*** 子育ち12章 ***
 

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「第 18-05 章」


『子育ては 小さな秘密 許しつつ』


 ■徒然子育て想■
『学力の地盤?』

 昨年に日本の子どもたちの学力が世界のランキングで下がったことが報道されました。そんな大きな話題は関係ないと思われていることでしょう。少しだけ考えておきましょう。子どもたちを取り巻く環境は,世界的には恵まれています。ゲームに取り憑かれてブラブラしていてもなんとかなるという甘い状況があります。その分親が大変な思いをしています。将来の夢など持っていなくても,なんとかなるという他人任せの気持ちがあります。

 この豊かな社会は真面目で学力が相対的に優れていた国民の働きがあったから実現されました。これから社会を支えていくことになる次世代がさぼっていると,人材に拠っている国力は衰えていき,豊かさは潮が引くように失われていきます。さらに少子化はこの減退を加速することになります。ウサギとカメの話の,まさにウサギの役回りを演じつつあります。子どもたちが築くであろう家庭は,現状と比べて遙かに貧しいものになることが確実視されます。

 誰かがするだろうという人任せが,結局自分にはね返ってくることは明らかです。ところが,そのような集団動向をきちんと意識することは困難です。皆が何かをなそうという気持ちを揃えていてこそ,豊かさは皆に返ってきます。その豊かさが人を怠惰にさせるという悪弊は歴史の大事な証言ですが,学びを疎かにすれば理解できるはずもありません。遊ぶ金が欲しい,人のことなど構う責任はないという風潮は,学びを忘れたために自分で生きる力を失っていることを示しています。

 少しだけ身近な話に移りましょう。学力低下の内容です。国際比較は平均の話であり,平均が下がったということは,低成績の子どもが増えているということです。高成績の子どもたちの差は見られないのです。つまり,日本の子どもたちは成績の低い子どもが置き去りにされているということです。勉強に取り組む精神的な準備が整っていない子どもの増加が改めて見直されるべきです。学ぶ意欲が軟弱であれば,学力が蓄積されるはずもありません。

 学びは考えるという頭の行為の中にあります。考えるために使う道具は何でしょうか? それは言葉です。言葉を失ったら考えることはできませんし,知恵も形になりません。言葉を知らないということが,無知と同義なのです。カタカナ語で書かれたマニュアルが理解しづらいというのも,知らない言葉だからです。言葉は現実の暮らしの場にたくさん転がっています。遊びだけといった関心の好き嫌いをしていたら,言葉の偏食になります。母の豊かな言葉で頭脳を太らせましょう。



【質問18-05:お子さんから,秘密を暴露されることがありませんか?】


 ○建前と本音!

 陰でコソコソと話されることは,陽に出してはいけません。もしも,考えていることが相手に筒抜けになるとしたら,人付き合いは不可能です。本音と建前という二重構造があるからです。不用意な一言で,社会的な地位を失う例は珍しくありません。ところで,その本音は手前勝手で欲深いもの,その反動で他人を利用しないがしろにしかねないものと思われています。性悪説が唱えられる論拠になります。本音は陰に隠されます。ネットにおける匿名の陰では,本音が跋扈しやすくなります。

 本音が欲と直結しているとすると,基本的なものは色と金への執着です。社会は人の奥にある色と金の欲を公平にしようと営まれています。色については婚姻制度,金については私有財産制度などがあります。このような法による公平性を保とうとする了解が,建前を構成します。全ての人の本音を実現する手段として,社会的な建前が制度として選択されてきました。建前は一見本音の敵であるようですが,実のところ二人三脚をすることが本来の姿です。性善説の登場です。

 家庭は本音によって作られますが,家族という基本社会である以上,それなりの建前も必要になります。それでも,公私という面では,やはり家庭は本音が強く出て,裸で暮らせる場所です。外に対しては秘めるべきことがあります。そこに子どもが風穴を開けてしまうことがあります。よそのおばちゃんや先生に,素直に正直に何でもしゃべってしまいます。先生の悪口を吹き込まれると,あからさまには言わないにしても,態度で教えてしまいます。

 パパがママに何をしたか,ママがどんな失敗をしたか,ママがパパのことでどんな愚痴をこぼしたか,パパとママがローンのことでどれほど頭を痛めているか,家庭の中で身近にいて見聞したことを,悪気もなく漏らします。どれほど漏れているか,ママの耳にははね返ってきませんので,知らぬが仏です。子どもから友だちの家の内情を漏れ聞くことがあれば,それはお互い様であると思ったほうがいいでしょう。「うちのことはしゃべってないでしょうね?」,「うん」。当てにはなりません。

