*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-05 章」


『子育ては 交わす言葉に こころ添え』


 ■徒然子育て想■
『言葉!』

 熊本にギター和尚と呼ばれる渡辺さんという住職がおられます。その方の本にこんな話がありました。「ある刑務所でアンケートをとったそうです。罪を犯してしまった人の割合は「食う」と言っていた家庭から70%,「食べる」と言った家庭から30%,「頂く」と言っていた家庭からは一人もいなかったそうです」。下世話な感覚では暮らしぶりのランクと重なっているようですが,それだけでもないようです。

 黙っている人は人となりが見えませんが,話してみるとどんな人かがおよそ見当が付きます。化粧は人を飾りますが,言葉遣いは心を飾ります。身繕いをきちっとすると姿勢がシャキッとしますが,言葉遣いをちゃんとすると気持ちがたおやかになります。ぞんざいな言葉遣いをしていると,心がささくれ立っていきます。何もお上品な言葉遣いを勧めているわけではありません。美しい言葉を普段の暮らしの中で自然に使うように気配りをすればいいのです。

 たくさんの人の前で話さなければならないとき,普段とは異なる言葉を使わなければならないという強迫観念が生まれませんか? いわゆるちゃんとした言葉遣いは日常言葉とは違うと思うからです。ところが若い人から子どもまで,人前でも堂々と話しています。今の若い人は,といううらやましさを口にする方もおられます。テレビのバラエティ番組などでも,普段の語り口が通用しているように見えます。でも,実のところ,その言葉は二流になっています。

 子どもたちの言葉の貧しさは,心の貧しさに反映します。言葉の貧困は心の狭さにつながります。ちょっとした一言にキレルという過敏さも,言葉に深みを持ち合わせていないせいです。直裁に言うことが素直な表現という手抜きをするから,言葉に角が立つようになります。人の気持ちは複雑です。何と表現すればいいのか分からないことが多いはずです。たくさんの言葉を重ねて,やっとなんとなくそれらしい表現ができるでしょう。言葉少なくてはすれ違いだけが起こります。

 文章を声に出して読むというブームが起こりましたが,美しい言葉を語感やリズム感を通して身体にしみ込ませるという作用です。ブームになった背景には,目で見る言葉と口にする言葉が乖離しているのではという素直な直感を多くの人が抱いていたことがあります。食べ物は良く噛んで食べる,同じように言葉はよく口に出して話すという作法の復活です。目で追えば言葉の上辺をなぞるだけ,口にすれば言葉を血肉として取り込めるということです。



【質問19-05:聞いてやるから,話せる子どもに育ちます!】


 ○第5軸:聞いてやる

 子どもの話は要領を得ないことがあります。ママは分かりがいいので,たいていのことは了解できます。その分かりの良さが,言葉の訓練をする機会を奪うことになります。子どもが一言いえばそれで通じてしまうのでは,きちんと伝える苦労がないからです。ママ以外には分からないことになります。どう言えば思いを分かってもらえるのか,その気配りが言葉遣いを豊かにするはずです。なるべく言葉をたくさん引き出すために,気長にゆったり聞いてやってください。

 先生が,国語の授業で太宰治の走れメロスをやりました。教科書にはメロスが懸命に走る姿の挿絵まで丁寧に載っていました。一通り読み終わって,メロスについて気が付いたこと,思ったことを述べるように質問をしました。その質問に対する生徒の答えは,「メロスは天然パーマだった」,「メロスは男なのにスカートをはいている」,「しかも超ミニだ」等というものだったそうです。

 文章,つまり言葉が子どもの脳裏に届いていないということです。挿絵・映像に対する感性だけが特化されていて,言葉が醸し出す情感に不感症になっています。視覚と聴覚のバランスがチグハグになっているというのは,言葉を聞くという体験の不足を暗示しています。子どもが多くの時間付き合っているテレビ視聴では,映像が主で言葉は付属するものでしかなく,かなり省略されています。テレビとラジオの野球中継を比べると,ラジオの方が圧倒的に言葉が多く必要です。

