*** 子育ち12章 ***
 

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「第 14-12 章」


『育てよう 小さな挑戦 引き出す子』


 ■徒然子育て想■
『性教育?』

 役目柄で講演を聞かされる場合も多いのですが,どうせ聞くからには何か一つの情報を獲得しておかなければ損です。それさえもなければ,全く骨折り損のくたびれもうけという仕儀になります。転んでもただでは起きないがめつさも,好きなればこそでしょう。過日,間違いを起こした子どもたちと関わって矯正に導いている方の講演を聞く機会がありました。そのときの数語のメモを脚色しておきましょう。

 精神的な病に罹患している子どもは,勉強に真面目に取り組んできた子どもに多いそうです。いわゆる「おくて」な子どもです。成熟しないことにいらだち,精神的に孤立しています。男の子の場合,母が無意識的に押し付けてくる「女」を真っ当に受け止めてしまって,抜け出せなくなっています。感性が女性化されて,男性性が上書きされ,中性化していくため,何か違うという本能の発揮がねじれるようです。

 女の子の場合は,父親不在もあり,対象となる性の理解が全く白紙のままです。白紙であるから,父親にある男のかすかな匂いでさえ過敏に拒否します。一緒に洗濯することを嫌悪している自分に疑問を抱かないことが心配です。一方で,甘い言葉に隠されたオオカミの本性を思いも及ばない無垢さが発揮されています。バランスのとれた男と女の存在が子どもの近くになくなっているようです。

 犯罪,特に肉体的段階での充足に溺れていく子どもは,放任されて育った子どもに多いそうです。いわゆる「おませ」なこどもです。構ってもらえなかった寂しさを癒すには,密着できる濃厚なふれあいが必要になるということです。身体の触れ合いが心の触れ合いに転化するはずもなく,隔靴掻痒であるために,どれほど溺れても満たされません。放任とは現実に関わらなかったということよりも,気持ちのつながりが持てなかったことです。いつも叱られてばかりと子どもが感じたら,それは放任になります。親がどう思っているかではなくて,子どもが受け止めているかどうかが決め手なのです。

 栄養豊かな食事をしていると母乳の出が悪くなります。母乳は子どもを産み育てるためのものですが,その前に子どもを産み育てなければというスイッチが入らなければなりません。母親が貧しい食事をしていると長く生きられないと身体が察知し,子孫を残さなければという本能のスイッチが入り,母乳をたくさん出すようにホルモンが機能するのです。豊かな暮らしは子育て機能を封印するということでしょう。残るのは,快楽という付加価値だけです。豊かさが淫らな道に迷い込むはずです。

 生きる力を育てるときに,身体が備えている生きる本能を抑えたり曲げたりしないようにしなければなりません。身体の成熟は無意識の世界に組み込まれています。年頃になれば自然に成熟していきます。気をつけることは,意識の世界の育てです。親との気持ちの触れ合いが素直にできあがっていればいいのですが,往々にして,忙しいとか面倒だとか親の勝手が優先して切り捨てられます。心身のバランスを保つこと,それが性教育の真髄です。



【質問14-12:お子さんは,思い切りますか,くよくよしますか?】


 ○思い切る子!

 思い切るとは,あきらめる,決心するという二つの意味があります。いずれにしても,そこには,目一杯の遠慮や自信のなさに直面するというある種の限界が意識されています。思い切ってと言えば,限界を乗り越えてその先に飛び込もうとすることになります。思いを断つということであれば,あきらめて踏み止まることになります。結果は正反対のように見えますが,限界を見極めて自分なりに納得しているという点では同じとみなすことができます。

 これ以上踏み込んだら危険だという場合があります。潔く思い切らなければなりません。どうあがいてもできない状況もあります。あきらめるとは,明きらめる,明らかにし見極めて止めることです。ですから,状況の推移を予断できる力が育っていないうちは,あきらめることはできません。たとえば,帽子が風に飛ばされて川に落ちたとき,急な土手を降りてまで拾おうとして不幸な結果を呼び込んでしまいます。大切な帽子でもあきらめさせるためには,川縁は「危ない」という強いイメージを植え付けておくべきです。

 人が頭で考えたり望むことと身体でできることの間には溝があります。思い通りにならないのが現実です。子どもは気持ちが先走りして無茶な行動に走ります。危険を予測して回避したり備えることはとても大事なことですが,じつはかなり難しいことなのです。子どもにおいそれとできることではありません。そこで,親はどうしても子どもが幼い間にはいろんな場面でダメ出しをせざるを得ません。ここに,子育ての難しさが潜んでいます。抑え込みすぎて諦めの早い子にしてしまうのです。

 身長の数倍の高さがある滑り台の上に立つと,その高さゆえに怖いという気になります。親は「思い切って滑っておいで」と下で受け止めてやろうとするでしょう。恐怖を振り切れということです。このように,子どもの育ちには思い切ってやってみるという挑戦が不可欠です。子育ての世界では「やる気」と呼ばれています。そこで必要なのは,できるかもしれないという可能性を信じることです。親が保証しているからできるはずとか,友だちもしているからボクもできるはずという証拠を見つけることです。自分の可能性の奥行きをもう一人の自分が見極められるまでには,たくさんの体験の蓄積が必要です。

