*** 子育ち12章 ***
 

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「第 17-02 章」


『子育ては 産みと育ての 二人親』


 ■徒然子育て想■
『オンリーワンになる?』

 ナンバーワンよりも,オンリーワンになりたい!? 人は誰でもオンリーワンではないですか? あなた以外にあなたはいるはずもありません。人類が生まれてから死滅するまでの間に何人の人がいるのか分かりませんが,あなたは今のあなただけです。生まれただけでオンリーワンです。そう考えたら,身も蓋もありませんね。人の願いは,周りの人との関係上,他者にとってオンリーワンになりたいということのようです。

 連れ合いにとって,あなたと結ばれたのですから,あなたは世界の中で選ばれたオンリーワンです。ただ,夫婦関係の場合には,永続きするかしないかという不確かさがつきまといます。心変わりという変節が起こる場合もあります。お互いがオンリーワンであり続けるためには,それなりの努力が必要になります。それこそ結婚届という紙切れや神仏への誓いには,オンリーワンを固定化する力はありません。夫婦関係は生きているので,育てなければ枯れてしまいます。

 子どもにとって,あなたは産みの親ですから,あなたはこの世で選び抜かれたオンリーワンです。余人に代わることなどできません。親子という遺伝子的な保証書付きの関係であり,どんなことがあろうと壊れることはあり得ません。子どもから,あなたの子どもに生まれてよかったと言われたら,オンリーワン冥利に尽きますね。ところが絶対的な親子関係にあるがために,親子がオンリーワンであることの重圧を感じてしまう場合もあります。

 世間では,親子=母子というイメージがなんとなく通用しています。その流れが,母を親としてのオンリーワンに位置づけていきます。かつて,父は家庭を護る役目,外敵から家族を守ること,食い扶持を稼ぐこと,農作業や手工業の力仕事を引き受けることなどを担うことで精一杯でした。その慣習が社会システム上未だに残っています。ところで,かつては地域に皆の子という子育て共有意識があり,さらに祖父母もしっかりと子どもに関わっていましたが,今は家族だけに引きこもってしまい,助けのない孤独な子育てに追い込まれています。オンリーワンである母のつらい状況はそこにあります。

 産みの親とは,父母のことです。母だけで子どもを産むことはできないのです。母は母としてオンリーワン,父は父としてオンリーワンなのです。さらに,子どもは子どもとしてオンリーワンです。子どもとしてという意味は,名前を持っている子ども,自分を意識するもう一人の子どもがいるということです。育つのはもう一人の子どもです。もう一人の子どもとの関係ができたとき,育ての親になることができるのです。育ての親子関係も,お互いが努力しなければ結ばれません。



【質問17-02:お子さんから,お話を聞かされることがありませんか?】


 ○自他結合!

 幼い子どもは,何とでも友だちになります。見境がありません。機械や動物,植物といった人との区別を知らないのですから,仕方のないことです。子どもの思い描いている世界は,混沌としているように見えます。確かに未整理な部分もありますが,世界を表現する言葉数が少ないせいでもあります。絵を描かせると無茶苦茶な絵になりますが,幼児の中にあるイメージを描き出す技が未熟であるだけです。

 童話の世界は現実的ではありません。動物や植物が擬人化されています。さらには限界や限度というものを取り払ってしまいます。あるはずのないこと,できるはずもないことが平気でできてしまいます。タケコプターや絨毯で空を飛ぶこと,どこでもドアやタイムマシンで時空を飛び越えることなど,なんとなく理屈をつけていても夢の世界です。子どもがそんな話をすんなりと受け容れているのは,自分の世界観と違和感がないからです。大人がありもしない話,バカな話と切り捨てるのは,自分の世界観に違うからです。子どもは子どもの世界を楽しめばいいのです。

 子どもは後先を考えません。今でなきゃイヤという駄々をこねるのも,子どもの世界は今が中心だからです。今泣いた烏がもう笑った,気持ちがコロコロ変わるのは,そのときどきを生きているからです。もう一人の子どもが生まれてくると,後先を考えるようになります。お話の世界に飛び込むことのできるのはもう一人の子どもであり,だからこそ時空を自由に行き来できます。後先のある世界をイメージできるのは,もう一人の子どもなのです。

