です。もう一人の子どもが自分の思いや考えを表明しているのです。生意気に見えたり浅はかであるかもしれませんが,精一杯の主張をしています。主張している内容は別にして,そうすることがいいことだという受け止め方をしてやらなければなりません。どうすればいいのでしょうか? 取りあえずは任せてみるのです。「自分でしたいなら勝手にしなさい!」。それでいいのです。

 大きな子どもであれば,親あるいは大人としての考えをきちんと返してやります。そうはいっても,子ども相手に議論をすることはできないでしょう。「ママはこう思う」と言って聞かせることで十分です。押し付けるのではありません。親の思いを伝えることでいいのです。それでも自分はこうすると子どもが言えば,そうさせてやります。結果として,どちらの言い分が正しかったかを分からせるチャンスです。

 子どもは他人の立場から見れば家庭の中で生まれながらの暴君です。それを飼い慣らすといえば語弊がありますが,人に育てなければなりません。人とは共に暮らす能力を持つということです。誰かのわがままは周りのものに迷惑です。人はその迷惑を平等に引き受けることで,仲良く暮らしていけます。親も子どももお互いに聞き分けるようにすれば,お互いに迷惑を引き受けることができて,和やかな関係を持つようになれます。聞き分けのない子どもからの迷惑も少しは引き受けるということです。

・・・聞き分けのない子は自己主張をしていると受け止めてください。・・・



《素直か,聞き分けないかは,どちらにも子育ち上の意味があります。》

 ○素直な子か,聞き分けのない子か,それは親の一方的な判定に過ぎないということを弁えておいてください。もちろん,単純なわがままとは区別をしなければなりませんが,全てを子どもの勝手な言い分と抑え込む手だけを使っていると,子どもの育ちの芽を摘み取ってしまって,見かけ上素直な子にしてしまいます。

 ママがいないと何もできない,それは素直な子に現れる姿です。自分の主張をたとえ聞き入れられなくても,一応主張のできる子どもに育てておきましょう。このことをこのマガジンでは「自分を育てるもう一人の子どもの誕生」と表現しておくことにします。子どもの中にいるもう一人の子どもを育てていると考えます。自分で自分が好きになるという言い方をする場合がありますので,分かって頂けると思います。

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