*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 14-05 章」


『育てよう 言葉正しく 話せる子』


 ■徒然子育て想■
『分かる喜びの条件は?』

 講演に出かけるとき,参加者が女性であると張り切ってしまいます。専門の講義ではほとんどが男子学生を相手に話してきました。ところが,子育ての講演ではママさんたちが主役であり会場がとても和やかで華やかです。張り切るのは,そのような見た目のせいではありません。話し手を乗せてしまう雰囲気があるからです。女性は反応が豊かなのです。笑うところでしっかり笑い,頷くところできちんと頷いてくれます。

 男性はほとんどが反応してくれません。話していることが会場にすっと吸い込まれていくだけで,跳ね返ってこないのです。聞いているのかどうかがつかめません。話していても何かしら虚しい気持ちになることもあります。講演とは聞かせるものではなくて,聞き手の力で語らせてもらうものであると悟った次第です。でも,ちょっとばかり気になるのは,反応のよい女性のみなさんですが,お伝えしたいと思っているポイントと違うところを受け取ってくださる方もおられることです。

 ところで,大学での講義というものがどのような構築をされているか,お話ししておきましょう。講義は予習と復習を合わせて三本柱になっています。予習して自分なりに理解できるところと理解できないところを見つけておきます。それを講義で確認し見直しをし発見します。復習では自分流に,つまり自分の言葉で整理し直します。この家庭学習2+講義1からなる三点セットが基本です。ですから,講義だけを聴きっぱなしでは,理解には至らないのです。

 いつのまにか,学校で受ける授業だけで分かるようになるはずという甘えがあるかと思えば,一方では,学校の授業だけでは足りないから塾で学ばせればいいという錯覚が定着してきました。分かるというのは自前の努力の結果でしか得られないものです。人に分からせてもらえるものと人頼みにしているから,学力は低下していく一方です。字はこう書くんですよと教えられただけでは書けませんね。自分の手で何度も書いてみなければなりません。授業が分かるということも同じです。

 一つの話を聞いて,どこが大事なポイントかを自分で見つける力が,かつての学生に比べてとても劣ってきています。自分で見つけようという気がないと言った方が適格かもしれません。どこが大事なところかさえも教えて貰おうと待っています。自分でするという姿勢が萎えてしまっています。勉強する気がないということです。勉強させられるという教育・しつけの成果です。予習という自分で取り組む家庭学習のしつけを疎かにするツケが高利であることを見抜けなかったようです。

 学ぶ力を育てるためにしつけなければならないことは,授業の前の予習です。予習というのは,教科書を読んで分からないところを見つけておくことです。予習で全て分かる必要はありません。分からないところが見つかると,授業が待ち遠しくなります。授業ではそこだけしっかり聞けばいいという目当てを持てるからです。授業の説明で「ああ,そうか」という分かる喜びが生まれます。分かることが楽しくなります。この喜びは自分で作り出すしかありません。予習とは喜びの下準備なのです。



【質問14-05:お子さんは,おしゃべりですか,それとも無口ですか?】


 ○おしゃべりな子!

 子どもの育ちの一里塚は,立って歩くこと,言葉をしゃべること,顔が洗えること,洋服が着れること,字が書けること,数が分かること,いろいろあります。その一里塚をどれほどの速さで駆け抜けていくか,いつしか競争になります。それが間違っていることは十分にお分かりですが,やはり無事通過すると一安心するのが親です。特に言葉を話すようになるのは,大きな節目になります。人としての育ちの始まりであり,それはもう一人の子どもの誕生に他ならないからです。

 パソコンはソフトがなければただの箱と言われます。人も同じで,言葉による知恵というソフトが備わってこそ人になれます。育ちとは言葉によるソフトのインストールと考えることができます。パソコンの性能はどんなソフトを備えているかで決まるように,人はどんな言葉を覚えこむかで人となりが異なってきます。言葉遣いで人が見えるということがありますね。美しい言葉,元気のある言葉,優しい言葉に対して,汚い言葉,弱い言葉,意地悪い言葉があります。どちらが望ましいか,言葉だけの問題ではありません。

 おしゃべりな子は,言葉を自在に操って語ります。ところで,言葉にはスタイルがあります。子どもらしい言葉遣いということです。こましゃくれた言葉遣いとは,身の丈に不似合いな背伸びした様をいいます。また,男言葉や女言葉というスタイルもあります。男女差を言えば時代の流れに逆らうことになりかねませんが,現状の言葉遣いは,女言葉として守ってこられた細やかさや優しさが衰退し,ぶっきらぼうな男言葉に寄り添っているようです。女であることを主張できないのでは,アイデンティティの喪失ではないのかと危惧します。

 言葉はもう一人の子どもの母乳であり,母親が口移しに与えるものでした。いま情報化の中で,子どもたちは言葉の洪水の中に育っており,手当たり次第に吸い込んでいます。食べてよいものか食べてはいけないものかどうか,全くノーチェックです。さらに,言葉のファストフード化といいますか,軽食化も気になります。真面目な言葉遣いが敬遠されています。いわゆる軽口,おしゃべりしかできないというレベルに留まっているのです。

