*** 子育ち12章 ***
 

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「第 18-07 章」


『子育ては 見えぬ宝を 探し当て』


 ■徒然子育て想■
『豊かさの不健全さ?』

 「指によって月を示してもらうことは必要だが,実際に月をみるのは自分が見るより他に方法がない」。お釈迦様の言葉です。教えることはできますが,学ぶことは自分からその気にならなければできないということです。指によって示す,つまり指導とは心許ないものです。馬を水飲み場に連れて行くことはできる。でも水を飲むかどうかは馬の気持ち次第。先生たちの苦しみがそこにあります。その気にさせるのが教える技術ではないかと期待されますが,限度があります。

 月がどうした? 月なんか見て何が面白い? 月を示されても見る気もしないのでは,示し甲斐がありません。無理矢理月を見せても,何の意味も受け取れません。回りくどい話をしていますが,子どもが生きていく上で大切な知恵という月があり,それをしっかりと見届け,暮らしの指針に取り入れなければなりません。大切なことは決して面白くありません。どちらかいえば窮屈で面倒で脇にどけておきたいものです。面白く楽しいことを求めていれば,生きる知恵は疎かになります。

 学ぼうという気持ちは,状況を変えたいというときに芽生えます。貧しい国の子どもたちは,家族を楽にしたいから勉強したいと語ります。世の中の役に立つ大人になりたいという,日本ではすっかり影の薄くなった目的を持っています。豊かな暮らしをしたいという目的があれば,そこに通じる道が学びの道であることは子どもにも理解できます。自らの将来を切り拓きたいという夢が,学ぶことの意味を明確にしてくれます。

 今の日本のような豊かな子ども時代は,かえって学びへの意欲を枯らしていると考えられています。豊かさの中ではこれ以上やるべきこともなく,ただ面白いことを享受することしか残されていないからです。昔流に準えれば,大金持ちの放蕩息子や娘という状況が思い浮かびます。すべてがそうではありませんが,時代状況の傾向として,理解しておいたほうがよいでしょう。現実の暮らしが苦しいということは別にして,暮らしのレベルが豊かなのです。

 子どもには不自由な思いはさせないように,それが親の願いですが,育てるためにはある程度の不自由さが必要なのです。向上心はなんとかしなければと追い込まれるときに発揮されます。子どもであるからという理由で大人と違って我慢させられるとき,早く大人になりたいと思うのと同じです。ところで,商業化の波は子どもを購買者に仕立て上げ豊かさを押し付けてきました。子どももお金が必要になってきた,そんな社会は不健全です。お金を欲しがる子どもが育っていきます。



【質問18-07:お子さんから,貴重品を壊されたことがありませんか?】


 ○壊した!

 ママが大切にしていた香水を,子どもが惜しげもなくばらまいてくれることがあります。ママの目が三角になり,口は四角に,顔は五角に角が生えてきます。どうしたの?と言いたげなあどけなさも癇にさわります。そんな一瞬の怒りが納まると,残っている量を確かめてキャップを固く閉めます。こぼれた香水の名残を惜しむようにちょっと手の甲に付けてみたり? 子どもはママがしていることをじっと見ていて,真似をしたいと思っているのでご用心!

 装身具など,キラキラと目を惹くものはオモチャになりやすいかもしれません。子どもの前で無造作にご開帳をしないほうが無難です。壊れやすいものは手の届かないところに置いておきましょう。もっとも,一つ二つ壊されたら,ママのほうも用心することを学ぶことでしょう。その他に家の中にあるものを台無しにされることは諦めないといけません。壁に落書きされたり,襖に穴を開けられたり,新聞を破かれたり,パパの大事な書類を汚されたり,いろんなことが起こります。

 誕生日やクリスマスなどの特別なプレゼントとして高価なオモチャを買い与えることがあります。子どもの喜ぶ顔が見たいという親心からですが,一方で高価なものという気持ちがつきまといます。でも,子どもにとってはただのオモチャです。親がハラハラするような乱暴な扱いをします。遊ぶことに熱中すれば,オモチャはただの道具になってしまうからです。貴重品では遊べません。結果として,いずれは壊れてしまいます。もったいないと思うのは,オモチャ遊びを忘れているからです。

