*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-08 章」


『子育ては 人と付き合い 磨き合う』


 ■徒然子育て想■
『"できる"から"できた"へ!』

 人を励ますときには,「あなたはやればできるから」と必ず言われます。実際は,やらないからできません。子どもには,「真面目に勉強すればできるはず」と励まします。やがて,子どもは「自分はやればできる」と思い込んでいきますが,同時に「でも今でなくても,いつかやればいい」と先送りをします。「いざというときがきたら,そのときにやればいい」と逃げていくものです。いざというときがきたときは,既に時を失して取り返しがつきません。

 大人の後悔は,「あのときやっておけばよかった」ということがほとんどです。コツコツと努力する人が成果を手中に収めるのは,やることを今しているからです。やればできるという実践をきちんと果たしているから,「できた」というステップを確実に踏んでいくことができます。「やればできる」はまだやる前のこと,「やってできた」はやり終えたこと,その差は歴然としています。どちらを選んでいるか,それが成長の違いになって現れます。

 「できる」と「できた」の違いは,やる前と後の違いだけではありません。最も大事なポイントは,できると考えるのは頭であり,できたと実感するのは手足であるということです。畳の水練という言葉を思い出してください。畳の上でどんなにかっこよく泳いでも,水の中では役に立ちません。どんなに理路整然と考えても,実際にはそう簡単には実行できないということは,大人であれば経験済みのはずです。口ばっかりという状況がそこここに見られます。

 想像の世界では不可能なことはありません。したがって仮想の世界に馴染むと,何でもできると錯覚し,人間の能力に限界があることを見失います。同時にその限界を拡大することが成長であるという期待感を持つことができなくなります。幼児期に遭遇する壁として,できない自分の発見があります。できると思っていたのに,やってみたらできないことばかりです。そこを乗り越えるためには,「できた」ことを大人が見つけてあげる励ましです。

 対人関係にも違いが出てきます。「あの人はできる人」という評価がある一方で,「あの人はできた人」という評価もあります。できる人は,「こんなこともできないのか」と人の不甲斐なさを責め立てるようになります。大人が子どもに言うセリフも同じです。できたひとは,「自分も最初はできなかったけど,繰り返していればできるようになる」と人を励ますことができます。できないことを悪いことと断罪しないので,温かさが伝わってきます。



【質問19-08:素直だから,温かい人づきあいができます!】


 ○第8軸:温かさ

 万事金の世の中。気持ちの上では否定したいかもしれませんが,現実にはしようがないようです。欲しいものはお金がなければ手に入らないシステムになっています。寂しいことです。それでも,お金で買えないものがあるということを人が実感できるのは,お互いの温もりに包まれるときです。人は温もりを求めます。でも,その温もりを与えることはあまり考えていません。身勝手なものですが,そこから少しだけ抜け出せたとき,人とのつながりを手に入れることができます。

 温もりを醸し出す条件とは,どんなことでしょう。温もりは離れていては伝わりません。近接しているからこそ,伝わります。ママと赤ちゃんの触れ合いも,ダッコという形です。車には車間距離がありますが,同じように人の間にも適当な距離があります。見ず知らずの人からべたっとくっつかれると嫌なものですが,同じように心理的な距離感もあります。親近感を持つと言いますが,親との間のような近い間柄という意味です。温もりは,その辺りに漂うようです。

 親近感の元は人を信じられることです。人を素直に受け入れ,素直に接することです。信じることができないと,冷たく疎遠になります。大人社会で見受けられるご近所づきあいの難しさも,陰には不信感が潜んでいるようです。よく知らない人には信頼が置けないのは当たり前ですが,だからといって疑いの念だけを持つようになると辛いことになります。疑り深い人は人を信じませんが,実は自分がそうだからという根拠があることもあります。

 世間には私腹を肥やすという不義があります。人づきあいにも,人を利用しようとする嫌らしい謀が紛れ込みます。正直者が馬鹿を見るという教えもあり,渡る世間は鬼ばかりといわれます。でも,そういうことが言われるのは,元々は社会はそうではないからです。正直者が報われる世の中が当たり前だから,馬鹿を見る場合が際立って意識されているのです。言葉があるのは,そういうこともあるという例外を教えるためであり,意識すれば例外しか見えなくなります。

