*** 子育ち12章 ***
 

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「第 15-04 章」


『育ちには 親の温もり 何よりも』


 ■徒然子育て想■
『意見?』

 一つの意見があります。書写しておいたデーターファイルから一文を引き込んでおきます。「日本人が一人になると弱いのは,集団教育に偏重しているからで,幼少 の時から一人でいることに慣れて一人で行動を起こすことを覚えないと,自信は育たない。人生の大切な場面を考えると,人間はほんとうに一人である。教育の目的は人生を切り開く力をつけることであり,そのためには悪しき平均点主義をやめ,勉強でも遊びでも一芸を伸ばし,自信を持つ子どもを育てることこそ大事であろう」。

 マスコミでの論調のみならず,この羅針盤でも,一つの傾向を取り上げて為すべきことを提示しています。育児書においても基本は同じです。それらの意見を取り入れる力を養って頂かなければ,結果はひどいものになります。育児書通りに育てていくと,必ず破綻します。それはこうと決めつけて,完全にやり遂げようとしてしまうからです。意見に従うのはいい加減でいいのです。

 上記の意見がもっともなことだと思ったとして,わが子を意図的に一人にしておこうとすると,育ちはバランスを失います。他方で,一人で行動するのは友だちができないから心配だと考えて上記の意見には反対で,仲良くすることを押し付けたら,やはり育ちにバランスを欠くようになります。バランスというのは左右の振れを細かく修正し続けることで成り立ちます。自転車のハンドルはバランスをとるために,常に左右に動いているはずです。

 いい加減とはバランスがとれていることです。仲良く遊んでいるときもあれば,一人で行動をしているときもある,という二つの状態が同じくらいあることです。一人でいるときに,どうしてみんなと遊ばないのと追い立てたり,みんなと遊んでいるときに,声を掛けて引き離そうとするのが余計なことです。仲良くしていることもあればケンカをしているときもある,皆ではしゃいでいるときもあれば一人ポツンとしているときもある,それが自然であれば手を入れないようにします。

 もちろん,集団教育に偏重しているという場合,学校から帰ったら塾やお稽古ごとに行くという暮らし一辺倒になっていることですから,一人で静かに本を読むといった時間を持たせるような指導が必要になります。ハンドルが右に片寄りすぎていたら,左に向くように導くのです。もちろん逆に左に行きすぎないように止める時期を見計らっておかなければなりません。子育ては一直線ではありません。自転車のハンドルを固定したまま走るのは無理なように,子どもは揺れ動いて育っていきます。だから目が離せません。

 子育てに迷いが生まれるときは,多くの場合,一つの方向を見定められないことです。そんなものはありません。無い物ねだりだから,答えが見つからないのです。イエスかノーかではなくて,あれもありこれもある,そのバランスを取ればいいのです。集団も大事だし孤独も大事なのです。そして親の目は子どもが今集団過剰になっていないか,いつも独りぽっちになっていないかを見極めて,子どものアンバランスを回避するように手助けをすればいいのです。意見に子どもを合わせるのではなく,子どもに意見を重ねてみるようにしてください。



【質問15-04:ママは,どうして子どもの世話が面倒なの?】


 ○見落とし!

 あるママの投稿です。隣家の子どもが幼稚園のとき,お弁当はいつも菓子パンだった。ある日,それを見かねた保育士さんが,「おかあさん,お忙しいでしょうがひと手間かけてやって下さい」と,一言連絡しました。翌日・・・『あんぱん』が二つに切ってあったそうです。まさかマジではないでしょうが,余計なお世話という開き直りとしたら品性が疑われますし,冗談にしても度が過ぎています。いずれにしても,すればいいという世話の手抜きです。

 子どもの食事を心配する声が途切れることなく聞こえています。育ち盛りの子どもは,取りあえず空腹を癒せばよいという食事では済ませられません。単なるエネルギーの補給ではなくて,身体や神経系,様々な内分泌物質を形成する材料が不可欠です。機械が小さなねじ一本の不足で動かないのと同じように,わずかの大事な栄養素が不足するとき,心身の機能に不具合が現れます。難しいことではありません。多種類の素材を使った食事が与えられる家庭であって欲しいと願います。

 元子どもの述懐です。小学生だった頃,友人の家へ遊びに行ったら友人が錠剤を飲んでいました。私が「何の薬?」と尋ねると,「セイチョウザイ」という友人の返事でした。当時クラスで2番目にチビの私は,母にねだったが買ってもらえませんでした。そのことがあってから,チビなのは母がケチだからとずっと恨んでいました。大人になってセイチョウザイは成長剤でなく整腸剤だと知ったときは驚きました。なんということでしょう?

