『育ちには 優しい言葉 道標』
■徒然子育て想■
『虐待では?』
ある中規模市の教育委員会が保護者を対象に市民意識調査を行いました。それによると,幼児の保護者では73%が子育てに自信が持てず,26%が虐待したと思っており,児童の保護者では69%が自信がなく,24%が虐待したと思っているということです。虐待の内容については,感情的な言葉が幼児・小学生共に9割,暴力は幼児で42%,小学生で32%になっています。とてもつらい現状がうかがえます。
子育てに自信が持てないから,なんとかしなくてはという焦りが強くなり,思う通りに動いてくれない子どもに責任を転嫁して,子どもが悪いと考えていって,ついには罰するための暴力に至っています。この連鎖を断ち切らないと,いつまでも事態は改善されません。最も望ましいことである元を断つには,子育ての自信を持てるようになることです。そのためのお手伝いをしようと願って,この子育て羅針盤をお届けしています。ただし,体質改善のようなものなので,時間がかかります。
対処療法としては,子どもの行動などの属性面から気持ちを離してみることです。落ち着きを取り戻すためです。夜眠っている子どもの顔を覗くと安らかな寝顔があります。昼間のいさかいが胸に痛く刺さってくるでしょう。期待通りの子どもでなければという欲は脇に置いて,子どもそのものの存在をしっかりと受け止めてやることです。子どもをどうこうしようということよりも,子どもにそっと寄り添ってやればいいのです。そう思っていればやがて焦りは軽減されていきます。
子どもは未完です。自分でも思い通りには動けません。子どもは大人のようには走れません。すべてがそうなのです。決して能力がないのは子どものせいなどではありません。待つという忍耐が親には求められます。言い換えれば,大してできるはずもないと諦めることです。それが子どもを子どもとしてきちんと見てやることです。子どもには悪いところはないと信じるようにすれば,責める気持ちは薄れていくことでしょう。
言葉遣いにも気をつけましょう。支配者的な指図をする言葉は御法度です。代表的な言葉は「〜しなさい」です。偉そうな言葉を使っていると,言うことを聞かない子どもにプライドを傷つけられたような錯覚に陥ります。プライドが高慢になっているから,暴君特質が現れお仕置きが激してきます。幼気な子ども相手に偉ぶったら,結果は悲惨になるに決まっています。命令的な言葉は相手に有無を言わせません。追いつめても詮無い相手であることを弁えて頂けませんか。ママは言葉の先生です。美しい言葉だけを口にしてもらえば,どんなに素敵なことでしょう。先ずママは言葉美人になってください。
不幸な出来事が起こるときには,いくつかの要因が偶然に重なるものです。ということは,一つでも確実に外しておけば,防ぐことができます。つい弾みで,こうなるとは思いもしなかった,そんな過去の数多くの反省から学んでおくことが大事です。ほんのちょっとした気遣いをするだけで済みます。歯車を一つ替えるだけで,全体はよい方に回り始めます。すべての方策はいつもママの方にあることを知っておいてください。
【質問15-05:ママは,どうして子どもの言葉をさえぎるの?】
○展望!
ママが慌ててしまったことがあります。6歳の次男は言葉の言い間違えがとても多いのですが,ある日のことです。次男が台所で遊んでいた三男の様子を見ていたのですが,「○○ちゃんが"ねっとり"してるよ」と,隣りの部屋にいたママを呼びにきました。ん,ねっとり? 悪戯をして油でもかぶったのか!? びっくりして見に行くと,そこには熱を出して"ぐったり"とした三男がいたのです。次男の言い間違いを正すことなど忘れていました。
ちょっとした言い間違いですが,弟の様子がおかしいということはちゃんと伝えてくれています。ねっとり? もしもママが何をわけの分からないことを言っているのと聞き流したら,大事なメッセージが無に帰したはずです。油を被った? それはママの思い違いでしたが,胸騒ぎを覚えたのはさすがに母親の鋭い直感です。そこから弟思いの次男の優しさを受け止めてやることもできました。「ありがとう」。そう言ってあげたら,優しさへの展望が見えてくることでしょう。
スーパーマーケットでよく見かける母子の会話です。「ねえねえ、これ買って」,「これはラムネがいっぱい入ってるだけだからダメよ」。「じゃぁ、これ買って」,「これはだだのアメじゃない。ダメよ」。「じゃぁ、これは?」,「これはパイの中にチョコが入ってるだけ」。「これは?」,「これはチョコの中にアーモンドが入ってるだけでしょ」。お母さんはいったい何だったら買ってやるのでしょうか? おそらくすべてダメなんでしょうね。
子どもの要求をまともに受けて,理由を言って聞かせながらいちいち拒否しています。子どもはこれがダメならあれをとしつこく責め立ててきます。根気よく受けているところをみると,このお母さんは優しいのでしょうね。普通だったら,三つ目になると「いい加減にしなさい」とガツンと言ってやるはずです。子どもの言葉を振り払うだけではベターではありません。なぜなら,繰り返すだけできりがないからです。子どもの気持ちを別の方向に上手に逸らしてやることです。
例えば,モノの選択の良し悪しではなくて,今日はダメだけど明日なら,といった時間をシフトすることです。欲を拒否するだけでは治まりませんが,時を移すことなら欲を持続できるので待つというしつけに転換することができます。約束というしつけにもなります。もっともママが守らなければなりませんが,それは嫌ですか? 要は気持ちを切り替えることです。考え方や見方を変えると,新しい展望が開けます。子どもの言葉を遮るのではなくて,生かしながら次につないでやりましょう。
子どもが大きくなってくるといつの間にかママと話さなくのは,理由があります。それはママが「でもね,・・・」と話をひっくり返してばかりいるからです。自分のペースに持ち込もうとして,子どもの話を途中でご破算にしようとします。話しても無駄になるから,話さなくなります。話していることがママとの会話で当初の方向からずれたにしても,つながりながら展開していけば子どもは受け容れることができます。つながりを断たれることが分かっていれば,口は閉ざされていきます。
・・・それではと展望が開けていけば,親子の会話は楽しくなります。・・・
○決めつけ?
