*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 16-03 章」


『育ちとは 安心の地で 芽吹くもの』


 ■徒然子育て想■
『次世代のために?』

 次世代育成支援行動計画を来年度までに策定することが地方自治体や事業所に求められています。少子化の傾向が留まらない勢いで進行していることを受けて,社会の活力が失われるという見通しは切実な実感を帯びてきたためです。数十年先の社会がどうなろうと知ったことではないというその日暮らしの気分は,成熟した社会に潜んでいるブラックホールでした。栄枯盛衰という歴史の歩みは確実に再現されるもののようです。

 親であれば,子どもたちの時代を心配するはずです。子どもの時代が良くなることを願って行動するのが親の素直な役割です。もっと正確に言えば,三世代の親の役割でした。祖父母が孫の時代を切り開いてきたのです。かつては孫の時代に大きく育って切り出せるようにと,山に苗の植樹をしてきました。そのお陰で日本の山は西洋や大陸のような禿げ山にならずに緑豊かなのです。日本の山の緑は自然の産物などではなくて,次世代のためにという親の願いの賜物だったのです。

 情報化や国際化といった時代の動きは,人を横向きの目,空間視線に釘付けしています。今は,人が連携をとってどれほど豊かになるかということに関心が傾いています。この先どうなるかという縦の目線,時間視線が極端に曇っているのです。親であることは親子関係を基本軸にするので,時間視線を持たなければなりません。この子がどう育っていくのか,その時代はどうなるか,そんなことを考えて行動を起こそうとするのが親の目線です。

 子どもたちの目線は,今の自分にしか関心を向けません。今が不快だから後先を考えずに凶行に走ります。この先どうなるかという視線を親が伝授できていない所に原因があります。がんばるということも,我慢するということも,この先をよくするための方便です。先を見なければ頑張りも我慢も無用です。忍耐力がない子どもたちということが言われますが,それ以前に明日を知らない子どもたちなのです。

 親は子どもの明日を心配してしつけています。塾やお稽古ごとに痛いほどの出費を背負っています。それはわが子の明日を考えているからです。でも残念なことに,わが子たちという気持ちはほとんどありません。よその子のことまで構ってはいられないということでしょう。ましてやわが子たちの時代がどうなろうと無関心です。そこまで考えるほどの余裕がないという現実があります。その現実に負けていては役目としての保護者のレベルに留まり,親にはなれません。

 親は子どもたちに対して責任を負っています。時代を作るのは子どもたちですが,その条件を整えておくのは親のなすべき責任です。親は親たちというネットワークを組んで子どもたちの時代につながる動きを興すことが期待されています。それが具体的に何かということは,いくつでも転がっています。次世代のために良い環境を残すこと,今の浪費を次世代に残さないこと,日々の暮らしの中に種を蒔くことができるはずです。今を楽しむキリギリスの話はおとぎ話ではありません。



【質問16-03:子どもは,自分で安らごうとしているんですよ】


 ○第3条:安心権!

 人が連れ添って生きていきたいと選ぶ相手は,安心できる人です。いわゆる素敵な人とは少し違っています。付き合いたい人と一緒にいたい人とは必ずしも一致しません。恋人と会うときは装います。嫌われたり飽きられたりしないかと不安だからです。気に入られようと思うから疲れます。ありのままをさらけ出していられるようになると,夫婦になります。もっとも,それにも程度がありますが?

 ありのまま? それは人には見せたくないものです。それを許し合えるということです。人は誰しも弱い部分を持っています。人前では懸命に隠しています。自然でないからストレスが溜まります。家に帰るとホッとする,だから帰りたくなります。だから人は家庭を持ちたくなります。そういう家庭だからコウノトリによって子どもが授けられます。鳥のカップルと巣と雛は三点セットです。居心地の良さ,それは子どもの育ちに適う環境条件です。

 子どもの居場所? それは空調の効いた快適な部屋ではありません。そこは暑さ寒さを無くします。暑さ寒さを体感してこそ,年輪が刻まれるように育ちがあります。何不自由なく過ごさせるのは,子どもの生きる力を眠らせます。不自由するからなんとかしようという生きる力が目を覚まします。安穏と暮らしていると,人は後退していくものです。無垢な子どもはひとたまりもありません。子どもが中心にのさばっている家庭は子どもを育てる条件を捨てています。

 子どもを構い過ぎないように,多少の不便や不自由を与えるようにということです。家庭は元々大人の都合やサイズを優先するものです。子どもは自然に不自由さをかこちます。もちろん危険は回避しなければなりませんが,大人が振り回されるほどの手を掛ける必要はありません。その代わりに,大事なものを子どもに分け与えます。家族という宝物です。家族? 家族の絆です。親子の場合は親子の絆になりますね。