 本音は誰も同じように持ち合わせています。そのことはお互いに了解済みです。誰でも悩みや苦労を抱えています。だから健気に生きようとあくせくしています。皆同じという大筋の了解はできていても,具体的な個々のことについてはプライバシーという保護の下に置かれたほうが心安らかです。秘密にしておきたいことはお互いに突かないようにすることが良識です。子どもからよそ様の秘密を聞かされたとき,きちんと口封じをして,「聞きたくない」ときっぱり拒否してやってください。

・・・言っていいことといけないことは,ママの耳が教えることです。・・・


 ○秘密の自分?

 子どもは秘密を抱えるようになって育ちが一つ進みます。それは小学生低学年頃です。それまでは秘密がどんなことかも分かっていませんので,秘密厳守を求めることは無駄なことです。学校であったことをすべて話すこともなくなります。自分の経験は自分のものにしておくことで,自分という存在を意識できるようになるからです。自分しか知らない自分ということです。自分のことは自分しか分からない,その認知時期を通してもう一人の自分が確立していきます。自我の芽生えです。

 自分をどのように分かっていくのでしょう? それは言葉による表現になります。自己紹介を思い出しましょう。先ず名前です。ドラマで記憶喪失の人物が登場するとき,自分の名前が思い出せず自分が何者か分からないと悩むシーンがあります。名前はアイデンティティの要です。次が住所,つまり居場所です。どこの誰という情報が個人を特定します。学歴や職歴,特技が能力を表します。次に,性格の情報です。血液型判断の範疇です。

 気が強いか弱いか,優しいか厳しいか,頑固か柔和か,しっかりしているかだらしないかなど,いろんな尺度で評価されます。それらを総合して「自分はどういう人間か」というイメージを組み上げていきます。そこには必ず弱点とか劣等感がつきまとい,秘密にされます。バカにされて怒る人はおそらく秘密に触られるからです。自分はバカだと悟っている人は,言われても動じないでしょう。でも,それを子どもに期待することはできません。

 何をやってもダメな子! そう言われていたら,ダメな自分と思い込まされます。自信を持ちなさい。そう言われても,自信は持てません。いい子だね,ちゃんとできたね,優しいね,上手ね,すごいね,そんなポジティブな言葉を受け取って,自分を認めることができたら,自信がついていきます。でも,どこかにダメな自分が残ります。人との関係は優劣を突きつけて来るからです。上には上が居ます。じっと我慢し人に悟られないように隠そうとします。誰でも弱みは知られたくないですよね。

 子ども集団には無邪気な残酷さがあります。人の弱みを庇うという余裕はないので,あっさりと突いてきます。イジメなどに進展することもあります。いじめられている自分の不甲斐なさを,先生や親には秘密にしなくてはと懸命に耐えようとします。さりげなく子どもが自分の秘密を打ち明けてくるとき,余程落ち込んでいるときですから,何をさておいてもきちっと受け止めてやってください。そんな酷いことがないことを祈りますが,小さなケースもありますから。

・・・哀しさや辛さは秘密にされますが,親だけは聞いてやりましょう。・・・



《子育てには,秘密を見逃しながらも,受け止めるべき場合があります。》

 ○秘密の暴露というときに,秘密を漏らすという場合と秘密を打ち明ける場合とがあります。秘密を共有することで仲間意識ができます。ママと子どもが秘密を共有していれば,パパはポケモン擬きのノケモンです。子どもは賢いですから,パパにもママにも通じています。間に入って気をもんでいるかもしれません。子どもが夫婦のトラブルに巻き込まれると,両方の秘密の重さに押しつぶされることがあります。重苦しい秘密を吸い出してくれるおじちゃんやおばちゃんが居ればいいのですが。

 ママは子どものことを何でも知りたいと思うようです。それは程々にしてください。秘密の自分を持つことは大切なアイデンティティの端緒です。もしも重たい秘密を持ってしまったときは,子どもはいつもと違った言葉遣いをしてきます。「お母さん」という呼びかけが弱いとき,言おうか言うまいかを迷っています。どんなときでも穏やかに聞いてやる姿勢をとっていないと,聞き逃すかもしれません。大事なことは聞いても狼狽えないことです。二度と打ち明けてくれなくなります。

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