*** 子育ち12章 ***
 

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「第 15-02 章」


『子育ちは 満点続く ものでなし』


 ■徒然子育て想■
『食生活?』

 西日本新聞が3月の紙上に「食卓の向こう側」というシリーズ記事を掲載していました。その記事の中からいくつかをご紹介しておきましょう。一個二十円のコロッケがあります。普通に手づくりをすると一個百三十円が採算ベースだそうです。どうして安いのか,わけがあります。骨についている端肉に大豆蛋白で増量,風味は香料で補い,加工でんぷんで歯触りを,粘りは結着剤で,その他乳化剤,酸化防止剤,着色料,保存料,調味料など,手づくりには入らないものが混ぜ込まれているそうです。ある食品加工工場長が,「おれんとこのは食べるなよ」と忠告するということです。

 2年前に養豚農家で,母豚のお産が死産の連続になりました。奇形だったり虚弱体質で死んだりし,透明な羊水がコーヒー色に濁っていました。農場主はエサの影響と直感したそうです。賞味期限の切れたコンビニ弁当やおにぎりを母豚に与えていたのです。有料で処理するより無料で豚のエサにした方が得と踏んだ業者が持ち込んできたものです。えさ代も月二十万円が浮きました。豚の妊娠期間百十四日後に,結果が出たのです。穀物などの元のエサに戻して,正常に戻ったそうです。

 アレルギー疾患の理由は半分が環境で,特に食生活の影響が大きいそうです。肉や卵,牛乳は毎日,油炒めも多いといったタンパク質や脂質の過食があると,身体ががんばってもアミノ酸まで分解できず,利用できない物質が残ってしまいます。運動不足で燃焼しきれない脂質もたまり,体内のヘドロになります。これが皮膚から排泄されると,アトピー性皮膚炎,気道に排泄されると気管支喘息やアレルギー性鼻炎などになるということです。身体の警告反応です。和風の食事に替えたら,家族のアレルギー疾患が半年後には消えた症例もあがっています。

 園児の便秘が深刻化しているそうです。お腹が痛いと泣く園児をトイレに連れて行くと,ボロボロとヤギの糞のようなもので,小さな子では保育士が指でかき出してやる場合もあるそうです。毎日便が出ない子は,1歳児で2割,2〜4歳児で3割,5歳児で4割という調査もあります。先ず朝食の内容が,パンやドーナッツ,カステラが多い。夕食もテレビに夢中で,食事が「ついで」になっており,身体のリズムが壊れ,排便習慣が身に付いていません。母親が肉や脂類,甘いものの多い食事をしていると,母乳はドロドロになり,赤ちゃんの身体の働きが低下し,腸の動きも鈍くなって便意を感じにくい体質になるそうです。

 快便のポイントが食物繊維であることは知られています。食物繊維は腸を活性化する善玉菌を増やし,腸壁をくすぐって便通を促します。穀物繊維,野菜や海藻の繊維を含む和食が理想だそうです。便がバナナ状で水に浮くと繊維が多い,色が黄色なら善玉菌が多いということです。日本人の小腸は欧米人より1.5倍長く,べっとりうんちのもとの肉や脂質をたくさん取ると,腸が長いぶん便は出にくく腐敗をします。便の量が増えた子は集中力のいる遊びの上達が早くなったそうです。

 こうして記事を並べてくると,いわゆるお袋の味の復活が望まれているような気がします。毎日の食卓には袋の味は相応しくないのです。ママの味よりもお母さんの味がいいということでしょうか。欧州では子どもを学校に迎えに行き昼食に家庭料理を食べさせているようです。子どもの食事は親の責任範囲であるという意識が定着しています。豊かな時代の中で,望ましくない食卓であるというのは,何とも奇妙なことです。命を人任せにして大丈夫なのでしょうか?



【質問15-02:ママは,どうして子どもの揚げ足をとるの?】


 ○勘違い!

 小学一年の女児が試験で0点を取ってきました。ママは内心穏やかではありません。ところが当のご本人はというと,「あと10点で100点だったのに」と残念がっています。10+0=100! 意表をつかれてうろたえたママは「どんな計算をすればそうなるの!」と声を荒げてしまいます。よその子であったら笑って済ませられます。妙に納得する部分があるからです。たとえトンチンカンであっても,子どももそれなりに考えていると思うからです。でも,親の目は違っています。

 幼稚園の面接日です。人見知りがひどく,何を聞かれても固まって無言の子がいます。最後になってやっと発言しました。「ボク,気になることがあるんだけど……」。「あら,お話しできるじゃないの。な〜に?」。「あの電気,切れそう」。「……,直しておきます」。付き添っているママは,恥ずかしいやら気の毒やら取り乱してしまい,同時に諦めさせられました。「どうしてあんなことを言ったの?」と問いつめても,「だって切れそうだったんだもの」。いつ切れるか気になって仕方がなかったのでしょう。場所柄を弁えないことを責めても,子どもの立場になれば詮無いことです。面接を希望しているのは親だからです。

 幼い子が「ママー,くまのプーさんって,苗字は熊野?」と聞いてきます。一瞬何のことって訝りますが,そうかと気がつきます。「何をバカなことを言ってるの,違うでしょ」。最初の一言が余計な揚げ足取りになります。勘違いを笑ったり咎めたりすると,小さなプライドを傷つけてしまいます。間違うことがいけないこと,恥ずかしいことという観念を外圧的に植え付けるのは望ましくありません。それは自我の発達の足を引っ張ります。勘違いを受け容れて,正してやればいいのです。

