*** 子育ち12章 ***
 

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「第 17-08 章」


『子育ては 生きる指針の 刻みつけ』


 ■徒然子育て想■
『子育てより子育ち?』

 子育ては楽しい。それは子育てを終えた方が言われることです。子育て真っ最中では,そんな感慨を持つ暇などありません。次から次に押し寄せてくる難題に追いまくられて,右往左往させられます。寝顔を見れば愛しさも湧いてきますが,このままじっといつまでもおとなしく寝ていてくれたらと思うことがあります。連日の夜泣きに悩まされて,眠れない目にも会います。あれこれ世話することばかり続いて,ホッとする時間,自分のためだけの時間はどこかに置き忘れたような気になります。

 自分だけがどうしてこんなつらい役回りを引き受けなければならないのかと思いながら,かといって放り出すこともできず,気持ちが堂々巡りを始めます。相応の堪え性があったとしても限界があります。何もかも嫌になって,楽になろうと思ったとき,子どものことを忘れてしまいたいと願うようになります。目の前から消えてくれればいい,ただそれだけの思いなのですが,それが子どもの身に危険な事態をもたらすときには虐待と化します。

 人はつらいという気持ちを感じているとき,「つらかったね」という言葉を掛けてもらえると救われます。自分のことを分かってくれる人がいるということは,大きな慰めになります。それができる人は,先ずは連れ合いでしょう。話をちゃんと聞いてくれさえしたら,それだけでいいということを語る方たちが居ます。できることならば,ほんの小一時間でいいから連れ合いが子どもと遊んでくれて,子どもと離れる時間を作ってくれたらいいでしょう。その他には,同世代の母親同士も共感という救いをもたらしてくれるはずです。

 新聞にこんな話が載っていました。ある虐待事件の審議で,「そんな苦しいのなら,なぜ実の母親に相談しなかったのか」と裁判長が尋ねました。「そんなことをしても,責められるだけじゃないですか」と答えたそうです。若い母親の母親世代の人は,「今時の母親は」と責める言動が目立ちます。自分たちはもっとしっかりしていたのにと,自信に満ちています。時代的にいろんな面でたくましくならざるを得なかった背景を忘れています。さらに子育ての環境も全く違うのです。若い母親だって懸命にがんばっているのです。

 子育ての形が大きく変わってきているのですが,子育ちは変わっているはずはありません。食事の形は変わっても身体の育ちに必要な栄養素が不変であるのと同じに,人に成るために必要な育ちの要件は不変です。そのことをちゃんと弁えていれば,時代の変化に惑わされない子育てができるはずです。子どもの育ちにとって大事なポイントを精選した上で,この子育て羅針盤の12章は構成されています。子育ての新旧といった形に振り回されないためには,子育ちを優先させることです。



【質問17-08:お子さんから,不実を指摘されることがありませんか?】


 ○誠実!

 不実? 一般的には誠実ではないことです。人との関係において誠実さは大事な要件です。そこから,嘘つきは泥棒の始まりという諺も派生してきます。しかしながら一方で,正直者は馬鹿を見るという処世訓も,残念なことに実生活においては生き残っています。景気はどうですか? ボチボチです。本当のことは曖昧にぼかす程度にすることがお互いの了解である場合もあります。それはそれとして,誠実であることが安穏な社会生活の基盤であることは自明のことでしょう。

 不実は,結果として裏切りに至ります。誠実な相手に不実で応えているときです。秋ナスは嫁に食わすな。こんなに美味しい秋ナスは嫁には食わせてやらないという意地悪姑の言葉でしょうか? 秋ナスはお腹を冷やすから大事な嫁には食べさせないほうがいいという優しい姑の言葉でしょうか? 誠実とは相手のことであると共に,自分に対するものでもあります。不実な気持ちで見れば,誠実も不実に染まって見えてしまいます。両方共に誠実でないと,活かされないものなのです。

 母娘連れが,乳母車に乗せられて散歩をしている赤ちゃんに出会って,「アラ,かわいい赤ちゃんですね」。行き過ぎてしまった後で,「ママ,さっきの赤ちゃん,全然かわいくなかったのに,どうして」,「いいの,かわいくなくても」。「あなた,今日ね,この子と散歩していたら,みんな口を揃えてかわいいかわいいって声を掛けてくれたのよ。どっちに似ているのかしら?」。余計な詮索はしないほうが無難です。