 努力するという前向きな行動指針は育つためには必要なものです。できないと思えること,あきらめていることへの再挑戦によって,能力が開発されていきます。そこに第二の思い切り,決心することが関わってきます。努力とはできるかもしれないと見極められる範囲の中でするものです。努力可能領域があり,その先にはできない領域が横たわっています。100mを20秒で走っている人が努力すれば19秒で走れるようになれますが,どんなに努力しても10秒では走れません。ここまでならできると見えるとき,挑戦という形の努力が始められます。

 世の中はディジタル思考が主流です。それは努力を破棄する思考法です。1か0か,それはできるかできないかという単純な思考であり,子育ての世界で通用させていけません。育ちはできるかもしれないという曖昧なところを目指して進むものだからです。全くできなかった子どもが,繰り返し挑戦を続けて,5回に1回=10%,3回に1回=33%,2回に1回=50%,3回に2回=66%,4回に3回=75%・・・と,限りなく1に近づいていくことができます。育ちはアナログです。

・・・思い切る子は,あきらめて身を守り,決心して力を伸ばします。・・・


 ○くよくよする子?

 あきらめきれない,決断できないときがくよくよするときです。できなくても当然なのに,自分の非力を思い詰めてくよくよします。やればできるのに,自分の能力を見くびってくよくよします。ちょっとした穴に落輪しているような状態です。もがけばもがくほど穴を穿つだけで深みに嵌るようになります。早い時期に適当な手当てをすれば,楽に抜け出せるものです。どうすればいいのでしょう?

 幼いうちは,したいことがほとんどできません。例えば,生活空間は大人サイズですから,小さい子どもにすれば手が届かないことが多いのです。ママにしてもらわなければなりません。泣き叫んでもしてくれないとなると,思い通りにならないフラストレーションが溜まります。くれない病という言葉がありましたが,他者のせいにしてあきらめさせられます。ママが世話を焼くという形でしてやらなければならない時期ですが,必要なことに抑えておき,遊びには少しずつ手控えて,自分でなんとかしようという気持ちを引き出してやりましょう。

 一応のことはできてもちゃんとできないのが,育ちの途中です。そこで,ママがちゃんとできないことを叱れば,もう一人の子どももできない自分を責めるようになります。不甲斐ない自分と見くびります。大事なことは,「それでいいんだよ」という励ましです。ここまではできたんだからと,できたことを認めるようにすれば,もうちょっとがんばろうという気持ちを持つことができます。ガンバレという言葉は,今を認めてやった上でないと,脅迫的なイメージが漂います。

 あれこれやってみるという試行錯誤が育ちのプロセスです。それができるためには,やり損じても構わないという許しが不可欠です。例えば,食事の場面で「こぼさないで」という条件を押し付けると,最初からいきなりできませんから,「いつまでもできないんだから」と烙印を押しかねません。そのうちできるようになるはずと,ゆとりのある,つまり,しくじりという助走期間を長くとってやるようにします。子育ては子どものしくじりの後始末をすることと思っていた方がいいのです。

 くよくよするという穴から抜け出すには,考える力をつければいいのです。ここで言っておきたい考える力とは,勉強する力ではありません。結果としてそうなるということに過ぎません。考えるときに気をつけることは,考える目的です。できるかできないかを考えるのが普通ですが,それでは考える力が十分に発揮できません。多くの場合,できない方に結論が導かれます。アクセルとブレーキを同時に踏んでいるようなものです。どうすればできるかを考えるのが力の正しい使い方です。

 もう一つは,人のせいにする脇道を封じることです。ママがしてくれないから,そう思っている限り,子どもは動き出そうとはしません。これまで自分にできたことは何かを弁えて,その上でこれから何ができるかを考えると道は拓けてきます。自分から動かなければ物事は全くうごかない,でも自分が動けば少しはなんとかなる,そういうかすかな達成感をたくさん体験すればいいのです。地道な試行錯誤の繰り返しが考える実力を育んでいくことを忘れないでください。

・・・何も始めないクヨクヨから抜け出すには試行錯誤しかありません。・・・



《思い切るか,くよくよするかは,できると思えるかどうかの違いです。》

 ○できないと思っていたら,何もできません。今のままではできないけれど,どうすればできるようになるか,それこそが全力を集中して考えることです。自分の力で変えることのできる条件は何かないか,そういう目で周囲を見ると何かが見つかります。手の届かないところには,椅子を持ってきて乗っかれば届くようになります。狭いところに転がり込んだものは,箸などの細い棒を使えばかき出せます。道具を産み出した知恵が子どもの身に再現されます。

 窮すれば通ずといわれますが,そのためにはなんとかしなければと自分を追いつめることが必要です。なんとなく考えていても,埒はあきません。その意味で考えることはとてもしんどいものです。外で遊んできた子どもがぐったりと疲れているのは,自分の身体をフルに使っているからです。ゲームを指先だけで操る遊びでは,自分を操ることはしていません。外遊びの方が数倍も知的な訓練になります。

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