 母子はへその緒がきれて,子どもが誕生します。代わりに親子の絆を結んでおかなければなりません。とやかく言われなくても,ママは絆を結んでいるはずです。それを承知で敢えて心配してしまうのは,管理の絆になっていないかということです。このことについては,前号で子どもに任せるようにというお願いをしておきました。縛る絆は解き放たれますが,命綱になる絆は外さないようにしておかなければなりません。

 回りくどい言い方をしてきました。子どもにとっての命綱,それはいつでも親に頼れるという安心感です。「お母さん」。その一言で自分を受け容れてくれるという確信です。子どもは自分のことを親が気に掛けているという証拠を求めています。いたずらっ子も親の気を引こうとする,もっと気に掛けて欲しいというアピールをしています。誰も気に掛けてくれないと思わされると,人は辛さを通り越えて生きる気を萎えさせられます。安心して親に甘えられる,頼れる,待っていてくれる,その安心があって子育ちは芽を吹きます。

・・・生きる力として確保すべきものは,第二に安心です。・・・


 ○環境?

 人の悩みは内容はともかく思い通りにことが運ばないということです。努力が足りなかった,考え違いをしていたと自分を思い直す道を選べば,先に進むことができます。しかし,責任や原因を外に求めると不平や不満にとらわれて,袋小路に嵌り抜けられなくなります。そうは言っても,そんなに簡単に割り切れるものでもありません。どうしようもないことの方が圧倒的に多いものです。

 昔の人は小欲という歯止めを持ち合わせていました。欲をかけば終いにはひどい目に遭うという経験則を,おとぎ話などに込めて伝えようとしました。欲をかかなければ,ことがうまく運びやすくなるということです。小欲を満たすには無理な努力でもないですから,苦もなくやり遂げることができます。人を恨んだり妬んだり羨んだりすることも激減します。世間はそんなに甘くはないという現実,立ち向かうのは並大抵の苦労ではないこと,それを認めてしまうことが,大人になることです。

 世間ずれするようにと言っているのではありません。いわゆる現実という壁の存在を真っ直ぐに認めることの必要性を言いたいのです。子育ての場面でも同じことが言えます。子どもは親の言うようには育たないという現実があります。そのことを認めなければ手塩の加減を誤り,取り返しのつかない羽目に至ります。親の思い通りにならないのが子どもです。それを悟ったら,子育てはずいぶんと楽になります。無理をしなくなるからです。

 幼い子どもは思い通りにならないと泣きわめきます。お腹が空いた,痛い,寒い,暑いといった生きる上で不可欠なことは別にして,わがままに類することはいくら泣いてもどうしようもないと学ばなければなりません。ほとんどの場合がママの我慢に掛かっています。根負けして甘やかしたら,子どもはゴネ得という悪癖を身につけます。どうすればいいのでしょう? その場はきっぱりと拒否します。ほとぼりが冷めた頃,ママの方から叶えてやるようにすればいいでしょう。

 甘やかすことで子どものご機嫌を取ることが安心を与えることではありません。安心は一度奪われることで見えるようになります。思い通りにならない不安を感じた後で,親から気に掛けているというフォローをしてもらったとき,そこに安心の実感が得られます。やっぱりママはぼくのことわたしのことを思ってくれていた,その気付きのチャンスを与えることが子育てのプロセス上で大切なのです。それは焦らすという恋の駆け引きと似たところがあります。

 子どもの思い描く環境イメージは,基本的に天動説です。周りのあれこれを自分中心に見て取ります。それは他者の思いや都合を勘案する力を持ち合わせていないからです。自分の思い通りにならないことに直面すると,どうしてなのか考えるようになります。小競り合いやケンカという葛藤から,何かが違っているという感覚を刺激され,何かを見つけようとします。ママが自分の家来ではないということ,パパがママを奪う者ということ,友だちは邪魔になる者ということ,そんな他者の存在を分かっていくようになります。そこに至ってやっと信じ合える関係を紡ぐ育ちが始まるのです。

・・・大事なものは一度失ってみないと本当の価値は感じられません。・・・



《子どもの育ちは失って取り戻していくプロセスと心掛けて下さい。》

 ○いつも子どもの傍にいないと,子どもを安心させられない。そんな風に思い詰めないでください。大事なことは,子どもの心に気持ちの絆が結ばれていることです。姿が見えなくても,何か縁(よすが)になるものを持っていれば,安心は得られます。例えば帰りの遅いパパであっても,リビングにあるパパの椅子,その椅子を大事にすることで,パパを身近に感じることができます。今頃パパはどうしているかな? そう思うようにママが誘うのも子育てです。

 言わないと分からないでしょ! その言葉を頻繁に言っているとしたら,親としての気配りがかなり低下して,子どもを不安にします。ママはすごい,何でも分かってくれている。ママは魔法使いになってください。100%分かっている必要はありません。子どもが望んでいること,困っていることなど,親から見れば他愛のないことです。そっとフォローすることなどは簡単です。先回りをして押し付けるのではなく,手はずを整えて待っていればいいのです。

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第16-02章に戻ります
「子育ち12章」:第16-04章に進みます