 ものは壊れるのが定めとはいえ,ものを大切に扱うことはしつけのテーマです。壊れるのと壊すのとは違うことをきちっと教えましょう。オモチャが壊れたのか壊したのか,見極めて,原因を教えることが肝心なポイントです。壊したのであれば,何がいけなかったかを具体的に正しておきます。「乱暴に扱うからよ」。それでは子どもに通じないからです。放り投げて壊した,踏みつけて壊した,倒して壊した,濡らして壊した,いろんなケースを学習させましょう。

 貴重品であるモノは,おいそれと手に入らないモノです。壊したら,もう手にすることができないことを教えなければなりません。ママの貴重品の場合にはママが我慢を押し付けられるので,子どもには分からせようがありません。子どもの持ち物の場合に壊したら替わりがない,我慢せざるを得ないということを経験させる必要があります。壊したモノをさっさと始末せずに,壊れたままで手元に置いておくといったことも考えられます。嫌みっぽいですけど,忘れさせないために?

・・・貴重品であることは,失って始めて実感できるものです。・・・


 ○親なんて?

 時は金なりといわれています。人にとってもっとも価値あるものは,時間でしょう。寿命という時間,人生という時間です。若返りたいという望みは絶望的ですが,それは過ぎ去った時間が戻らないということです。一度しかない人生,これ以上に貴重なものはありません。ところで,毎日の暮らしでは,時間がいくらあっても足りないという忙しないことになっています。この子がいなければどんなに楽だろうなんて思ってしまうことがあるはずです。子どもは時間泥棒?

 子育てに費やされる時間はかなりのものです。乳児期には一日のほとんどすべて,寝る時間まで持って行かれることもあります。少しは自分の時間を持ちたいと思います。休養のためでもありますが,自分のしたいことをしたいという気持ちが強いはずです。ショッピングやお食事の時間があれば・・・。幼児期になれば,保育園や幼稚園に預けている間,自分の時間を取り戻すことができます。ヤレヤレ出かけてくれた。そのかすかな安堵感は,一方で子どもに追放された不安感をもたらします。

 子どもがいるばっかりに犠牲を強いられている。そんなことを考える迷い道に踏み込むことがあるかもしれません。親なんてつまらないと思うこともあるでしょう。それが普通です。でも,この子には自分が必要なんだという気持ちのほうが勝ります。自分が生んだ子どもなんですから。必要とされている,それがママ自身をかけがえのない存在として意識させてくれる入口です。ママが費やす時間に比例して,ママ自身が貴重な存在感を付与されていきます。

 人は,仕事の場,社会の場にいて,自分の存在感を感じようと励んでいます。それは簡単に言えば,いなくてはならない人になることです。あなたがいないと困る,と言われたいのです。でも現実には,どんな人であろうと替わりはいくらでもいるのです。社長であっても,別の人に交代してさしたる支障はありません。定年で辞めていく人がいても,後は何の心配も要らないということです。病気で仕事から離れたとき,後のことは心配しないでゆっくり休養をとってくださいと言われるはずです。

 子どもにとって,ママは大事な人です。替わりはいないはずです。そう信じてきたのですが,最近少しばかり心配です。ママが入院や所用でいなくなるという状況を迎えた場合,子どもは一番に「ご飯はどうするの?」という心配をしています。私は飯炊きばあさんか!? 笑い事ではないですね。私は何のために苦労してきたのか,という虚しさを感じることになります。しっかりしてくださいね,それでいいのですから。子どもに感謝されたいという我欲を持ったら,親は自分を見失います。

・・・やってられないことを黙々とやるから,親の愛は尊いのです。・・・



《子育てには,人としてもっとも貴重な宝物の発見があります。》

 ○子どもよりパチンコのほうが大事? 信じられないことが起こっています。子どもよりお金を稼ぐ方が大事? 先行きが心配になります。裏返せば,親よりお金が大事ということになります。人の収支はトントンであることが原則です。ぶったくりをしていると,爪弾きされます。親から受け取った数々の世話を自分の子どもにきちんと返済することで,帳尻が合うようになっています。親から世話してもらって,子どもの世話を端折っていたら,それは未納扱いになります。後の請求が怖いです。

 豊かさは貴重なものを失わせます。なぜなら,豊かさは奪うことで成り立つ宿命を背負っているからです。自然から,環境から,多くの人から,いろんな形で自分に引き寄せるから,豊かさがあります。子どもは親からあらゆるものを奪います。豊かさの中では,分け前を惜しむために子どもを少なくしようとします。やがて,豊かさを食い尽くすときがやってきたとき,大きなツケが降り掛かってきます。子どもは本当は幸せの打ち出の小槌なのですが,それを見えなくするのが豊かさです。

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