 いつも助手席に座っている子どもが,あるとき「お母さん,ガソリンスタンドの人はみんな親切でやさしいね」と話しかけてきました。いきなり何を言い出すのだろうと思って考えても,思い当たることがありません。「どうして?」。「どこに行っても必ず,『元気ですか』と聞いてくれるから」。そんなことを聞かれた覚えはありませんが,必ず聞かれることといえば「現金ですか」。聞き間違いをしていたのです。

 そんなこというわけがないでしょ! でも,子どもの中では,元気ですかと聞かれることが優しさとしてちゃんと納得できているのです。世界の理解が狭いから,ガソリンスタンドでの常套句など知るよしもありません。現金ですかと聞かれることなど思いも寄りませんし,その方が子どもにはわけが分からないでしょう。子どもは子どもの世界でものごとを納得していきます。大人の世界とは部分でしか重なっていないので,勘違いは茶飯事です。それでいいのです。子ども時代は子どもとして精一杯生きています。分かるときが来れば自分で分かっていきます。

 子どもが勝手な理屈をぶつけてきます。状況判断が幼くて,親の目から見れば無理難題や話にならないことです。あっさりと却下するのは簡単です。突然ですが,このような強権は父性の役割です。母性は子どもの中に足りない状況判断を注入してやります。子どもには難しい場合,たとえ話をしてやるといいでしょう。ものごとを決めるには相手の意向もあるということをゆっくりと教えていけばいいのです。理解できないが世の中には思い通りにならないことがあると分からせる機会です。

・・・子どもの考えを否定すれば,プライドまで傷つけかねません。・・・


 ○子どもだって?

 言うことを聞いてくれないのが子どもと悟るには,しばらく時間が掛かります。塾に行きたがらない小学生2年生の長男を,言い争った末にカッとなって殺してしまった37歳の母親がいました。子どもの判断や決定を根こそぎ否定して,親の思い通りに支配しようとすることが間違っています。極端な揚げ足取りです。そんなことは考えれば簡単に分かります。それでも日々子どものためだと思うから無理して,一時のことだからと従わせようと頑張りすぎます。私がしなければ誰がする?

 子どもの思い通りにしていたら,子どものためになりません。それもまた正しいことです。甘やかせば甘やかすほど子どもは不健全な育ちに逸れていきます。ビシッと正すことは正さねば。でも,ちょっとだけタイムを取ってください。押してもダメなら,退いてみましょう。一度はきちっと言います。後は子どもの判断に任せます。5分程してもう一度「いいのね」と確認してチャンスを与えます。この5分間に子どもの気持ちは動きます。やっぱりした方がいいかな。それでもダメなら,また5分。

 ところで,子どもには考え直す時間ができますが,親の方はイライラしながら待つことになっちゃうのでは? 1回目で効き目がなかったら,爆発することになりそうです。そんな心配があるなら,止めておいてください。どんな方法でも相性があるからです。一つだけお願いしておきます。イライラが昂じたら子どもに当たらなくて済むような方法を見つけておいてください。お茶碗をたたき割るという古典的な方法もありますが,ちょっと危ないですね。

 揚げ足を取るというのは,どちらかといえば意地悪な目です。虎視眈々と相手の弱点を見逃すまいとする敵視の構えです。我が子と敵対しては,元も子もありません。共倒れになるだけです。子どもはママだけが頼りであり,たとえ冷たい目を感じても,幼い心は健気に信じています。虐待を受けても逃げだそうとしない程です。大きくなると,心を閉ざしてかろうじて防衛しています。閉じ籠もりです。今のママたちに最も願うことは,一所懸命にならないことです。こうと思い込まないことです。

 不謹慎に思われるかもしれませんが,ゲームを楽しむように,子育てを楽しんで欲しいのです。こうすれば,こう返してくる。そう来たら,これではどうかな? 子どもとの掛け合いを一こまずつ重ねていくようにします。そんな面倒なことはできないとか,形勢が不利になったりとかしたとき,ゲームを根こそぎひっくり返すことをしたら台無しですね。あなたには負けた! たまにはそんなことがあってもいいのではないですか?

 楽に子どもと関われば,育ちが見えてきます。そんなことを考えているのか,と思うはずです。「あんた王様か? ぼくは家来じゃない!」と逆ねじを返す7歳の男児がいます。勉強は自分のためと諭したら,「お母さんのためでもあるんじゃない?」と切り返す6年生がいます。起きないのを注意されて,「寝坊したんでなくて,見る夢がたくさんあったの!」という5歳の子がいます。
《このパラグラフ:詳伝社黄金文庫「わが子のひと言」全労済編より》

・・・子どもだって一生懸命に頭をひねって考えています。・・・



《考えるチャンスを与えるほど賢い子どもになると心得て下さい。》

 ○子ども時代は練習の時代です。子どもの身の丈に合った条件の下で,考え判断して試していけばいいのです。たくさん練習すれば,それだけちゃんとした育ちをしてくれます。親の指図や命令通りに育った子どもはちゃんとした子どもに見えますが,そこまでです。大人になる力は備わっていません。自分で判断し自分で考える力が鍛えられていないからです。

 子どものためという親の願いは,本当はとてつもなく遠い先のことです。今は無理のないペースでそこそこに育っていくように伴走すればいいでしょう。目一杯の力で育っていたら,きっと息切れして育ちを投げ出すようになります。過干渉は子どもを潰します。一方逆に子ども任せに片寄るのも困ります。放任になるからです。目の届く間合いを保ちながら付き添っていてこそ,子どもが育ちのコースを踏み外さないように誘導できるはずです。

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