*** 子育ち12章 ***
 

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「第 17-10 章」


『子育ては 過去から学ぶ 知恵探し』


 ■徒然子育て想■
『親子の信頼?』

 若者が両親の命を奪うというおぞましい事件が続けて起こりました。いずれも両親との関係が壊れていたということのようです。長い子育てが終わったところで,仕上げは突然に幕を下ろしました。そんな結末を予想することはできなかったはずです。よかれと願ってきたはずなのに,ちょっとした部分,でもとても大事な部分がバグっていたようです。人は強いようで弱いものです。小さなトゲが刺さっただけで,平常ではいられなくなります。

 事件の詳細は分かりませんので,一般的な話をします。いい年をして学びも働きもせずブラブラしている,ニートと呼ばれる子どもを身近にすると,先行きを心配するのは親なら当たり前です。その心配を子どもにもろに向けてしまうことは,よくありません。親の心配は胸に秘めておくべきです。親が心配というストレスをじっと抱え込む忍耐力を持てないと,子どもを責め立てることになり,子どもは追いつめられていきます。子どもは親の心配まで背負わされて身動きできなくなります。

 そんなことではこれから先どうするの? はっきりしなさい。顔を合わせればそんな言葉を浴び去られながら,「できるならとっくにしている,言うだけなら簡単だよな」とつぶやいているかもしれません。窮鼠猫を噛むの言葉通りに,限界を超えると歯止めが外れて暴発します。大人しいという見た目は,嵐の前の静けさでしかありません。我慢できている分,出口のない鬱憤の溜まりは増えていきます。言われても聞き流す様子ではぐらかしているから,余計にきつく責められます。

 子どもは自分を守るために,親のするように,終いには自分のストレスを直接に投げ返してきます。お互いに八つ当たりの応酬になり,事態は悪い方に転がっていきます。厳格に対して反発する活力としての憎悪,慈愛に対して苦衷をはき出そうとする暴力,批判に対して拒否せざるを得ない対立を生み出します。励ましのつもりで言われていたとしても,言われるほうは憎まれていると受け取ってしまいます。親子だからというだけで信頼関係は結ばれないのです。

 責めることで育ちを促そうという焦りがあるのではないでしょうか? 責めるというのは,指導者のやり方です。親が指導者になっているという傾向は,かなり以前から見えていましたが,その指導の成果が悪い面で表面化してきたのではないかと感じています。親は子どもの心配をするものですが,それでも見守り信じようと努力し続けているときに親になります。信じようとしてくれる親であれば,その信頼に応えようとする前向きな気持ちが子どものやる気や勇気を引き出します。



【質問17-10:お子さんから,約束をさせられることがありませんか?】


 ○未来!

 指切りげんまん嘘ついたら針千本飲ます。指切った。「ママ,げんまんって何のこと?」。「?!!」。拳万と書いて,拳固で万回殴られてもしようがないということです。約束とは痛い目に遭うという歯止めがないと守れないもののようですね。固いちぎりは血判を押していましたが,契約は朱肉の印鑑捺印です。ちょっと大きな買い物はローンや分割払いです。約束を違えるとたいへんです。

 約束は未来の時間を予約することです。将来の可能性を切り売りするようなものです。先約がなかったらよかったのにという場合も起こりえます。今の生活が将来を担保にしていると,将来はそれだけ目減りしていることになります。慌てて損したという後悔もまた誰にでもつきものです。先のことは不確かであるというデメリットがある中で,約束はきちんと守らないと人との関係までもが壊れてしまいます。

 子どもと休みの日の予定を約束します。あいにくの雨模様で,キャンセルとなります。予め雨天中止という条件を付けておけばいいのですが,そうでないときは改めて約束の再確認が必要になります。雨が降っているからという事態を認めるかどうかです。雨はどうすることもできませんので,約束のほうをどうするかです。あきらめて中止にするか,雨天決行にするか,延期にするか,それとも予定内容の変更をするかです。子どもは約束の難しさを学んでいきます。

