*** 子育ち12章 ***
 

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「第 15-11 章」


『育ちには 弱点癒す 温もりを』


 ■徒然子育て想■
『自然な育ち?』

 6月10日は,時の記念日でした。時間を大切に使っているでしょうか? 時は金なり。忙しいことがいいこと。暇がなくて,子育てなんかしている暇がない。親としての時間など無駄な時間だから,子どもなんか要らない。すべてを自分の時間にして,さぞ現代の人は生き甲斐を持っておられることでしょう。皮肉ですが,皮肉に聞いて貰えないご時世です。何のために忙しくしているのでしょう。ゆとりのある生活がしたいからです。でもちっともゆとりは手に入りません。切ないですね。

 大人が忙しいから,子どもは急かされています。朝は,早く起きなさい,早く顔を洗って,早く食べないと遅れるわよ,と追い立てられ,夕方は,塾に行く時間よ,早く寝なさい,と急き立てられます。疲れるばかりです。毎日忙しくしていると,子どもには何も残ることはなくなります。子どもという白紙にいろんなものが書きこまれても,そのインクが乾かないうちに,新しい書き込みがされていき,かき消されてしまいます。ゆっくりと過ごす時間がなければ,定着しません。

 一人の精薄児がいて,修学旅行に行くことになりました。楽しみにしていたのですが,特急列車に乗っていくと聞いて,「ぼくは特急には乗らん。特急は好かん」と言います。「どうして?」。「だって,特急は駅を素通りするもん。駅がかわいそう」。あまりに嫌がるので,その子だけ特別に数時間も前に各駅停車の鈍行で出発し,目的地で合流しました。駅ごとに「駅さん,こんにちは」,「さようなら」と挨拶をしていきました。一つひとつのことを自分の心でしっかりと刻んでいる,それが育ちということを思い出させてくれます。

 せっかく「モモ」が時間泥棒から取り戻した時間を,大切にしなければもったいないことです。ゆとり教育という言葉が,学力低下の心配に反撃されて,後ずさりをしています。ゆとりとは学力にあだなすものという認識です。相変わらず付け焼き刃の学力にしがみつこうとする旧弊が残っています。気楽に取り組んでいることは,ちょっと練習すればそこそこに上達できます。しかしそこに必ず壁があります。ある段階で止まります。素人のままであるかどうかの扉です。その扉はゆとりのある精進に拠ってしか開けることはできません。

 例えば,我慢のできない子どもたちは,ゆとりという時間を持てない質なのです。早く,今すぐという時間に追いかけられている生活には,我慢を育てることはできません。我慢できないから,根気も持てない,何一つ最後までやり遂げたことがない,いい加減なところで妥協する,諦めが早い,自信もつかない,頼るばかりと,何一ついいものには行き着きません。学力とゆとりとは,どちらかを選ぶという問題にはならない,連続したことなのです。

 生活にリズムがなければ,味気なくつまらないですね。チクタク動く時計に支配されるのが現代生活ですが,時計を外した生活,自然の時間を過ごすことでリフレッシュできます。あれこれをしなければという強拍の連続ではなくて,適切な弱拍が絡み合って,美しい生活の旋律が流れます。人は機械ではなくて,自然なのです。春夏秋冬,昼夜というリズムには,動静,緩急といった対立項が併存しています。ゆとりは自然の要素なのです。



【質問15-11:ママは,どうして子どもの弱点を暴くの?】


 ○切り返し!

 子どもは不思議な発想をします。ある息子さんが幼稚園に入園する直前のことです。「幼稚園で足が痒くなったら掻いていいの?」とか,「寒いから遠足行かなくていい?」などと質問してくる息子に,ママは不安が募りました。そこで,念を入れようと「お鼻が出たらちゃんと自分で拭くんだよ」と注意を促したら,「得意じゃないんだよね」と切り返されました。たとえ得意じゃなくても拭かなくちゃいけないんですが!

 子どもにとって得意なこととは,何も考えずにすらりとできること,身に付いている程度を意味します。大人が思っているような"人に優れて"というイメージはありません。幼児はし慣れていないことばかりですので,三度に一度は失敗することが普通です。子どもは,「ときどき失敗するけど,それでもいいんだよね」と予防線を張ろうとしています。「ちゃんと拭けない」と思っているらしいママの嫌みを,ちょっぴり重たく感じています。

 子どもとの会話は時にすれ違いをします。おねしょをしていたことがバレて,5歳の男の子がお母さんにお説教をされていました。延々と続くお説教に頭をたれて聞いていましたが,「ちょっと,タカシ君,反省してるのっ?!」というヒステリックな声に一言,「いやぁ,ちょっとした出来心ですよ」とのたまわったのです。ものに動じない大らかさであればいいのですが,間違えたらと思うと将来が心配になったママでした。

 子どもは言い訳の仕方について強い関心を持って情報を集めています。ママとのバトルで何より必要な知識だと身に浸みて実体験しているからです。テレビなどで「いやぁ,ちょっとした出来心ですよ」というセリフを耳にして,これはいけるとダウンロードしていたのでしょう。別にママをおちょくっているつもりは全くありません。うまい言い訳,ママに通用する言い訳を手に入れたくて,あれこれ試しているうちの一つに過ぎません。これは効果があると思わせておきますか?

