*** 子育ち12章 ***
 

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「第 16-07 章」


『育ちとは 求める前に 求められ』


 ■徒然子育て想■
『失うことから見える?』

 8月はお盆という行事が家庭で行われます。子育て中の家庭では,実家という仏壇を抱えた家庭に連なって関わることでしょう。夏休みに帰省するという意味しかないお盆休みを過ごしておられる家庭もあるでしょう。仏壇は長男相伝から実家に残る者への相伝に変わり,今では年老いた親の元に置き去りにするのが普通の姿になっているのかもしれません。少子化の中でこれからの夫婦は,それぞれの実家の仏壇を引き継ぐようになることでしょう。

 血のつながりなど普段は意識していないかもしれません。でも親がいたから,今の自分があります。今の自分が親にならなければ,生まれてくるはずの命が封じ込められることになります。単なる遺伝子の結合に過ぎない誕生は,命の伝達という最も人間的な意味を与えられています。そのことを再確認するイベントがお盆なのです。祖父母から親に伝わり子どもに流れ孫に受け継がれていく命の連鎖を背負うから,人は生きていけます。

 8月は二つの原爆慰霊者追悼式と戦争犠牲者慰霊式があり,平和を祈念する月でもあります。戦禍を知らない世代が大半を占めるようになって,平和というものが見えにくくなっています。戦争と平和。その対比を失ったとき,平和の意味は分からなくなります。確かに話に聞いたり本で読んだりフィルムで見たりして,知ることは可能です。しかし,知ることと分かることは違います。テレビを見て臭いや味が分からないのと同じ状況です。

 人は大事なものを無くしてはじめて,その大事さに気付きます。子どもの命がある日突然なくなるかもしれないと思うと,そこに生きていてくれるだけで十分と感じることでしょう。病に苦しむ子どもを見ているとき,その生きようという姿に心を打たれ,生きていてくれさえしたらと祈るものです。でも元気になると,あれができないこれができないとありとあらゆる条件を押し付けていきます。命があるのが当たり前と錯覚すると,欲目にくらんで大事なものが見えなくなります。

 人が最も希求しながら不可能なのは,リセットすることです。パソコンであれば再インスト−ルすれば再生できますが,人は再生できません。再生は実は世代の交代という形になっています。自分の再生は子どもなのです。やり直しはできますが,決して元に戻ることはできません。ママであれば若返りは夢でしかありません。今を生きることに精一杯になること,子どもはその親の姿を受け継いでいくこと,それが宿命です。

 親子がある期間を共に生きるということの意味を考える機会として,夏休みの数日を過ごせたら,受け継がれてきた諸行事が生かされるはずです。ただの風習に過ぎないと看過するのも一つの選択ですが,それはとてももったいないことです。生きるということを考えなくなったら,自他の尊い命という意識が生まれることなく,結局命を粗末に扱うようになります。理不尽な事件が起こるたびに命の大切さをと力説されますが,身近にあるチャンスを逃さないようにすべきです。



【質問16-07:子どもは,自分で求めようとしているんですよ】


 ○第7条:労働権!

 オレオレ詐欺という奇妙な泥棒が蔓延っているようです。人の不幸につけ込むという卑怯な手管を用いて,姿を見せない日陰者が増殖しています。このようなバイ菌が湧いて出てくるのは,豊かさの陰にジメジメした一隅があるからです。対面せずにことが済んでしまうカード社会のありようが,人のつながりを希薄にするために,一粒のバイ菌が紛れ込むだけで信頼関係も綻びていきます。金を掠め取る後ろめたさを持たない輩は,いったいどんな育ちをしてきたのでしょう?

 不特定多数を相手に身を隠したままで強請が可能になったのは,世の中便利になったものです。子どもたちがやがて大きくなって,人様の財布をつけねらう若者にならないように育てておかないと,子どもの将来ばかりではなく親の行く末も心配です。やれやれ子育てが終わったという時期に,世間に顔向けできない犯罪家族に転落する羽目になります。遊ぶための金を求めて,だまされる方が悪いとうそぶく性根を,きっちりと摘み取っておかなければなりません。

 運悪く捕まっても性根という根っこが残るので,きわめて再犯率が高いようです。雑草を摘み取っても根っこが残っているとまた伸びてくるのと同じです。小学生の頃までの小さな間にちゃんとしたしつけで根こそぎ潰しておくことが大切です。何をしつけておけばいいのでしょう? 簡単に言えば,欲しいものはタダでは手に入らないというしつけです。実際的には,きちんとした作法に従えば求めるものが手にできるというしつけです。求め方を知らないから犯罪に走ります。

 赤ちゃんはお腹が空けば泣いておっぱいを求めます。ただ泣くのではなく,おっぱいが欲しいという泣き方を工夫しなければなりません。苦労しておっぱいにありつけます。ところで,ママが何時間かおきにおっぱいをあげるという規則的な育児をしていると,赤ちゃんは求めることをしなくなり,また欲しくもないのに与えられることにもなります。そんなときにママはおっぱいを飲んでくれないと心配しますが,お腹が空かないと飲まないという自然を忘れています。

