*** 子育ち12章 ***
 

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「第 18-09 章」


『子育ては 心楽しく 晴れやかに』


 ■徒然子育て想■
『豊かな連想?』

 「声に出して読みたい本」を著した斉藤先生が,テレビ番組の中で,頭の良さは文脈力と説明されていました。巷では子どもの学力低下が国際学力比較によって突きつけられ,ゆとり教育路線が咎められています。授業時間の削減をすれば学力の低下は免れないということははじめから分かっていたこと,そんなコメントも聞こえています。ゆとり教育は何のためであったのか,すっかり忘れ去られています。また,子どもによる凶行は忘れる間もなく勃発してきて,手の打ちようもありません。

 いろんな情報があれこれと重なって,どう理解すればいいのか困惑するばかりです。大事なことは何であるのか,整理しておかなければなりません。子どもに求められるものとは? 一言でいえば,頭を使うことです。感性丸出しではなく,理性と呼ばれる能力を常に優先することです。カーッとなって,というのが感性,落ち着いて考えるのが理性というわけです。馬鹿なことをしでかす,それもちょっと考えれば分かることなのに。その後悔は理性を後回しにした悔いなのです。

 では,その考える理性,頭を使うとはどういうことでしょうか? 文脈力とどんな関係があるのでしょうか? この疑問こそが解答になります。文脈力とは関係の理解です。言い換えると,連想によってつながるあれこれを辻褄を合わせて組み上げる力です。明日,学校,授業,宿題,と連想して,ノートを開く態勢に入ります。言葉の間のつながりを辿っていく力は,道を歩くのに似ています。次の信号を右に・・・,といった道順を追うことで離れた地点がつながります。

 本を声に出して読むことで,言葉のつながりのパターンを覚え込むことができますし,リズム感という滑らかさも身に付きます。言葉のつながりは,そのまま人の思考パターンになります。文脈力は,会話においても,相手の言った言葉から連想を働かせることに使われます。本を読むことで思いやりのあるパターンを覚えていると,そのパターンを重ねることで,相手の言葉を正しく理解するようになります。誤解や曲解による諍いがなくなります。

 連想が正しく進むためには,きちんとした滑らかなつながりパターンを持つことです。この力が身に付けば,知識をつなぐ連想ができるようになり,一を聞いて十を知るという頭の良さが付いてきます。こうすればこうなる,その論理性は連想の道順なのです。ゆとり教育は連想パターンの体験であり,授業から受け取る知識を自分の文脈力で発展させる力,つまり学力を十分に発揮することになるはずです。応用ができないというのも,つながりを辿る力が弱いことと無縁ではありません。



【質問18-09:お子さんから,楽しみを奪われることがありませんか?】


 ○苦あればこそ楽あり!

 最近の若い方は,横のつながりが強い中で暮らしています。同じ年代を中心に世間を作っています。例えば,同級生の暮らしぶりが唯一の尺度になっています。結婚していない同輩がいれば,ママである自分と気ままな独身との生活ギャップを突きつけられます。どちらがどちらということはありません。ママが独身の気ままさを羨めば落ち込むかもしれませんが,独身がママの落ち着きを羨めば寂しくなるでしょう。

 人は楽しみを求めて生きていますが,その楽しみは千差万別です。ところが,美味しいものを食べて,ゆったりとくつろぐことが至高の楽しみという思いこみが出回っているようです。働きながら束の間の楽しみを求めていれば,その束の間を子どもは奪っていきます。子どもがいなければ楽しめたのに,そんな恨みがましさを子どもは受け止めてはくれません。子どもは楽しみを奪う存在でしょうか? 世代を越えた縦のつながりを組み込んでみませんか?

 生活の余裕ができてから子どもを産むという考え方があります。実のところ,子どもは完成したものとして届けられるわけではないので,育てる手間暇と費用を掛けなければなりません。それに耐えるだけの余裕が必要だと思われているようです。結婚は添ってみなければ分からないのと同じで,子育てもやってみないと分からないものです。もし結婚生活を完成されたものとして始めようとすれば,苦労ばかりが襲ってくるはずです。子育てははじめから完成してはいないので,なおさらでしょう。

 結婚生活も子育ても創り出すものであり,だからこそ創る楽しみが得られます。出来合いの弁当と手作りの弁当,どちらを食べるのが楽しいでしょう? 食べるのはいいとして,手作りするのは苦労であると思われますか? 何のための苦労? 「美味しい?」とパパや子どもに尋ねることがありますね。美味しいという返事があれば,苦労した甲斐があったという楽しみが生まれます。それが自分の手で造り出された,自分の楽しみになるのではないでしょうか?

