*** 子育ち12章 ***
 

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「第 14-13 章」


『育てよう よい子わるい子 普通の子』


 ■徒然子育て想■
『桜散る?』

 サクラチル。大学の入学試験に不合格のサインでした。合格者発表の掲示板を見に行けない遠隔地からの受験生のために,入学試験の場所で合格電報の受付をする風景がありました。大学からの通知は遅れるので,早く知りたい人が利用します。昔は郷土の合格者名が大学別に地方紙に掲載されていましたが,最近はなくなっています。合格通知の「サクラサク」だけを申し込む人もいました。通知がなければ不合格ということです。なんとなく曖昧にしておきたいという気持ちも分かります。

 サクラチル。サクラにとっては自然であり,喜ばしいことです。花が散るから実を結ぶのです。花の立場に立てば,サクラチルは卒業のサインこそが相応しいと思われます。何事かをやり遂げて新しい段階に入る喜びというのは,本当は地味なものかもしれません。人生にはいくつかの花道があります。大きな花道は恋の花が咲き,結婚という結実に続きます。蜜月の後に,出産に至ります。子どもは誕生でサクラサク! サクラチルで卒業し,また入学でサクラサク。こうして年輪が重ねられます。

 一花咲かせたい。誰もが抱く夢です。大輪の花,小輪の花。華やかな花,目立たない花。艶やかな花,渋い花。いろんな花があります。生きているからそれなりの相応しい花があります。しかし,花は散るために咲きます。いつまでも花のままでは,実になりません。例えば,職場の花に納まってチヤホヤされることがいいとは思われなくなったことは,実を求める前向きな生き方です。実の力と書いて実力です。花は人の力を頼りにしようとするサインに過ぎません。

 サクラチル。普通には,事に破れた意味です。冷酷な風に事半ばにして無惨に散らされたという状況でしょう。花の命は短いので,その間にきっちりとやるべき事を済ませておかなければなりません。助けを受けて,生長のスイッチを入れるのです。子ども時代は,花の時代です。子どもに親が手を貸して,スイッチを入れてやるべきときがあります。それがどのようなスイッチか,この子育て羅針盤で述べてきました。

 花であれば雄しべと雌しべがあります。子どもには心と体があります。夢と現実があります。期待と不安があります。理性と欲望があります。過去と未来があります。喜びと悲しみがあります。真偽,善悪,美醜があります。生きるために必要な要素をしっかりと結びつけて実がなる準備をしてやるのは,親の務めです。抽象的な言い回しですが,花である子どもに親は常に関わっていればいいのです。ただし,気をつけないと,花は脆いので散らしてしまいます。サクラが自らチルのです。



【質問14-13:お子さんは,いい子ですか,それともいけない子ですか?】


 ○いい子!

 笑顔を見せる赤ちゃん。いい子ですね。腕の中や背中でぐったりと眠っている子は重たいですが,完全に身を任せてくる愛しさいっぱいで,いい子です。しばらく離れていると,ママって言いながら駆け寄ってくる危なっかしさがありますが,いい子です。いきおいママの語りかけも優しくなります。幼くて頼ってくる子はかわいいものであり,頼られればいい子だと思うものですよね。子育ての起承転結を想定すれば,起の時期です。やがて承の時期に突入します。

 もう一人の自分が誕生すると,自分で自分を支配しようとし始めます。親離れです。確かに可愛くなくなりますが,いい子であることに変わりはありません。自分のことがちゃんとできます。ママの言いつけはよく守ります。世話をやかせることも少なくなってきます。友だちともケンカせずに仲良く遊びます。外で遊んで汚れて帰ってきますが元気いっぱいです。お手伝いもニコニコとしてやってくれます。いい子がいっぱいですね。

 この子はもう長くはないかもしれません。お医者さんにそう告げられたとき,親は何を考えると思いますか? 生きていてくれさえすればいい,それだけです。生きて傍にいてくれれば,それだけで十分にいい子です。おかげさまで小児喘息で苦しんでいた子は今でも通院が続いていますが,息災に暮らしています。一緒に入院していた子どもたちの幾人かはもういません。年下の女の子,年上の男の子,風の便りに知りました。みんな生きようとしていたいい子たちでした。

 親にとっては赤ちゃんがつつがなく健やかに育ってくれたら何よりです。突き詰めていけば誰しもそこに行き着くのですが,成長と共にそれを忘れるといい子の姿は遠くに去っていきます。100点満点でなければいい子ではないという物差しを振りかざすとき,すべての子どもは落第をします。そこそこでいい,それがいい子の資格です。半分以上いい子であれば,少しのことはお目こぼししてやりましょう。だって,100点満点の親ではないんですから。

 いい子といっても,どうでもいい子では困ります。いてもいなくてもいい子でもありません。親の手を煩わさないいい子は,往々にしていなくてもいい子に放り出されます。バカな子ほどかわいいという親心の機微は不思議なものです。関わりの深さが利くのでしょう。子どももそれを望みますから,いい子になりたくないとブレーキを踏むことがあります。いい子であれば構ってもらえないのですから。いい子であったときは思い切り構ってあげることです。

 子どもはいい子であろうとしています。でもママはそれが当たり前と考え,何の反応もしませんし,ましてやほめてやることもありません。思い出してください。小さい頃は,取り立てるほどのことでもないのに大げさにほめまくっていましたね。いい子にしていたら認められる,それはとても大事なことです。ママだって家族に美味しいものを食べさせようとがんばったとき,当たり前という顔をされたら拍子抜けしますよね。これは美味しい。その一言で,またがんばろうという気持ちになるでしょう。子育ての転の時期は七転び八起きの連続です。

・・・いい子は常に認められ続けるから育つことができます。・・・


 ○いけない子?

