*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-09 章」


『子育ては 今日を認めて 明日を待つ』


 ■徒然子育て想■
『夢!』

 「Boys be ambitious, like this old man!(子どもたちよ,大志を抱け。この年寄りのように!)」 明治期の札幌農学校に赴任していたクラーク博士が残した有名な言葉です。通常は,前半の言葉だけが語られます。最近の子どもたちは夢を持てなくなっているといわれていますが,その責任は今の年寄りにあります。次世代に何を残せるかという意識が希薄です。生きることは明日に向かうことですが,明日への目線がなくなっています。

 時代の特徴として明日が見えないともいわれています。変化の激しい世情の行く先が見えないということです。暮らしの経済が不安定であり,先行きは不安の中にあるという観測が一般的です。しかしながら,時代の流れを遡ってみると,どの時代でも先行きは不安であり,だからこそ近くは20世紀が戦争の世紀に迷い込んだのです。人は明日を予想する能力を持っています。それは発展の原動力ですが,同時に不安の推進力でもあります。

 明日への不安を乗り越えるためには,パンドラの箱に残された希望にすがるしかありません。希望や夢は人の生きる力を発揮させる点火触媒です。夢がなければ,生きる力は燃え上がることはありません。思い通りにならない現実に押し込められて,生きようとする思いが圧縮されているとき,夢という点火が作用することによって,明日はなんとかなるという生きる力の爆発が起こります。子どもたちの生きる力には夢を抱くことが欠かせません。

 子どもたちの学力低下は推論する学力の不足に現れています。いくつかの事実を組み合わせて総合的な判断をすること,それが推論であり,推察です。その結果として夢が具体的に描かれていくはずです。簡単にいえば,考える力です。考えることが夢を生み出すのです。明日のことなど考えるのは面倒だという状況では,夢を持つことなどできません。ボーッとしていては夢はありません。

 考える力は明日への不安を生み出します。明日のことを考えると不安になるから,考えないでおこうとしているかもしれません。でもそれは,考える力の使用法が間違っています。考える力とは,できるかもしれないという可能性を見つける力なのです。下手な考え休むに似たりといわれますが,上手に考えるというのはどういうことか,しっかりと学ばなければなりません。それを教えるのが年寄りの役割です。幼老共生の暮らしから夢が生まれてくるのです。



【質問19-09:認めてやるから,待てる子どもに育ちます!】


 ○第9軸:認める

 子どもがママの言うことを聞かずに激しく駄々をこねることがあります。きつく叱っても,余計に煽り立てることになってしまい,手がつけられません。困ってしまいます。子どもは何かを拒否しています。幼ければ,何が嫌なのか分かっていないこともあります。自分を見ることのできるもう一人の自分が育っていないからです。正体が分からなければ,言葉で表現することもできません。ただ嫌だということしか伝えようがありません。

 出せそうで出せないマイナスの感情を持て余しているので,子どもは混乱してフリーズ状態に陥っています。とにかく出してしまえばいいのですが,そのためにはママが上手に引き出してやらなければなりません。その際に「どうして?」と理由を聞き出そうとしがちです。でも,ひとまず理由は置いておいて,取りあえず「嫌なのね」と,子どもの気持ちを受け止めてやることからはじめましょう。そんなことを言えば,子どものわがままが通るのでは?

 嫌だけどしなければならないこと,嫌だけどすればいいことがあるようなこと,嫌だけどすれば喜んでもらえること,嫌だけどすればできたと思えること,いろんな良い結果につながることがあります。嫌だけどという壁を乗り越えることができれば,その先に育ちの道が拓けています。それでは,親として何をすればいいのでしょう? 子育ては子育ちを支援することと分かってはいるのですが,どうすればいいのかという具体的なことが分かりにくいことです。

 この状況で出来ること,親がしてやるべきことは,嫌だという壁を低くしてやることです。子どもに向かって乗り越えよと言うことは励ましですが,一方で壁の前で立ちすくんでいるのなら,その壁を低くしてやることも大事であり,そのことが支援という行動になります。子育ちの道にある障害を一切取り除くのではなく,子どもの力に合わせて低くしてやります。自分の力で乗り越えたという自信を子どもに持たせるためです。