 「ママ,赤信号だから,渡っちゃいけないんだよ」,「いいの,車はどこにもいないでしょう,さっさと渡ってきなさい」。「ママ,お一人様一個限りって書いてあるよ,また買いに戻るの?」,「いいの,今度はパパとおばあちゃんの分だから」。「アラ,こっちの方が安いわね,さっきのと交換しよう」,「ママ,それはあっちにおいてあったものでしょ?」,「いいの,お店の人が戻してくれるんだから」。小さな不実は日常茶飯事ですが,ちょっとぐらいという歯止めの甘さは要注意です。

 不実は,通常は欲張りといった利己的な気持ちに歯止めを掛け忘れるときに表立ってきます。特に迷惑を掛ける相手が見ず知らずの人である場合は,後ろめたさという気持ちが弱くなり歯止めが利かなくなります。公共に対する責任感が薄れていくのと同根です。自分に対する誠実さをきっちりと育てていないと,他に対して不実を行うことになっていきます。「誰にも迷惑を掛けていない」,それが子どもたちの不実へのパスポートになっていることを知っておいてください。

・・・誠実という価値は 自分に向けてこそ育っていくものです。・・・


 ○感謝と利用?

 社会にある関係は義理と人情という二つのしがらみに類別することができます。契約や分業役柄による関係は義理の範疇に入り,理性的な関係です。暮らしにおける取引や買い物といった社会的関係が典型的です。子どもの世界では,先生と児童・生徒の関係は役柄によるものであり,労働契約によります。親も勤務や自営という職業役割を背景とした義理的な関係の中にいます。そこにはお互いを利用するという持ちつ持たれつの関係があります。

 駕籠に乗る人担ぐ人,そのまた草履を作る人。自動券売機で切符を買い交通機関を利用するとき,運転者と利用者は給料と乗車料という金銭的な媒介によってつながっていることになります。分業化された暮らしを円滑につなぐために,金銭という対価を用いているのが現代社会です。お金さえあれば何でもしてもらえる,そのような環境に子どもは育っています。遊ぶことまでもお金で買おうとしている子どもたちに,大人たちはいったいどんな将来を託そうとしているのでしょうか?

 金の切れ目が縁の切れ目です。人間関係は人情に基づいています。ところが,人情の世界に金銭が絡んでくると,ややこしくなってきます。金で済む男女関係というものもあり,人情が絡むと修羅場になります。援助交際が女子学生と中年男性というパターンから,若い男と中年婦人にまで拡大しているようです。気持ちまでもお金でどうにでもなるという浅ましさです。子どもが大人社会を汚いと感じるのは,利害に基づく関係の蔓延が嫌らしいという感覚があるからです。

 お歳暮にも,感謝と賄賂のしるしという二つの了解があります。感謝であっても,デパートの包み紙でなければという心遣い?が込められます。贈る側の人がデパートの包み紙のほうがうれしいと思っているから,受ける側の人もそう思うだろうと用心しています。子どもはクリスマスプレゼントの包み紙がどこのものであろうと気にせずに,中味をうれしがっています。何が誠実なのか,大人は考え直したほうがいいのかもしれません。

 子どもの回りに感謝を生み出す仕掛けがあるでしょうか? 子どもの日とは「こどもの人格を重んじ,こどもの幸福をはかるとともに,母に感謝する」という趣旨が法定されているのをご存じでしたか? 誕生日とは育ててくれた親に感謝する日でもあります。家庭の中で「ありがとう」という言葉が行き交っていますか? 特に,子どもが何か手伝ってくれたら,誠実に「ありがとう」と言ってやってください。その親の態度がお金で買えないものを教えることになるからです。

・・・双方の誠実が感謝を,どちらか一方の不実が利用を生みます。・・・



《子育てには,生きるための本物の価値を伝える使命があります。》

 ○子どもは泣いたり喚いたりあれやこれやの手練手管を使って,親を思い通りに操ろうとする小悪魔です。決して純真無垢ではありません。幼い時期は,食べて寝てということ以外は必要以上にがめつくないから救われています。成長するにつれて親の目をくらまそうとする知恵もついてきます。見え透いた嘘を言うこともあります。騙された振りをするということも必要になるでしょう。

 かわいい子どもですが野放図にするわけにはいきません。一つだけの家訓のようなもの,これだけは守ることという暮らしの芯になるものを決めておくことが不可欠です。時間を守る,約束を守る,悪口は言わない,弱いものイジメはしない,テレビやゲームは1時間だけにする,など。年齢にあった決め事を一つ持つことで,暮らしの中で必要な価値を具体的に持たせることができます。あれやこれやといっぺんに押し付けても,子どもは受け止めきれません。

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