 遊ぶ金が欲しくて,窃盗や恐喝,ひったくりに走る子どもが現れてきました。いけないどころではなくて度を超えて,社会から隔離して鍛え直すという荒療治を受けざるを得ません。多くの場合,親の手に負えなくなったときが,道を踏み外す発端になります。いくら言っても改めるどころか意固地になって拒否しようとします。そこでビシッと立ち直らせてやれば,深みに落ち込まずに済みます。そのときになったら親は本気になって全力で絆を結ぶつもりでないと通じないでしょう。

 不登校の子どもが少なくありません。いろんな対処がなされていますが,なかなか功を奏していません。かろうじて抑えている程度で,減少に転じないままに過ぎています。次々にそうならざるを得ない子どもが送り込まれているということです。ある日から急に不登校になります。きっかけは子どもによってさまざまでしょうが,原因を内に秘めているから反応してしまいます。長い育ちの間に,不登校に向かって近づいてしまっているということです。中学生になって不登校になるとき,小学生時代から下準備されているのです。

 疲れていると風邪を引きやすいですね。心が疲れているから,ちょっとしたトゲで発症します。病気に罹った子どもはいけない子ですか? そうではありませんね。熱を出している子どもを無理矢理登校させますか? ゆっくり養生させますね。登校できないことは責められることではありません。何より先に心の健康を回復する必要があります。そして,病気に罹らないように普段の健康に気遣いしているように,もう一人の子どもの健康にも気を配ってやってください。健康が耐性なのです。

 うちの子はまだそれほど問題となるような発症はしていないと思われるでしょう。ただ,普段の姿を思い起こすと,夜泣きをする子,おねしょをする子,好き嫌いをする子,言うことを聞いてくれない子,いちいち逆らう子,わがままを言う子,甘える子,幼稚園に行こうとしない子,おとなしくしていない子,きりがなく出てきます。ついついいけない子と感じてしまいます。感じるのですから感情です。親の気分が害されただけのことであり,子どもにはそんな悪意があるはずもありません。

 子どものすべての行動は育ちのために必要なことです。ただそれが型に馴染んでいないためにうまくいかないだけです。だからこそ,慣れさせるためのしつけがなされます。ところで,無理矢理性急なしつけをすると,もう一人の子どもはあちこちに小さな傷を受けていきます。弱っていくのです。見かけはしつけのよく行き届いたいい子かもしれませんが,内実は無理をしてゆがんでいるということになります。そうであるかどうかの診察法は,子どもに笑顔があるかどうかです。本当にいけない子,病んでいる子の笑顔には力がありませんから,親ならすぐに診断できるはずです。傷の癒える時間をたっぷりとるようにしてください。

 よその子はいい子に見えるものです。それに引き替えうちの子は!? そんな嘆きはよしにしましょう。嘆いて効果があるなら別ですが,ズルズルと落ち込んでいくのが関の山です。いけない親になります。いけない親になるのは簡単です。思い通りにさっさと育っていないからとイライラすればいいのです。しつけと称して折檻すれば気持ちがスーッとします。子どもがわざといけない子になろうとしていると思って,子どものせいにしておけば苦になりません。この子がいなければどれほど楽になるだろう? 悪魔の囁きが耳元に聞こえてくるはずです。さあ,そろそろ白昼夢から覚めてください。お子さんが呼んでますよ。

・・・いけない子だから見かねて育てようという親心が目覚めます。・・・



《いい子か,いけない子かは,親の懐の深さによる見た目の違いです。》

 ○学校時代の成績ランクが,その後の人生の評価と重なっているでしょうか? 周りの大人を見回して,あの人は成績優秀だったろう,あの人はそこそこでは,あの人はダメな人だったかも,そんな見計らいができますか? それをしたところで,八卦のようなもので当たらないことの方が多く,大した意味はありません。同級生を思い出しても,成績なんてそれほど重要な要素ではないでしょう。人となりが最も利いているはずです。

 子ども時代にいい子であるかいけない子であるか,普通にはどうでもいいことです。もちろん人に危害を及ぼすような逸脱は論外ですが,子どもから被せられる迷惑は黙って引き受けておけばいいのです。またやったの! 仕様がないわね。そのたびに子どもの方は育ちをしているのです。子どもはがむしゃらに育ちます。辺りに泥はねをまき散らすのは仕方がありません。親が泥を被るから,子は感謝の気持ちを貯めていけるのです。

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