 百聞は一見にしかず。例えば,象とはどんな生きものか,について言葉でどれほど説明しても,実際に見ることには及ばないでしょう。でも,見えないものは見ることができません。見えないものはたくさんあります。善いとか悪いとか,美しいとか醜いとか,信頼や思いやりといった生きていく上で大切なものは見えません。それを理解し身につけるためには,言葉に頼るしかありません。暮らしのひとこまひとこまから切り取って,親子で言葉を磨いてください。

 言葉だけで伝える,分かり合える,それができるとき,言葉自体に命が吹き込まれます。生きた自分を表現するには,生きた言葉でなければできません。そのことに気付かせる親の役割は,じっくりと子どもの言葉を聞くという態度です。足りない言葉があれば補ってやり,ずれた言葉であれば言い換えてやり,間違った言葉であれば正してやります。そのようなきめ細やかな言葉のしつけは,言葉を丁寧に聞く中でのみ可能になります。

・・・聞いてやるというしつけが,美しい言葉を教えることになります・・・


 ○会話!

 幼い子どもの話しぶりを聞いていると,ママに似ています。そんなことはないと思われるかもしれませんが,他人との違いに比べて,親子の違いは小さいのです。ということは,しっかりと聞かれているということになります。言葉の基本的なしつけは,ママがしているのです。やがて,外の世界に入っていくようになると,ママが教えていない言葉を覚えてきます。中にはママがお気に召さない言葉もあることでしょう。

 ママにしかできない役割があります。子どもが手当たり次第に拾ってきた言葉を,会話の中で選別することです。素敵な言葉であれば,しっかりと聞き取ってやります。望ましくない言葉であれば,そっと脇にどけておきます。ママに対しては使えない言葉があるということを教えてください。新しく言葉を拾うときに,ママの嫌いな言葉を判定する見本として,どけたおいた言葉が参考になります。差別語なども使えない言葉として,覚えておかなければなりません。

 ママとの会話がどこに出ても恥ずかしくない会話のお手本であれば,子どもは話すことに自信を持つことができます。もしも,ママとお話しているようによそで話したとき,ほめられたりすることがあれば,うれしいことですね。きれいな言葉遣いは,ママとの会話から始まります。普段から使い慣れていないと,緊張して疲れたり,口ごもったりして失敗します。いざというときにちゃんとすれば,それは無理なことなのです。

 お父さんに手を引かれて歩いていく幼い女の子がスキップをしています。幼い歩幅は短いので,スキップをすればペースを合わせることができます。お父さんと一緒に歩くのも今のうちとは思いますが,楽しい会話が弾んでいるのは父子の旬の時期でしょう。同じ風景を歩くことで,交わされる言葉はぴったりと重なっています。子どもがどんなことに関心を示すのか,きちんとした理解がはかどるはずです。子どもの目線に添った会話の確認プロセスです。

 子どもと話していると,子どもは詩人だなと思うことがあります。大人には思いつかない言葉の使い方をします。お空が泣いているよ。空が泣くはずないじゃないの。風が走っていったよ。風は吹くものでしょ。理屈に合わないことを言えば,すぐにダメ出しが入ります。それは間違ってはいないのですが,あまり杓子定規にならないようにしませんか。普段の会話は授業ではありません。子どもの直感的な言葉遣いも,案外と楽しめるものですよ。

・・・お互いを生かす会話とは,共感できる言葉が行き交うことである・・・



《子育てには,どんな人とも話せる言葉のしつけがあります。》

 ○子どもは興味のあることについては,たくさんの言葉を覚えます。大人が知らない言葉まで仕入れてきます。教えを請うと,ちょっぴり自慢げに教えてくれます。もちろん,それらの言葉に深みを持たせるところまでは踏み込んでいません。知っているというだけの表面的な理解であることには目を瞑りましょう。詳しい意味まで知らなくても,いろんな言葉があることを体験しておくことが大切です。覚えて忘れて,それでいいのです。

 家庭の暮らしの中では,言葉の数が少なくなるという傾向があります。用事に関する言葉だけが行き交ってはいませんか? テレビを消して,家族で会話をすれば,パパの言葉,ママの言葉,子どもたちの言葉,少なくとも三種類の言葉が融合します。世代間の気持ちの触れ合いが薄れてきている原因は,世代間をつなぐ言葉が貧困化しているからです。豊かな言葉がなければ,人のつながりは細くなっていきます。先ずは,親子世代間のつながりを太くすることからはじめましょう。

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