両親と6歳の男児が道端の植え込みのところでもめています。母親が「何であんたはさっきからこんなにおしっこばっかりするの!」と言っていると,父親が「立ちションなんかしてないで家でして来れば良かったんだ!」とフォローしていました。息子は負けずに「だって僕,おしっこ貯めてるんだもーン」と返します。即座に母親の大声と激怒が追い打ちです。「何言ってんのッッ、貯めていいのはお金とかお菓子とか道で配ってるティッシュとか…そういうものだけなのッッッ!!」。父親はその剣幕よりも内容に驚き,居心地の悪い表情を浮かべるだけでした。
確かに子どもの方が奇妙な理屈を繰り出しています。小生意気な減らず口というものでしょう。それに負けじと対抗するあまり,激情が噴き出して,母親の言うこともいささか失笑ものです。もしも父親が突っ込みをしようものなら,「どこが間違っているって言うの!!」と開き直られ,巻き添えを食うのが関の山です。目には目をという単純な応対ですが,大人げないですね。貫禄を示さなくちゃ,そう思いませんか? でも,そのときになればやっぱり言っちゃうかも。
学校の三者懇談の席でのことです。中一の女生徒は二学期の成績がかなり落ちていました。先生から「どうしたの?」と聞かれて,「部活をがんばりすぎました」と理由を言っていましたた。懇談の最後に先生から「では,ここで三学期に向けてがんばりたいことを宣言してください」といわれた女生徒は,「部活をがんばります!」と力いっぱい宣言しました。親はもちろんのこと,先生もずっこけてしまいました。「違うだろう!」。
子どもの気持ちが大人の思惑とは全く正反対に向かっているとき,呆気にとられます。そんなことは想定できないからです。その場の流れには,ある方向が前提とされており,それが共通理解されているはずです。三者懇談は勉学に勤しむためにあるという大人の側の前提は,子どもにはなかったということです。何にも分かっていないと嘆く場面はたくさんあります。ついつい言って聞かせたくなりますが,できるだけ子ども本人が気づくように誘ってみませんか? 言っても変わりませんから。
ある学校での出来事です。男子生徒がタバコを喫煙したという理由で学校を停学になりました。その停学が始まった翌日,世界禁煙デーの標語募集で,その生徒の作品が入賞しました。学校では,先生も生徒もやはり経験にもとづくのが一番という結論に達したということです。普通であれば,教育的配慮という意見が巻き起こって,入賞の取り消しになったかもしれません。ひねり出された結論もどことなく苦し紛れの感が漂って,そこに皮肉な可笑しさがあるから伝聞されたのでしょう。
子どもはいろんな程度の望ましくない間違いを犯します。何度かの間違いで素行の悪さというレッテルを貼り付けるのは,かなり酷です。標語の一つでも認められることで,立ち直るきっかけがつかめるなら? そんなチャンスを与え続けることが教育の理念です。ともすれば,難癖をつけて切り捨てていくパターンが横行しますが,子どもの育ちを見限ることになるということを忘れています。許しと励ましというのは,なんとなく生まれてくるものではないようです。理想にすぎないと捨てるには,あまりに大事なことです。
・・・ひどすぎて呆れることがあっても,育ちを信じ切ってやりましょう。・・・
《子どもの言葉はまだまだ次に続いて変わりうるものと心得て下さい。》
○情報化社会の中で育っているにもかかわらず,子どもたちの言葉の力は貧弱です。きちんとしたお話ができません。食品がインスタントになったように,言葉もインスタント,ファストフード的に落ち込んでいます。深い味わい,正確な意味,多様な言い回し,含蓄のある語句,そんな言葉の美しさが褪せていきます。誰に向かってもため口でしか語れない未熟さを,そうと教えていないのは大人自らです。
ただ単にしゃべればいいというのではなく,洗練してやらなければなりません。それは日常の語り合いによるものであり,コツコツと磨き上げる手間を掛ける必要があります。言葉は一方的に伝えるものではなく,伝わり合わなければ用を為しません。お互いの思いをきちっと重ねられたか,そのことを心掛けて子どもと話をしてください。大人と子どもの間には必ず誤解が生じます。それを解きほぐすのは,根気よく話を聞き,ゆっくりと確かめてやる親の言葉掛けです。