 子どもの口は怖いものです。生理用のナプキンを着ける母を目撃してしまった幼稚園児が,ママは大人になってもオムツがとれないんだと密かに心を痛めていました。しかし,数日後,母に思いっきり叱られた園児は,腹いせに幼稚園の友だち,先生,近所のオジサンオバサンに「うちのお母さんはまだオムツしてるんだよぉ〜」と言いふらしてやりました。ことの真相を分かる頃にはきっととんでもない思い違いを反省することでしょう。

 ママは子どもの弱点を知り尽くしています。子どもの反撃など意に介せずというか,露程も思っていないことでしょう。ところがどっこい,ママの身近でチョロチョロしている子どもの目には,飾らないママの素っ裸が映っています。もちろん大好きなママですから意地悪な目ではありません。でも,ママが気分に任せて子どもの弱点を突いていくと,反発心が惹起されて,とんでもないしっぺ返しを食らう羽目になります。幸か不幸か,ママは気が付いていないのですが・・・。

・・・弱点を攻められると,子どもの切り返しも多様です。・・・


 ○わけあり?

 子どもは生半可な知識を仕入れてくるものです。どこで聞いてきたのやら6歳の息子さんに「お母さん,ブス専って何?」ときかれました。「不細工な女の人が好きな男の人のことだよ」。「あ〜! お父さんみたいな人のことだね!」。・・・数秒間凍りついた後,ママが穏やかに「そんなにお母さん不細工?」とたずねたら,息子は慌てて真っ青になって必死に横に首を振り続けてくれました。口を利かないところがお利口さんでした。

 子どもは知らないことに出会うと,尋ねてきます。ママは意味を解説してやります。子どもはそこでもう一歩確認しようとします。その際に使う手は,身近な例に準えようとします。すんなりと納得できるからです。よいことであればいいのですが,望ましくないことであると,差し障りが生じてしまいます。子どもは単に分かりたいという純粋な思いなのですが,引き合いに出された方は困ったことになります。でも,それは悪気はないのですから,笑って見過ごしてやってくださいね。

 お父さんは母と子の会話を斜めに聞いています。息子さんがお菓子をねだっていましたが,ママは「お菓子はもうないの。『ない袖は振れない』のよ」と言い聞かせていました。その直後です。パパの頭に「ない胸は揺れない」という言葉が浮かびましたが,3秒間の葛藤の末,胸の内に秘めることにしました。多分,正解だったでしょう。言わなければ分からないんですから・・・?

 ママは子どもと真剣に向き合っているというのに,パパはいったい何を考えているんでしょう。人の気も知らないで! でも,それでいいのです。パパは母子のやりとりを密かに楽しみながら,ママと子どもを同時に視野に入れています。どちらかといえば,子どもと同じサイドにいるようです。このあたりがもう一人の子どもといわれる夫の甘えかもしれません。それでも,全く無関心ではないのですから,いいと思ってくださいね。

 子どもの無邪気さは,大人には痛みになる場合があります。特に母と娘のペアではきつくなります。ある日,カーディガンを着て5歳の娘さんと外出中のことです。突然「お母さん,何でボタンしないの?」とカーディガンのボタンを触りながら聞いてきました。答えようとしたママの言葉より先に「太ってるから?」と娘さんからの追い打ちです。素朴な疑問を口にしただけと信じたいのですが,娘の言葉であるだけにその笑顔が悪魔に見えてしまった瞬間でした。

 ちゃんと洋服を着るというのは,ボタンをきちんと留めることです。そのようにしつけられている子どもの目には,ボタンを留めないママの着こなしが奇妙に見えたのでしょう。どうしてかな?という素直な疑問だったのですが,子どもなりにママのことを思いやったとき,ママが常々お腹のふくらみ具合を気にしているのを思い出し,つい確かめてみたくなりました。ボタンを留めないといういけないことをママがするはずがない,何か理由があるはずとママを庇っているのです。子どもには太っていることがわるいこととは思えないので,悪気はありません。

・・・子どもの事情は,時として大人には不都合になることもあります。・・・



《子どもの弱点は親も痛みを分かち合って克服されると心得て下さい。》

 ○親は君臨して子どもの弱点を容赦なく暴きます。子どものためという大義名分がありますが,言われる方は愉快ではありません。それでもやはり,子どもはママが正しいと信じたいと思います。そこで,自分が言われていることをママはちゃんとできているかを見届けようとします。親を検証していると言うこともできます。子どもの目は真剣です。

 幼いうちは親に直接返ってくることはありませんが,大きくなってくるとかなり強い反発となってきます。視野が広がってくることもあり,自分の親をよその親と比べてみるようになります。親が友だちと自分を比較することへのお返しです。子どもは親を見習って育っていきます。一緒に育っていくというのはそういうことでもあるのです。気をつけてくださいね。子どもに言ったことは,自分にも言っていることになりますから。

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