*** 子育ち12章 ***
 

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「第 15-01 章」


『子育ちは 言われてできる ものでなし』


 ■徒然子育て想■
『風の子?』

 子どもは風の子。どこからともなく登場し,平穏だった家の中を吹き荒れ,外に出れば風に真っ向から突き進んでいきます。寒い冬にはほっぺを真っ赤にして,暑い夏には真っ黒に日焼けをして,徒党を組んで近所を走り回ります。そんな自然児はめっきりと少なくなっています。冬は風邪を引かないため寒さに触れないように,夏は暑さを避けるように,エアコンディションのある快適な部屋に閉じこもっています。スイッチ一つで部屋の環境が思いのままです。

 2歳の女の子がゆったりとしたコンクリートの坂道を走っていきます。転んだら危ないなとハラハラします。階段を踏み外して擦り傷をつけても平気です。痛かっただろうに親は我がことのように痛みを感じます。親という字を分解すると木の上に立って見るとなります。離れて見守るという間合いが求められているようです。ハラハラドキドキしているしかないことが親心です。子どもにとっては,その方がいいということです。

 野山に身を置くという自然体験が少なくなっています。自然とは人のことなど斟酌しない世界です。思い通りにならない場にいると,自分をどう扱えばよいかという課題に直面します。じっと我慢すること,なんとかしようと考えること,助け合うことなど,生きる力が引き出されるきっかけになります。子どもは環境に馴染もうとして育ちます。江戸っ子,なにわっ子など土地柄に似合った育ちがあります。軟弱な人工的環境ではひ弱な子に育つでしょう。

 かわいい子には旅をさせよ。親元のあったかい庇護の元を離れて,浮き世のつめたい風に立ち向かう経験が,少年少女を一回り大きく育てるという知恵です。浮き世もまた思い通りにはならない,自分が脇役でしかない世界です。しかし,捨てる神あれば拾う神ありでもあります。思いがけない救いもあり,世の中まんざら悪くもないという希望も見つかります。サクラの花が寒気の後に来る暖気に誘われて開花するのが,自然の摂理であり,育ちのありようです。

 枝があればぶら下がってみたくなります。穴があれば覗いてみたくなります。鳥が歩いていると追っかけてみたくなります。水たまりがあると棒で突いてみたくなります。影法師を踏んでみたくなります。無邪気な戯れですが,その他愛のない一つひとつが,この世界を知る手がかりになります。現場検証で手に入れた材料が多ければ多いほど,子どもの世界観は正確になります。いつまでくだらないことをしているの! その制止は育ちの邪魔です。

 転がっていくボールを一心不乱に追いかけて曲がり角から飛び出していきます。縁石の上を歩こうとしていて踏み外します。椅子の上から跳んで転びます。ヤカンの湯気を掴もうと手を伸ばします。注いだばかりの熱い味噌汁に口を付けようとします。お箸を口にくわえたまま歩き回ろうとします。自転車に乗って歩道を猛スピードで疾駆します。いろんな局面で危険な行動にはみ出すこともあります。それはきちっと叱っておかなければなりません。叱るのも親からの強い風です。



【質問15-01:ママは,どうして子どもの先回りをするの?】


 ○泣いた後!

 動物園に行きます。お昼前になるとママがソワソワしてきます。早く行かないと食堂が混むという予測に急かされて,見学もそこそこに引っ張っていきます。子どもはもっとゾウさんを見ていたかったのに,という不満が残ります。気の済むまで見せてやりましょう。中途半端な気持ちになる癖をつけると,飽きっぽくなります。子どもが自分の中で完結するペースをしっかりと持つことができるようにし向けて下さい。

 どんなに幼い子どもでも自分が何をしたいかを決めたいのです。お店で何かをせがんで泣きわめくことがありますが,自分の欲望を満たすことで,楽になろうとしています。苦しいから泣くのです。少し成長すると欲しいと思っても勝手に取ることができないと弁えているために,自分を抑えなければならず,その葛藤にどう対処すればいいか分からないからわめきます。

 泣かれると仕方なく子どもの欲望を満たしてやります。葛藤が消えるから,ケロッとして上機嫌です。この対処はママの先回りに過ぎず,子どもに教えることは泣けば思いが叶うという手管です。ママはただ泣かれるのが格好悪いという理由でしょうが,子どもの育ちの歩みをスキップしているという意味で先回りしています。そんな場合は泣かせておけばいいと言われます。では,子どもの気持ちの中で何が起こっているのでしょうか?

