|
「第 17-06 章」 |
『子育ては 心通わす 言葉から』
■徒然子育て想■
『漢字は難しい?』
漢字を覚えるのが大変です。漢字がなければどんなにか楽だろうと思います。英語は26文字しかありませんが,漢字はたくさんあり,しかも一般に形が複雑です。そこで,平仮名やローマ字書きにすべきだという意見もありました。でもそうはなりませんでした。どうしてでしょう? それは漢字にはとても大きな利便性があるからです。例えば,犬,猫,空,雲,雨,木,竹,車,米,水,のように一語が一字で完結しています。英語だと,dog,cat,sky,cloud,rain,tree,bamboo,car,rice,water,となって英文字の3字以上の組み合わせになります。
さらに漢字のよいところは,二字熟語という連語ができるということです。例を挙げれば,犬舎,子猫,青空,白雲,雨傘,木炭,竹馬,車座,米酢,水性など,いくつでも出てきます。単純計算すれば,漢字1000文字覚えたら,その組み合わせは100万語に達します。もちろん実際はそうではありませんが,数万語の言葉はできあがります。もしもアルファベットで数万語を覚えようとしたらそれぞれスペルが違うので,そのまま覚えなければならなくなります。さらに,逆にたとえ知らない単語に出会っても,知っている漢字ですから一字一字の意味を重ねて連想することで,意味の推察が可能になるのは誰もが普通に経験していることです。
外来語の言い換えが国立国語研究所から提案されています。例えば,マンパワー=人的資源(労働力,人材),リテラシー=読み書き能力,活用能力(情報活用能力)という具合です。漢字で書けば,意味は明らかになります。一方で,カタカナ語には,パソコン(パーソナルコンピュータ),テレビ(テレビジョン),ハイテク(ハイテクノロジー)などの省略があっさりと慣用化されていき,ますます意味が隠されてしまいます。この言語の省略化に向かう傾向は若者言葉に取り込まれて,旧世代には通じなくなっています。
漢字には象形という機能もあります。「やま」と書くより,「山」と書いた方がイメージは明らかですし,幼児にも理解できます。川や田もそうです。上や下という字も,直感的です。幼児に平仮名を覚えさせるのは苦労します。覚え立ての頃には,「さ」という字が鏡字になり,「ち」と区別ができなくなることもあります。子どもには何も見えてこないからです。幼児は,漢字を書けなくても,読むことはかなりできます。絵文字としてつかまえることができるからです。因みに,「危」という字を学校で習うより先に教えておくことは可能です。「危」という字を見たら,その場所には近づかないように教えておきましょう。
【質問17-06:お子さんから,意味を質問されることがありませんか?】
○レベル!
赤ちゃんの言葉,それはほとんど泣き声から始まりますが,何を言おうとしているのか分かりません。でもママは分かろうとし,やがて分かるようになりました。一方で,赤ちゃんはママの言葉が分かりません。赤ちゃんには,言葉というものがあるということさえ知らないのですから無理もありません。でも,自分の口から出る声が,ママに自分の気持ちを伝えているらしいと分かってくると,ママの声にも何かのメッセージがあるのでは直感し,分かろうとします。すごい能力です。
胎児のときから耳は聞こえているので,音の区別はなんとなく刷り込まれています。ママに抱かれたとき,ママの鼓動が聞こえてくるから,身を任せきって安心できます。犬の鳴き声をワンワンと聞き取って,犬を認識するようになります。赤ちゃんは音に敏感なので,テレビのCFの音に関心を示していますね。ただの雑音と見えたものが,何かのメッセージであることを覚えたら,何だろうという素直な疑問が生まれます。
ある事柄を名付けることが,言葉の機能です。子どもが指を差します。「パンが欲しいの?」と取ってやります。何度か繰り返すうちに,「パン」と言うようになります。言葉を覚えたら,親が適格に動いて欲求を満たしてくれるという快感があります。言葉っていいものだと思えば,自然に学び取ろうとします。黙って世話をするのではなく,説明をするようなつもりで言葉を添えることは,幼児に言葉の効用を教える大切な行為なのです。言っても分からないと考えていたら,それは逆です。
分かるというのは,共感するということによる転写作用です。業界用語というものがありますが,同じ経験を共有している場でしか意味が通じません。ママと子どもの間でしか通用しない特別な言葉がありますね。あれ取って,その言葉が通じるのは特別な共感関係があるからです。ところで,大人の話を傍で聞いている児童は,何を話しているのか分からない部分があります。世界が違うから,使っている言葉も違っています。聞き慣れない言葉の意味を知ろうと尋ねてきます。
あなたにはまだ分からない,分からなくてもいいという場合もあります。大人の話に割り込まないの! 全部を分からせようとしても無理なので,ボチボチいきましょう。あまりにも世界が違いすぎるので,大きくなったら分かると,先送りすることも必要です。子どもには分からない世界があるということを実感させるためです。育ちは上を見ていないと止まります。まだまだ先があると思うことで,伸びていきます。子どもの妙にこましゃくれた物言いは付け焼き刃でしかありません。
・・・言葉には具象から抽象に向かう知的レベルがあります。・・・
○連想と妄想?