 私心があるのはどうしようもありませんが,その私を「私たち」と広げることができるとき,社会性が育まれていきます。迷惑を掛けないようにするという心根は,人にとやかく言われないための用心ではなく,私たちという共同世界を意識できることに発しています。私たちという気持ちが湧いてくると,人に対して素直に接することができます。親近感が作用する範囲は,私たちという意識の範囲と重なっています。私意識しか持てないと,温もりを発することはできません。

・・・私たち世界を信じる素直さが,温もりを分かち合う源になります・・・


 ○人間関係!

 人間関係といえば,二人の関係が主にイメージされているのではないでしょうか? 実は,人間関係とは三人以上で現れてくるものです。二人の間では,好きなら付き合って,嫌いならそっぽを向いていればいいのです。ところが,嫌いな人ともそれなりに付き合わなければならないのが,社会的な人間関係です。三人のうち二人が関係を持てなくなると,三人社会は成り立たなくなるからです。家庭も父と母と子どもの三者の付き合いがある社会なのです。

 子どもたちが仲のいい友だち関係という部分にこだわって,人間関係を狭くしているようです。すごく仲の良い友だち,仲のいい友だち,ときどき付き合う友だち,なんとなく話をする友だち,あまり話したことがない友だち,ほとんど関わらない友だち,といった多層な関係をもつことが大事です。いくつかの三人目の付き合いを持つことです。学校での友だち,地域での友だち,チームの友だち,さらには異年齢の友だち,いろんな取り合わせが望ましいでしょう。

 二人だけの仲というのは,いいときはいいのですが,何かがすれ違うと急に冷めていきます。かわいさ余って憎さ百倍という急展開が訪れて,敵対関係にまで暴走してしまうことがあります。裏切られたという衝動が湧いてくるからです。三人目がいれば,なだめ役になってくれますし,一次休戦という冷却期間の後に修復のできる機会がやってくるものです。人は人によってつながっていく,その信頼感が人間関係の要です。

 子どもとママの関係はとても強いものがあります。それは人間関係の温もりを教えてくれる大切な基本です。そこから,父親やきょうだい,隣のおじさんやおばさん,おばあちゃんや知り合いの人など,いろんな人との間にも程度の違う温もりがあることを経験させておくべきです。熱いか冷たいかというディジタル感覚ではなく,いろんな温もりを感じるアナログ感覚が育っていないと,キレルという反動に気持ちが振り切れることになります。

 大事なことは,仲良しであるためには,いつも一緒にいて同じ気持ちを共有していなければならないという厳しい条件を自他に突きつけないことです。しばらく離れていても,仲良しであり続けることができますし,多少の違った価値観を持っていても認め合うこともできます。お互いを尊重し合うということは,違いを認める余裕が前提になります。ママと意見が違うことがあっても,大の仲良しであることに変わりはないはずです。

・・・敵でも味方でもない多様な関係を持てば,つきあいは楽しくなる・・・



《子育てには,わがままな本能を割り引く分け合うしつけがあります。》

 ○わがままと素直の境界はどこにあるのでしょうか? そんな質問を受け取ったことがあります。「自分に素直」と言葉を連結すれば,それはわがままと重なる部分が出てきます。わがままは自分に素直ですが,自分に素直だからといってわがままとは限らないということです。わがままは自分だけの利を考えることです。当面する他者との人間関係をベースにしていれば,わがままから抜け出すことができます。

 一般には他者との関係に利他という意識を持ち込むことが勧められます。しかし,それは大人でも困難な信条です。せめて相手にも幾分かの利を分け与えるという節度が持てればいいでしょう。例えば,順番にするといった約束をすることで,お互いの納得を得る方策が可能です。社会生活の上で公平性という原則はかなり幅広く有効になります。お互い様という感性が育てば,温かい人間関係をもたらしてくれる知恵が見えてくるはずです。

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