 もういくつ寝るとクリスマス? 将来の楽しみを約束しているとき,子どもは将来という時間を意識できるようになります。時の流れを意識化できることが知恵の土台になります。今これをすると次にはこうなるだろう,その基本的な因果関係は時間の上に成り立つからです。希望や夢という大切な概念も明日に向かうものです。人類が考える力を身につけたのは,明日という時間を獲得したからです。犬や猫は今しか生きていません。明日を考える動物はいないのです。

 約束は未来を具体的にイメージさせるマークになります。確かな未来なのです。時間の上で生きるときに人は人生を考え,希望という幸せを手に入れることができるようになります。人は知恵を獲得し,未来を見る力を持っているから,生きる喜びを創り出すことができるのです。子どもは子どもなりに明日につながる時間を生きているという実感を持たなければなりません。明日に向かって道が拓けているということが,辛いときの突破口になるからです。

・・・約束という確かな未来を与えると,子どもは生きる喜びを知ります。・・・


 ○期待と不安?

 人はなぜ学ばなければならないのでしょう? 子どもはどうして学校に行かなければならないのだろうと思っています。かつては,義務教育という言葉に頼って強制している親もいました。義務というのは実は親に対する意味を持っています。子どもの学ぶ権利を尊重して,子どもを就学させる義務を親が負っているのです。ですから,登校拒否改め不登校は,子どもが権利を行使しないという点で許されることになります。決して,強制的に登校させる権利を親が持っているのではありません。

 学校は学ぶところであり,教えるところではありません。学ぶ権利が優先し,教えはそれに応えるという形になります。学びたくない者を無理矢理机に着かせて教えるというのは,子どもの権利を侵すことになります。今は権利の優先が流行っていますが,それなら,子どもが学校に行きたくなければ行かなくていいのです。学びたい子どもが学ぶ,それが学校のあるべき姿なのです。だからといって,学びたくない子どもを放置することはできません。それは育てを置き去りにします。

 子どもに学びたいという意欲を持たせる育てが親の負う責任になります。学びは考える力を培うことを目的にします。そこで,考えることが楽しいと思うように育ててやればいいのです。大事なことは考える方向です。明日を楽しく考えるようにします。人はあれこれ考えますが,過ぎ去ったことを悔やんだり,明日のことを思い煩ったりすることは,考える力の無駄遣いになります。考えるというのは,どうすればうまくいくのかを見つけるためにすることです。

 何も考えていない極楽とんぼは,今日だけを生きています。しかし,人は明日に向かって生きてこそ幸せになれます。そのときに考える力が発揮されます。明日のことは分からないので,二つの道が用意されています。一つは期待で,もう一つは不安や心配です。いいことを思い描いていれば,今を明るく生きていくことができます。もちろん夢物語では意味がありません。ところが現実世界には,先行き不安という不確定さもあります。その不安をどうすればクリアできるかが考えどころなのです。

 学びは過去から学びます。幾多の人の経験から,こういうときは何を考え,何をどうしてきたか,それが知恵と呼ばれるものです。学んで知恵を増やせば,それだけ先行きが見えてきて,不安は消えていきます。何も分からなかったパソコンも,マニュアルがあれば使えるようになるのが学びです。そのパソコンを使って何ができるのかを考えるのです。明日への道は考えるから拓けてきます。学びは考える力を育て,考える力が明日を確実に自分のものにする約束という期待を実現してくれます。

・・・考える力が期待を,学びからの逃避が不安を生みます。・・・



《子育てには,学んで考えるという目標があります。》

 ○子どもとの約束をいい加減して,忘れたり反古にしたりしていませんか? 約束を守ることは大事なことです。それは人と明日を共有することだからです。約束を破れば,あなたとは明日を共有できませんという拒否になり,明日という時間が幻であるというしつけになります。たかが子どもとの約束を大げさな,その気の緩みが子どもとの信頼関係や子どもの未来志向にバグとなって組み込まれていきます。

 ところで,中途半端な学びは言い訳上手になります。生兵法は大けがの元です。知ったかぶりはここという場で大恥をかきます。学びにはこれで終わりというゴールはありません。だからいつも謙虚に学び続ける態度が大切になります。それなりの人たちがしでかす不祥事は,学びを怠ったからです。何も分かっていないという批評が出てくることからも分かります。これ以上学ばなくても大丈夫,そう思い上がったとき,明日への扉は閉ざされていきます。もっと学びましょう。

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