 お話には筋書きという順序があります。こうしたからこうなるという起承転結です。「そして,・・・」と場面をつないでいったり,「だから,・・・」という因果は知恵の基本形でもあります。お話の世界にもう一人の子どもが入ることで,生きている世界には流れや動きがあることを学び,物事には後先のあることを知ります。子どもがお話を好きなのは,今のイメージがページをめくるという動作によってつながりながら動いていく変化に感動しているからです。

 お話ができるのは,もう一人の子どもがしっかりと生まれ育ち,知恵がついてきた証拠になります。今だけを生きている自分が,次には別の自分になっていくという動きを感じ取れるのは,もう一人の自分です。明日の自分を考えたり,楽しみにできるようになります。また,人の気持ちを感じることができるのも,お話の中で主人公になりきれるもう一人の自分の能力です。もう一人の自分は,自分にも他人にもなれるのです。

・・・お話ができるのは,もう一人の自分が育つ最初のステップです。・・・


 ○区別と比較?

 自意識は,自分を他者の目で見られるようになって芽生えます。見られている自分を思うのは,もう一人の自分です。わがまま一杯に育てられると,もう一人の自分が育たずに,見られる自分を思い描くことなどできず,さらに我慢しようという自分への抑制も起こるはずがありません。おしゃれなどへの関心は,もう一人の自分がいるから持つことができます。思春期のおしゃれ意識も,異性からどう見られるかという思いが強くあるから,現れてきます。

 自分を意識するには,もう一人の自分がいて他者と自分を区別し見分けることが必要です。人は生まれたらすぐに名付けられます。名前は自分と他者を区別する方便であり,普通は他人に呼ばれるために使われますが,子どもにとっては自分を意識する縁になります。他者がいるから,自分が意識されるようになります。独りぼっちという思いが強くなると怖くなりますが,他者が消えると結果として自分が見えなくなるからです。

 人付き合いは,お互いに名前を知ることから始まります。通りすがりの人のように,どこの誰とも分からない人とは,付き合いは持てません。名前を知らない人に対しては,自分と同じ人であるという気持ちが弱くなり,そんなときには別の区別が必要になります。他のクラスとは違う自分たちのクラスという区別です。その他に,子どもは自分を意識するために,自分は男であるとか女であるとか,兄であるとか姉であるとか,一年生であるとか,いろんな区別の仕方をします。

 自他の関係では,能力の高低や価値の優劣といった比較も現れます。比較は使用法を誤らなければ,有効な機能を持っています。使用上の注意とは,差別に転換しないこと,あくまでも今現在のことでしかないこと,いろんな比較が可能であることといったことです。お隣の子どもやきょうだい間の比較をして,「ダメな子」と転け下ろすような奇異な励ましがいけないことであるのは言うまでもありません。うちの子はまだできない,そんな比較には大して意味はありません。

 何かについてできない子どもができる子どもを見習うという比較は,学びの原型です。がんばったらできるかもしれない,真似してみよう,もう一人の子どもがそう思えたら,育ちの意欲につながります。また競争の手段と思われている試験の点数が示すのは,あなたはここまではできているんだよという認知と,ここをがんばればいいんだよという指導です。決して他者との比較だけではなく,今日の自分と明日の自分を区別する可能性を教えてくれます。上手に利用すれば,何でも楽しめます。

・・・人付き合いが苦手だと自分を見極める機会が少なくなります。・・・



《子育てには,もう一人の子どもという隠し子があります。》

 ○キッチンでしゃがみ込んで,ぐるっと見回してみてください。食器棚や流しは頭の上にあります。食卓の上面も,面というより奥行きのある棚に見えるはずです。その視野が,子どもの見ている世界であり,住んでいる世界です。小人が巨人世界に迷い込んだ感じです。家の中のモノがすべては大人サイズですから,子どもの手に余ります。もう一人の子どもは困惑するばかりで,上手に扱えるわけがありません。それでもなんとかいじろうとするから,粗相をしてしまうことになります。

 外に出ると,そこにはいろんなサイズの自然物が転がっています。石ころも子どもの手に合うモノを探すことができます。虫も子どもの手に入る大きさなので,掴もうとします。自分のサイズにあった世界を見つけたり作り出すことができます。だから,子どもはお外が好きなのです。家の中は子どもにとって住みやすいところではないと知っておいてください。オモチャずくめの子ども部屋では,間に合わせに過ぎず,世界が浅いものになります。

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