 嫌だという気持ちを和らげてやれば,やってみようかなという気持ちに切り替わります。気持ちですから,気の持ちようという手が使えますし,ママに聞いてもらって認めてもらえれば,気が楽になるという効果もあります。嫌なのねと受け止めてやることは,その気持ちから逃げずに一緒に向き合うことになります。ママと一緒に向き合えば,やがて「嫌だけど」という気持ちが頭をもたげてきます。子どもを認めるというのは,育ちの胎動を待つための時を過ごすことなのです。

・・・立ち止まりを認めてやれば,子どもの育ち力が反発力を蓄えます・・・


 ○チャンス!

 子どもと歩いていると,「ちょっと待ちなさい」と言わねばならないことが度々あります。「待ってどうするの?」。そのことを理解することが育ちです。何故待つのか,そのわけを理解させないと,子どもの生きる力にはなりません。待とうという自発性が育たないと,いつまでも言われないとできないことになります。子どもに対するしつけは「○○しなさい」というパターンが多くなりますが,そのわけを教えることが子育てなのです。

 道に飛び出さないで,左右の確認をするために待ちます。できたてのラーメンは熱いかもしれないので,ちょっと待って,火傷をしないように確かめます。いろんな局面で確認をするために待ちが入ります。確認をしたらどうなるのでしょう? 「今だ」というチャンスをつかむことができます。道を横断するとき,渡るのは今! 熱いラーメンを前にして,食べ時は今! 機が熟す,その前には必ず待ち状態があります。

 テレビを見ない暮らしをすると,家族の中で会話が増えいろんなものが見えてくるようになった,という体験談がありました。テレビは休む間もなく情報を押し付けてきます。視聴者に考える間を与えません。満腹状態の上にこれでもかと浴びせかけてきますので,ほとんど垂れ流し状態です。さらに,情報はいろんなことを考える素材ですが,選ばないと役に立ちません。無差別に押し付けられる情報に溺れているから,考えることが留守になります。

 情報をつかむコツは,待ち状態を創り出しておくことです。「これだ!」というチェックが入ることが大切です。求めていないと,選べないのです。レディ状態であるから,チャンスをつかむことができます。学習の面でも,予習をしておけば,分からないところが自覚できます。授業の中で「そこだ」というチャンスをきちんとつかむことができて,理解が完成します。どこを聞けばいいのか分からない状態では,授業の効果はありません。

 待つといえば,消極的な印象が強いことでしょう。漫然と待つのであれば,確かにそうなります。でも,きちんとした目当てのある待ちであれば,積極的です。チャンスが来るまで待つというパターンです。我慢する場合も同じです。今は我慢するとき,チャンスがあれば行動を起こす,それまで待っておこうと思えばいいのです。子育てにおいては,そのチャンスは必ずやってくると信じ込ませることが大切です。明日を信じることが育ちの意欲そのものだからです。

・・・待ちかまえる構えが取れれば,チャンスを掴まえることが出来る・・・



《子育てには,一歩一歩のゆったり前進というペースがあります。》

 ○ものごとを計画的に進める管理社会に慣れると,すべてのことが想定通りに進捗するはずと錯覚します。その慣れを壊すために,無意図的にスポーツ競技が楽しまれます。思い通りにならないのが普通であるという生きる本性に触れるから,競技に興奮することが出来ます。人が努力しても結果につながるとは限らない競技,そこに自然の中に仕掛けられている運命のいたずらを感じることが出来ます。

 努力すれば何でも出来ると押し付けられたら辛くなります。自分で思い込めば抜け出すのは難しいでしょう。だから,努力することは止めようというのも,振れすぎです。人が出来ることは努力することです。その上で,物事は人の意志を越えた因子が絡んで実現されます。運が良かったという経験があるはずです。その運の要素の一つがチャンスを掴んだかどうかということです。困難に出会うとき,それはチャンスを待てというサインだと思ってみませんか?

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