 ちょっとした思い違いですが,そんなことでまさか子どもから恨まれていようとは,親は思いもしませんね。親はちゃんと世話をしているつもりでも,子どもは世話をしてもらわなかったと思ってしまうことがあり得ます。子どもの思惑までは考えていられません。第一そんなことは無理ですが,すれ違いを減らす努力はした方がいいでしょう。セイチョウザイをねだられたときに,なぜ欲しいのかというわけをゆっくりと聞いてやっていれば,誤解も解けたことでしょう。

 あるママのかすかな気づきがあります。2歳の娘さんが,教育テレビの『おかあさんといっしょ』のことをなぜか「おにいさんといっしょ」と言っています。ママがいくら訂正しても直りません。ママは考えました。確かにいつも一人で見てるから「お母さんと一緒」じゃないよね。悲しい気づきでした。テレビの前にぽつんと座って見入っている女児が,向こうの世界で楽しく歌い踊っているお兄さんとの一体感を持ってしまうのは自然です。そこに世話の手抜きが見えてきます。

 こちらの世界でもママと一緒に歌って踊れたら,お母さんと一緒と実感することができたでしょう。子どもにとって親からの世話とは,単に自分のできないことを助けてもらう,たとえば,食事の世話などだけではなく,誰かと一緒に何かができることを証明してもらうことも含まれます。お手伝いをすることで一緒にできた,ママと一緒に歌って遊ぶことができた,そんなことがうれしい世話なのです。

・・・必要な世話だけでは,子育ちの世話が不十分になります。・・・


 ○心の世話?

 気分をリラックスさせ,いらいらを解消するというサプリメントを愛用しているママがいます。6歳の娘さんがたまたまそれを見て,「ママ,それ何の薬?」と聞いて来ました。何と説明したらいいのか一瞬戸惑いながらも,「え〜とね,怒らなくなる薬よ」と答えたとき,即座に返ってきた娘さんの言葉は,「ふ〜ん・・・。あんまり効かないね」。まさかそんな言葉が返ってくるとは思いもせず,冷や汗をかきながら「誰のせいだ!」とイライラしてしまったママでした。台無し?

 生活は雑務の連続ですが,時間を追った段取りに沿って処理されます。テキパキと順序よくことが運べば気持ちがいいのですが,不意の用事が飛び込んできたりして手順が乱されると,混乱が起こり,修復するにはかなりの手間が掛かってしまいます。イライラするから焦ってしまい,余計に手間取ったり,やり損なったりします。なんでこうなるの?と考えても詮無いことですが,ついつい怒りの矛先が不意の用事を持ち込んだ者に向かいます。そこに無邪気な子どもが立っています。

 ちゃんと,きちんと,さっさとできない子どもがいると,ママはかき回されます。無駄な抵抗は止めてあっさりと諦めることです。できるようになるまでは,引き受けてやらねば仕方がありません。子どもの世話はたいへんです。たいへんだから,子どもが育っていけます。動物の子どもは簡単に何の世話もなく育っていますが,そんな育ちをしているから結局は動物止まりです。人は繊細で超高級な動物です。精魂込めて世話をされるから,親が犠牲的に関わるから,人に育っていけます。

 6歳の娘さんの反撃をもう一つ紹介しておきましょう。ママに叱られた娘さんが,「おかあちゃんは何でいつもいつも怒ってばっかりなん?」というので,ママは「おかあちゃんは怒るのが仕事なんちゃ!」と答えました。すると,「会社、辞めぇ」と言い返されてしまいました。仕事をしているママは要らないという願いです。仕事で怒るということは,仕事で世話をしていることです。仕事で母業をしていることです。そんな母は嫌だと訴えています。

 お母さんとは,拠り所です。愛情関係です。親の役割という言い方をする場合があります。それは親という役目を果たすこと,仕事に類する責任というニュアンスがあります。親子とは役によって結びついているものではありません。母にとっては分身であり,我が身と同じ存在です。子どもにとって「お母さん」とは,全霊でつながっている唯一の味方です。単純に親であろうとしさえすれば,それで十分です。それなのに,子育ての責任者といった役目柄を装おうとするからぎごちなくなります。

 小学校での一こまです。国語の授業で太宰治の走れメロスが教材になりました。教科書にはメロスが懸命に走る姿(全身)の挿し絵まで丁寧に載っていました。一通り読み終わり,メロスについて気が付いた事,思った事を述べろという質問が出されました。その質問に対して生徒の答えは,「メロスは天然パーマだった」,「メロスは男なのにスカートをはいている」,「しかも超ミニだ」等というものだったそうです。人を表面でしか見ないように育っているのは,親子の親密な気持ちの交流を体験していないせいです。相手が何を思い感じているかという洞察が未経験のままに据え置かれています。それを教えるのはママによる心の世話なのです。

・・・身体の世話だけでなく,心の世話も忘れないように。・・・



《世話をする手に温もりがないと心が育たないと心得て下さい。》

 ○子どもが手伝ってくれるとき,ブツブツ言ったり投げやりにしてくれたら,嫌ですよね。「もういい」って怒鳴りつけるでしょう。同じことを子どもの世話をするときにしていないでしょうか? そんなことはないと自信を持って言えたらどんなにいいでしょう。親がどんな思いで世話をしてくれているか,子どもはそこに最大の関心を寄せています。そのことを肝に銘じておかなければなりません。

 こっぴどく叱られても,親が親の気持ちを殺して子どものために叱っていると分かれば,子どもは素直に聞き入れます。道を踏み外した若者は,親に叱られたことがないと言います。小言はたくさんあっても,自分のために叱ってくれた覚えがないというのです。何かと世話をしてくれていても,ありがとうと言えないということもあります。世話をするというのは,結構難しいものです。

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