 言葉は部品です。自分の気持ちを表すのに相応しい言葉を選んで表現します。大人でも「なんて言ったらいいか」と,言葉に窮することがたまにあります。表現できないとすっきりしません。子どもは言葉の数が少ないので,どうしても自分の気持ちをピタリと言い表すことができません。赤ちゃんは泣き声しか持ち合わせていないので,どんなときでも泣くしかありません。幼児も少しはましですが,大して変わらないと思っておきましょう。

 うちの子はおしゃべりだから,子どもの気持ちはよく分かっていると思っていると肩すかしをくいます。子どもは自分が本当に言いたいことを分からずに,違った言い方をしたり,中途半端に言ったりします。本当は寂しいのに,それを紛らわせようと明るくすることや,構って欲しいのにわざと強がりを言ったりします。友だちが落書きをしているのを言いつけにくる子どもがいます。落書きした子を叱ると,その子はがっかりします。「あなたは我慢したんだね」と言ってやると,分かってくれたとにっこりします。

・・・おしゃべりな子は,全てを語っているわけではありません。・・・


 ○無口な子?

 言葉を覚えはじめの頃,赤ちゃん言葉です。そのまま聞いていていいのですが,ちゃんとした言葉で話しかけてください。もちろん無理に正しい言い方を押し付けないようにします。自然にしておけばいいでしょう。さらに,子どもの気持ちや関心に沿った言葉を話しかけてやります。直ぐには口にできないかもしれませんが,子どもは言葉を覚えていきます。いろんな言葉があることを分かっていけば,言葉の価値を信じるようになります。とても大事なことです。

 まず言葉を覚えなければ話すことができません。仕入れが先ですから,分かりやすい話しかけを繰り返してやりましょう。最初の言葉はママが教えなければなりません。生まれてはじめて口にする初乳が子どもにとってとても大事なように,言葉がどんなに素晴らしいものかを初体験することは大事なのです。「ママ」という一つの言葉が笑顔のママとつながれば,こんなに素敵なことはありません。

 子どもが近頃何も話してくれなくなったというママの声をよく聞きます。一つには,ママの方に原因があります。ママが言わせようとしているからです。そんなつもりはないと思われるかもしれませんが,子どもの方はそう受け取っているのです。遠足から帰ってきた子どもに,「楽しかった?」と問いかけます。子どもは楽しかったことを言わなければなりません。本当はもっと別のことが言いたかったかもしれません。子どもにすれば,ママは聞いてくれないのです。

 話そうとする気持ちになるのは,話したいことが相手にきちんと受け取ってもらえるときです。問いかけに答えるのは,話していることとは違うのです。問いつめられたら誰でも嫌になります。答えたくありません。だから無口になっていきます。何か言えば,必ず問いつめられるからです。いつでも聞くというサインさえ出しておけばいいのです。聞き手に徹するのです。どうすればいいのでしょう? ニコニコとしているだけで十分です。子どもが話してきたら,反論や注意などしたくなっても後回しにして,黙ってひたすら聞いてやってください。

 家ではよく話す子どもなのに,外に出ると無口になることがあります。それほど心配することはありません。何を話せばいいのか迷っているだけです。もちろん相手のことなどお構いなしに押しかけ的に話す子どももいますが,きちんとお話ししようとすれば相手のことを分かるまで話すことはできません。無口であるには,それなりの理由があります。単純に無口であることが心配なことと早とちりしないでくださいね。

 無口であるときは,二つのことができます。一つはじっと聞き取りができます。おとなしく聞き耳を立てているから無口です。もう一つは,自分に話しかけています。独り言という形で,声には出しませんがお話ができます。どちらにしてもちゃんと言葉の世界にいるのですから,育っていると見守ってやればいいでしょう。ただし,無口であるとき,いわゆるボーっとしていることもあります。たまにはいいのですが,しょっちゅうであれば言葉が捕まえられていないので,手当てが必要です。

・・・無口な子は,言葉の仕入れや整理の作業をしているのです。・・・



《おしゃべりか,無口かは,本来どちらもあるからバランスがとれます。》

 ○何事も過不足のないのがいいですね。話しすぎても話したりなくても,事はこじれます。それを解消するためには,きちんと話すこととちゃんと聞くことが交互に絡み合わなければなりません。一つひとつの言葉を互いが順序よく積み上げていく作業です。言葉に親しみ言葉を操るしつけのために,なぞなぞやしりとりなどの言葉遊びを楽しむこともいいでしょう。

 俳句や川柳という大人の嗜みもその流れに乗るものですが,若い方は馴染んでいないでしょう。親である大人の方が案外と言葉のやりとりを楽しんでいないかもしれません。また,言葉の使い方は発想や見方そのもに対応します。ご自分の言葉がどれほど多様性を持っているか,再確認してみてください。最も簡単な方法は,作文をしてみることです。ママは言葉の先生なのですから,簡単に書けるでしょう。お題は「子育て羅針盤を読んで」!!

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第14-04章に戻ります
「子育ち12章」:第14-06章に進みます