 オモチャを欲しがるときに,ダメと拒否するか,買い与えるかの選択があります。それはあくまでも親の選択です。オモチャを求めているのは子どもですから,子どもの方に可能性を持たさなければしつけになりません。条件付き交渉というわけです。間近に迫った誕生日プレゼントの先取りにするとか,貯めていたお小遣いを出すから少し援助してもらうとか,子どもが何らかの譲歩や手出しをするといった提案のしつけです。理由のない譲渡はしつけの邪魔です。

 イメージはちょっと外れますが,例えば海老で鯛を釣るという手管を子どもが使う場合もあります。いい子にしていればご褒美をもらえるということも,上手に使えば有効です。暮らしの基本に子どもでも働かざる者喰うべからずという了解による手伝いをさせることもできるでしょう。手伝いしなかったから夕飯抜きといった罰を産み出すために用いるのではなく,手伝いをして貢献しているから美味しく夕飯が頂けるという気持ちを育てるのです。働けば求められるという順序が大事です。

・・・生きる力として確保すべきものは,第四に働く力です。・・・


 ○求めるために?

 ご褒美をエサにしてしつけをすることは感心しません。だからといって,ご褒美をあげないようにすれば,楽しいしつけはできなくなります。肝心なのは,やり方なのです。子どもが何かを求めるとき,「○○したら買ってあげる」というのがいけないやり方です。ご褒美は既にしたことに対する感謝です。「いつも幼い妹の面倒を見てくれているからご褒美ね。ありがとうね」というやり方です。

 褒美が欲しくて面倒を見ているのではなかったはずです。でも人に優しくしておけば,そのうちに何かいいことが降りかかってくる,そのプラスの連鎖を覚えさせることです。ここで,褒美なんかあげてしまうと,折角の思いやりを褒美目当ての打算に変質させてしまうという危惧が生まれるでしょう。もちろん,この手を乱発すればそのような心配も出てきますが,要所で使えば大丈夫です。それに,「ありがとう」の言葉が添えられているので,感謝の印であるという念を押してあります。

 自分で求めようとする,その自発的な欲求はいろんな意味で生きる営みに共通しています。生きるためには形としての収奪が避けられません。牛やブタや鳥や魚の命を奪います。野菜でさえ引っこ抜いてきて命を食べます。それだけではなくて,食卓までにはいろんな人の手助けを経て届けられます。料理という手間暇を掛けてくれた母親の働きもあります。いただきますという感謝が必然となります。これくらいの理屈は子どもでも十分理解できるはずです。

 生きるためには人の助けが要りようなのです。金さえ払えば何でも手にはいるという無知は,感謝の心をしつけられていない結果です。生かされているという事実に気付けば感謝する心が常に機能し,自分にできる範囲で周りの人を生かすことに関わりたくなります。この働くことの意味をつかまえることができたら,生きるための能力発揮が円滑に進みます。人は働いているから求めることができる,この社会生活の根源を子どもの心にしっかりと刻むしつけが大切です。

 子どもにいったいどんな働きができるのか,働かせるなんて無茶では? なにも賃金労働をさせるというのではありません。働くとは端(ハタ)を楽(ラク)にすることと言われます。暮らしの中では手を必要とすることがたくさんあります。子どもは手伝い程度しかできないかもしれませんが,それでも十分助かります。そのときママは必ず言うでしょう,「ありがとう」。ママが楽になることをしてくれたからです。そう言ってもらえることが働くということなのです。

 社会性を育てるというのは,世の中は持ちつ持たれつであるというしつけです。甘えというのは,求める一方であるということです。生きる力というのは,人と双方向の関わりができることです。そのために自己能力の発揮を常に準備万端にしておくという気構えが必要です。ブラブラしていながら金は欲しいという若者に育てないためには,端を楽にできる力と性根をじっくりと植え付けていくことです。ただし,焦りは禁物です。すればいいんでしょ!となります。

・・・世の悪行は人を利用することに長けた者が起こします。・・・



《子どもの育ちは生きるために求める作法の習得と心掛けて下さい。》

 ○欲しいものを手に入れるには,それなりの手出しを必要とします。濡れ手で粟というのは,社会では許されないことです。モノを手に入れるにはお金が必要です。そのお金を手に入れるためには,労働が必要です。労働ができるためには,貢献できる能力が必要です。育ちとはその能力を身につけていくことです。周りの人に向けて何ができるか? それが能力の物差しです。

 お金の重さや怖さを暮らしの中で普通に教えるのは大事なことです。銀行に行けばお金が出てくる,それは子どもに見えていますが,どうして金がそこにあるのかという部分が見えません。お父さんが給料袋を渡す場面も無くなりました。最近子どもたちに店員体験をさせることがやられています。お金を手にすることの大変さが分かったと感想を述べています。暮らしの手段として金銭が使用されていますので,金銭感覚のしつけは欠かせません。

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