*** 子育ち12章 ***
 

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「第 16-08 章」


『育ちとは 自分を見つけ 他とつなぐ』


 ■徒然子育て想■
『育ちのリズム?』

 子どもの成長に必要なホルモンの大部分は,睡眠中に分泌されるそうです。特に睡眠後1時間が最も多いのですが,寝る時間が遅くなったり,睡眠時間が少なくなると分泌量が減ってしまいます。ところで,子どもに必要な睡眠時間の目安は,小学生で9〜10時間です。寝る子は育っているのです。親の生活サイクルに引きずられて,夜更かし型の子どもが増えています。皆がそうしているからといっても,自然のリズムは全く無関係に仕組まれています。ご注意を!

 朝食を取れない子どもが増加しているようです。遅くまで寝ぼけていて,食べる時間がないということもあるでしょう。お腹が空く思いをするだけのことと高をくくっていないでしょうか? 確かに前日の夕食から長時間過ぎているので,エネルギーが不足します。それだけではありません。朝食は眠っていた脳と身体を覚醒させ,活動準備を整える機能を持っています。朝食を取らないと,学習意欲や集中力を低下させることになります。

 いまどき外遊びは暑いだけで何の効用もないと思われます。でも子どもは自然児であってこそ育つということを忘れてはなりません。空調の効いた部屋で過ごすと,外気を感じる感覚が発達せず,感情の発露も逸脱されるようになります。子どもの成長には多様な刺激を受けることが必要なのです。感覚が働くと,成長に必要なホルモンの分泌が促進されます。体内時計は太陽の光で調整されています。自然のリズムを取り込むことで成長起動アイコンがクリックされていきます。

 基本的な生活習慣は,単に見た目のきちんとした生活態度ということに留まらず,育ちにとって不可欠な成長リズムなのです。育ちというメロディは生活のリズムに乗ってこそ,豊かなハーモニーを奏でることができます。暮らしのすべて,眠っている間にも,育ちのプロセスが進行しています。さらに気をつけるべきことは,リズムは人工的な文明社会のリズムではなく,自然のリズムでないと子どもには有効ではないということです。簡単に言えば,大人と子どものリズムは違っています。

 赤ちゃんを迎えた家庭が自然のリズムで暮らしていれば,すんなりと身に付きます。もしも暮らしのリズムが不自然であれば,子どもの身体のリズムと不協和状態になり安定した育ちが難しくなります。生活習慣を大人の不自然なリズムに合わせざるを得ない事情もあるでしょうが,育ちは自然のリズムで刻まれているので,大変かもしれませんができるだけ合わせてやってください。保護するというのは,育ちの環境を整えることから始まります。

 子どもの小さなリズムは時としてじれったくなることがあります。急いでいるときに,グズグズすることもあります。パッと見てパッと理解しパッと判断しパッと処理できるまでには,経験の積み重ねがあります。経験の浅い子どもはリズムのテンポがどうしてもゆっくりになります。確かめながら見て理解し判断し処理しようとするからです。自然のリズムはスローでもあるのです。スローライフが人に心地よいのは当然です。



【質問16-08:子どもは,自分を信じようとしているんですよ】


 ○第8条:自信権!

 不作法な行動に走る若者たち,非社会的な騒ぎに興じる若者たちが徒党を組みます。類は友を呼ぶいうことですが,どういう類なのでしょうか? 目立ちたい騒ぎをしますが,何を訴えたいのでしょうか? 弱いイヌほどよく吠えるという物差しを当てると,弱いから徒党を組み騒ぎ立てるということになります。その弱さとは周りの価値尺度から自分がはみ出しているという自覚から生まれます。もう一人の自分が自分を信じることができなくなっています。

 不作法なふるまいをする若者たちを,大人たちが見て見ぬ振りをするのは無責任でしょうか? 下手に注意すると逆上されて,あってはならない事件に駆り立てるという恐れがあります。その危険を回避するのは仕方がありません。決して大人が意気地がないということではありません。注意をして,若者の不作法が改まるというのならば,誰もが注意をするでしょう。でも,実際は相手を傷つけるだけなのです。

 自分を信じることができない,その裏には周りの人を信じられないという思いが重なっています。誰も信じられないと自分も信じられなくなります。その不信感は周りを否定することでしか癒されなくなり,簡単に敵意や攻撃心に転化していきます。自他共にどうにでもなれという自暴自棄の境地に突っ走って行きかねません。自分を信じるということは,大げさにいえば道を誤らないために欠かせないことです。自分の育っている道は間違っていないという気持ちを根付かせてやりましょう。

 能力という面で見れば,すべての子どもはできないところからスタートします。生まれてすぐに歩ける赤ちゃんはいません。できるようになるために育っているのですが,その途上にできないからダメな子と言われ続けたら,子どもは自分をダメな子と判定し,自信が育つはずもありません。子どもは一途ですから,何をやってもダメという気分に追い込まれます。その挙げ句が,自分にダメ出しをする周りを否定するようになります。