 ケーキが一つあります。子どもが「食べていい」と聞いてきます。「いいわよ」,「ママの分は?」,「ママはもう食べたから」。子どもに見つけられたので仕方なく譲ることになります。ママの楽しみが奪われました。でも,うれしそうにほおばっている子どもを見ていると,楽しくなるから不思議です。親子でなければ手に入らない楽しみです。自分だけの楽しみを越えた,深くて大きな楽しみがあることを教えてくれるのが子どもです。

・・・孤独な楽しみよりも夫婦親子の楽しみの方がコクがあります。・・・


 ○ママの楽しみ?

 子どもの楽しみと親の楽しみは違います。特に子どもは楽しみを自分でこなすことができない場合があります。連休にどこかに連れて行ってもらうというお出かけの楽しみは,親による介添えが必要になります。休みはゆっくり骨休めをしたいという楽しみは,流れてしまいます。ヤレヤレと思いながらも,渋滞の列に並びます。今頃は家でのんびりしているはずなのにどうしてこんな目に遭わなくては,そう思うとイライラしてきます。

 パパが子どもと遊んでくれると,ママは一息つきます。パパの子育て参加の入口として,幼児をママからしばらくの間離してやるということが勧められます。そのことは,もちろん,第一義的にはパパと子どもの絆を結ぶ意味がありますが,ママにとっても解放の時間を手にするメリットがあります。どんなに愛しい我が子でも,四六時中べったりが続くと,気持ちの疲れが生じるものです。そうならないために,人間の子育ては父母の二人がかりになっています。

 子どもの世話が楽しくてしかたがないという場合もあります。そんなとき,子どもが親離れをし始めると,楽しみが手からこぼれていくような感じがしてきます。あれやこれやと甘言を用いて引き留めようとしますが,効果は束の間です。こんなに思っているのに裏切られたと思うかもしれません。子どもは楽しみの対象ではないとママに気付かせてやるのは,三角関係にあるパパの役割です。成長を楽しみにするとは,親として子どもを見守る楽しみなのです。

 家庭に子どもが登場すると,妻という女性が母親一辺倒になります。好むと好まざるに関わらず母親一色にならざるを得ない状況があります。子どもが乳児の間はただ一所懸命に世話に追われていますが,少し慣れてくると,妻であり女であることへの復帰が必要になります。その気持ちの切り替えがスムーズにできるためには,夫であり男である父親の受容が不可欠です。父母だけではなく,夫婦であり,男女であるために,夫婦の楽しみ,男女の楽しみを取り戻しましょう。

 親子や夫婦の間に亀裂が入ることがあります。そのほとんどは「自分ばっかり!」と言われるようなことをしているときです。自分ばかり外で飲んできて! 自分ばかり楽しんで! 自分たちばかり楽をして! 自分ばかりゲームをして! 「一緒に」という条件はどんな場合でもとても大事なことです。楽しみ方が幼いと,悪いことをしているとは露程も思わず,周りの大事な人をないがしろにすることになります。「一緒に楽しむこと」を忘れないようにしてください。

・・・苦楽を共にする絆は,一緒であるという実感から生まれます。・・・



《子育てには,楽しみを上手に掘り出すための仕掛けがあります。》

 ○お金で購えてしまう楽しみはたかがしれています。手に入れた途端に飽きてしまいます。テレビの世界では,温泉と美味が溢れています。非日常という楽しみも確かにあります。生きている楽しみはそれだけではありません。日常の小さな楽しみを見つける力を養っておかないと,人まねの楽しみに振り回されるだけです。連れ合いの笑顔を見る楽しみ,子どもの感動を抱きしめる楽しみ,家族の中にはいっぱい楽しみが詰まっています。

 子どもに楽しみを奪われているように見えても,子どもはもっと素敵な楽しみに作り替えて返してくれます。それを目利きできるようになったとき,親の境地に到達することになります。親であるという苦労のトンネルを抜けると,そこは大人という銀世界になります。いのちの育ちに付き添った感動を経験しているから,人を見る目が温かくなります。ほのぼのとした佇まいを漂わせている人は,楽しみ方が素敵な人です。

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