子どもにはいろんなことを覚えて欲しいですね。その願いは果てしないものになり,子どもは大変です。何度口を酸っぱく言い募っても,その言葉に適う育ちはしてくれません。このままではこの先どうなるのかとママの心は心配に満ちてきます。ママの言葉が通じなくて,歯がゆい思いをしますね。そんなときは,分からない子どもを責めるのではなくて,分かる言葉を使っていないことを反省してみて下さい。
やったことがないことができますか? 見てもいないし聞いてもいないことはお手上げですね。したことがないことを話されてもピンと来ません。話されたことについて,「ああ,あれか」と思い至れば,分かります。優しくしなさいと言われても,子どもにはどうすればいいのか分かりません。おばあちゃんの肩を叩いてあげたとき,「○○ちゃんは優しいね」と言ってもらった子どもは,言葉で名付けられた行動体験を手がかりにして連想ができて,優しさを理解するようになります。
大事なことは身体で覚えさせることです。身体が覚えていれば,自然に発揮することができます。頭で考えてすることは,頭で考えてしなくなります。身体は体験という手段でしかインプットできません。0から1までが体験,1から∞までが学習によるインプットになります。言葉による学びは,体験に裏打ちされていなければ,身に付かないのです。言葉を知っていることと分かっていることとは違い,さらに分かっていることとできることは違うのです。
子どもに分からせようとするとき,「〜みたいなもの」とたとえていませんか。子どもが持っているさまざまな体験に結びつけてやれば,連想が働きます。連想能力は言葉の意味を納得し,言葉をつなぎ,ものごとを理解する力であり,想像力や創造力の源泉になります。さらに耳に馴染んだ言葉でお話を読んだり聞いたりすると,実際には体験できないことを疑似体験できます。あとで実際に似たようなことがあれば,連想によって身近に体感し理解することができます。
ときには,現実とのすり合わせが抜けることがあり,意味の勘違いが起こります。大したことでなければいいのですが,大事な行き違いを生じることもあります。噂話などの類は実際とは異なる思わぬずれが紛れ込んでいく上に,曖昧に隠されて当人には漏れ聞こえてくるので,不愉快なもの,悪意に満ちたものとして襲いかかってくることになります。さらに,無視するというシカトは言葉の交流を閉ざすことであり,言葉が奪われると気持ちは乱れ妄想が噴き出すようになります。言葉の素直な交流は枯らしていけないことです。
・・・分かる言葉が連想を,分からぬ言葉が妄想を生みます。・・・
《子育てには,言葉という大事な第二のおっぱいがあります。》
○16年11月5日の新聞連載漫画「ほのぼの君」では,「嫉妬ってどういうこと?」,「やきもちのことよ」,「そのおモチ,アンコがはいってる?」,「ワサビのアンコかもね」,「ボク,大福モチをやいて食べるの大好きなんだ・・・」,「脱線したわね」という会話がありました。言葉の意味を尋ねられて言い換えをしてやると,それに引きずられてあらぬ方向に逸れていくことを面白がっているのですが,似たようなことはよくあることです。
言葉から連想することは,聞く者の関心を反映してジャンプしていきます。同じ言葉を聞いても,受け止め方は少しずれているはずです。体験が同じであればずれは小さいのですが,環境や年齢などによる体験の質や量が違うと,言葉は通じにくくなります。親の気持ちを載せた言葉は,親の体験をしていない子どもには通じません。当たり前のことですが,親の気持ちを知らないで,とつい言ってしまってはいませんか?
|
|
|