 すべてがダメと思わせない気配りが大事です。親は子どものできること探しをする役目があるのです。自信とは自分ができるという実感を積み上げることで育まれるものです。一発大きな勝負で逆転という負け惜しみをいう人がありますが,それは0点か100点かという無理難題です。コツコツと小さなステップで30点,40点と積み上げていくのが育ちです。最も重要なことは,30点という価値を認めるということです。30点を無価値とする理由はありません。

 それにしても,60点や70点ではなくて,どうして30点なの? 世の中での能力の発揮は30点が普通だからです。野球の3割バッターは30点バッターです。世間で100点が当たり前と思い込んでいたら,とても苦しいことになります。優等生が挫折するのはその思いこみのせいです。勉強という特殊な世界の価値観を一般化してはいけません。生きていく上での価値評価は30点と思っていれば,いろんなことで自分を肯定できますし,自分を信じられるようになります。

・・・生きる心として確保すべきものは,第四に自分を信じる心です。・・・


 ○信じるために?

 幼い子どもにとって,ママは絶対的な存在になっています。教祖様と同じで,完全に信じ込んでいます。生きるための依存関係ですから,当然です。やがて子離れの時期に入ると,支配権をもう一人の子どもに徐々にバトンタッチしなければなりません。自分で自分を律していく,自律するということです。身体能力については,自分なりにやりながら,痛い失敗と心地よい成功という経験から直接に学ぶことができます。だから,見守りながら,もう一人の子どもに任せておけばいいでしょう。

 社会生活をする上で必要な価値観というやっかいなものがあります。一言でいえば,信頼関係です。もちろん具体的にはたくさんのことがあり,さらには抽象的でもあるので,子どもにはなかなか実感できないという難しさがあります。自分を信じるのはもう一人の自分ですが,幼いもう一人の自分は自分の何をどのように信じればいいのか分かりません。そこで,自信を持つということについて二つのことを想定しておきましょう。

 一つは,自分を信じる=能力を信じる,ということです。自分にはこれができるという,能力の自覚です。一芸に秀でるという言葉がありますが,何か一つ得意な能力があれば,自信をもつために必要な条件が整います。このとき,親はあまり大それた得意能力を求めないようにしなければなりません。ピカチュウキャラクターの名前をたくさん覚えているという,遊びの世界の他愛のないことでいいのです。将来につながるような素晴らしい能力?に限定しないことです。

 自分の能力を見つける感性も大事です。子どもはいつも新しい挑戦をしています。そこには,やろうと思ってやれたこと,苦労してやれたことがあります。高いところにあるおもちゃを自分で取ろうとして,あれこれやりながらついには椅子を持ってきて取るといったことです。子どもはしたいことをしただけですが,ママが「よくできたわね」と指摘してやれば,できたという能力の発見をもう一人の子どもがすることになります。自己発見させてやるしつけです。

 もう一つは,自分を信じる=存在を信じる,ということです。能力にはその使い道に価値があり,価値とは他者との関係の上にあります。自分と他者のつながりが実感できたとき,自分の存在が信じられるようになります。ボクなんかいてもいなくてもいいんだ,そう思わせたら,自分に自信が持てるはずもありません。そこで,やったことに意味がある,やったことが認められる,やったことが喜ばれるといったことで,自信を持つために十分な条件を満たさなければなりません。

 人との関係を学ぶ場は家庭が基本です。そこでの暮らしは関係から成り立っています。子どもを暮らしから隔離するのではなく,一緒に暮らしに参画させることです。暮らしの中には大切なことがちりばめられています。約束を守る,嘘をつかない,弱いものイジメをしないなど,大人にとっては当たり前のことですが,子どもには学ばなければならないことです。「ちゃんと約束を守れたね」,「お使いをありがとう」,たくさん認めてあげてくださいね。

・・・自信とは皆の中での自分の存在価値を信じることなのです。・・・



《子どもの育ちは社会的な自律を目指すことと心掛けて下さい。》

 ○ゲームにのめり込んで腕前を上げたところで,それは自信とはつながりません。仲間内で優越感を持つことはできるかもしれませんが,人としての能力とはあまり関係がないからです。塾に行き勉強に強くなっても,それだけでは片寄った自信が身に付くでしょう。能力を自分のために使うということになるからです。信頼関係を築く能力を欠いた自信は,独りよがりの人生を選ぶことになるでしょう。

 人付き合いの苦手な子どもたちが育っているようです。自分に自信がないせいだろうと誰しも推察します。それでは,何が不足しているのでしょうか? 自信は自分を見る力が備わっていないと得られないものです。自分の良さを見つける目をしつけられると,同じ目で人の良さを見つけることができます。そうしたら,仲良くなれないはずがありません。自分のあらばかり探しているから,人もそうだと思って怖くなるということもあります。見張るのではなく見守りましょう。

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