 気持ちの揺らぎは大声というエネルギーの発散でかなり低下させることができます。いらついたときには,思わずバカヤローって怒鳴りたいですね。それが本当に言えたらスーッとするだろうなと思いますが,言えないのが余計辛いです。せめて子どものうちは言わせておきましょう。また,落ち込んで辛いときには思いっきり泣けば落ち着くということがあります。気持ちの発散で身体の力が抜ければ,その後では思いもよらず楽に気持ちを切り替えられます。

 子どもたちが泣かなくなったといわれています。泣けないというべきかもしれません。泣くことを禁じられていると,暮らしの中で感じる葛藤は閉じこめられていきます。気持ちの淀みがどす黒く蓄積し,ちょっとしたきっかけでドバーッと噴き出してきます。子どもたちが見せてくれる理解不能な行動に,大人はどう向き合えばいいのか戸惑っています。もちろん,子ども自身もどうしてそんなことをしでかしたのか分かっていません。なんとなくやってしまったということです。

 耐性がないという指摘も,根っこはつながっています。子どもにイヤな思いをさせたくないという親心が,甘やかしになります。結果的に余計な先読みをしています。子どもであればこそ,イヤだと思えることはたくさんあります。そのすべてを満たしてやることはできません。かならずどうしようもない局面に至ります。そこで泣くことができたら,その肩を優しく抱きしめてくれる人がいたら,我慢しようという決意が生まれ,ケリがつきます。自分でそう決める力が育っていきます。

・・・気持ちの入口と出口が完備してこそ,子どもは健康に育ちます。・・・


 ○先走り?

 しつけの手段として,ほめると叱るがあります。良いことをしたらほめてやり,悪いことをしたら叱りますね。この至極簡単なことが意外と実行されていません。「〜したら」という部分が意識されていません。あからさまにいえば,行動が終わった後でほめたり叱ったりするということです。行動を決めるのは子どもに任せるのです。結果について正しく評価をしてやるのが親の務めです。

 念を押しておきましょう。多くのしつけが,子どもの決める前に発動されていませんか? 良いことをしなさい,悪いことはしてはいけないとしつけていませんか? 幼い頃は親の言う通りにしていれば間違いありません。でも,物心がつき始めた子どもには,相応しくありません。もう一人の子どもの考えるチャンスが奪われてしまうからです。指図通りに聞き分けのよい子に育ってきた子どもが,突然きれてしまうことがあります。ママの言う通りに育ってきたことを後悔するからです。

 人は他人に言われてしてきたことは,自分がしたとは思えないものです。育ちも一仕事とみなせば,言われるがままに育った自分は,自分ではなくて,ママに作られた自分であることに気づきます。自分はいったい何者という疑いが生じたとき,自分の存在が危うくなり,自暴自棄な破壊を自分に向けていきます。自分なんか壊れてしまえという切羽詰まった衝動です。親から逃亡して徘徊に及ぶ子どもたちは,自分探しをしようとしています。

 子ども自身がこうしようと考えて行動を決めることはとても大事です。親がちゃんとその判定をしてやることで,子どもは考えたことが正しかったか間違っていたかが分かります。たとえ間違っていたとしても,すぐには反発するにしても,考え直すというプロセスが可能ですから素直に聴くことができます。この繰り返しによって真っ当な考え方に導かれていきますが,何より大事なことはもう一人の自分がちゃんと考えたという経過です。

 走ったら危ないから気をつけなさい。その注意はした方がいいでしょう。多少は控えめにしようと考えるでしょうから,大事には至りません。転けたらちょっぴり痛い目に遭います。自分の考えが甘かったと修正できます。危ないからダメ。その強い制止があると,大丈夫と考えたことが丸ごと否定されますから,考えることをしなくなっていきます。実際に転けてみてはじめて,どうすれば良かったのか?と必ず考えます。

 よい子に育てようと先回りをすれば,その気持ちは子どもにはありがた迷惑です。自分に考えさせて欲しいと子どもは思っています。たとえ考えが足りなくても,それは自分のせいであり,納得できます。子どもに考えさせて決めるチャンスを与えること,それは親にすれば回り道でありまどろっこしいことです。忙しいからそんな悠長な暇はないという先走りをしたい事情も分かりますが,育てるということは手間暇の掛かることだとあきらめて下さい。

・・・たとえ未熟であっても,自分で考えることが育ちの鉄則です。・・・



《ママの先回りは,子育ての手抜きになると心得て下さい。》

 ○ボクがする。きっぱりと言い切って来る時期があります。させてやればいいのです。ママはあっちに行ってて。ハイハイと引き下がればいいのです。任せたのはいいけど・・・! しばらくして覗くと,どうしたのと驚かされる羽目に合います。とんでもないことになっているかも? 仕方ありません。穏やかに注意をし,必ず一緒に仲良く後始末をして下さい。自分でしたことですから,責任を取らせるのです。

 子どもは親に迷惑を掛けて育ちます。臑をかじるだけではありません。親だから引き受けてやれます。逆に言えば,子どもの迷惑を淡々と引き受けられるようになることで,親になっていきます。もしも子どもが重荷に感じるようなことがあったら,自分も親にそうやって育ててもらったことを思い出して下さい。いろんな考え違いや思い違いを親が丹念に吸い取ってくれたから,今の自分があることを。

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