*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-10 章」


『子育ては 育つ幸せ 見つけさせ』


 ■徒然子育て想■
『諦めから我慢へ!』

 健康は幸せリングを構成する鎖の一つの輪です。切れかけると,幸せは危うくなります。ところで,病気をしたことのない人は,健康であることの幸せを感じていないことでしょう。怪我や病気をしたときに,健康のありがたさに気がつきます。停電したときに,電気があるという当たり前のことに感謝することができます。普通の暮らしの何かを無くすことが,価値を認識するプロセスであると考えることができます。乱暴な物言いですが,幸せであるかどうかは無くしてみれば分かります。

 豊かな社会では,当たり前の暮らしが十分に幸せなのですが,そのことに気付かない不幸があります。貧しさの中にあるから幸せのイメージがクリアになり,憧れることができます。ニートという若者の生態がクローズアップされていますが,ニートでも生きられるという豊かさが背景にあります。貧しい時代には,することがないというニート状態は贅沢なことであったはずです。いいところのボンボンがブラブラ過ごすといった昔ながらのイメージが思い出されます。

 豊かさは人をか弱くします。そのことを前提として,今からの子育てをしていかなければなりません。願掛けをするときに,○○断ちというやり方があります。好きなお酒を断つことで,願いへのこだわりを持続するという気構えです。豊かな暮らしの一部を意図的に断って不自由さを託てば,人の生きる力を発揮できる機会が生まれます。何をしていいか分からないと諦めてしまうのではなく,敢えて自分を追いつめてみるという我慢を創り出しましょう。

 したいことがないという目標のない暗闇はそれなりに辛いということもあります。したいことがないというのは,見つけようとしていないからです。視野の狭さや浅さがものごとを見極める眼力を弱くしています。どこを見ればいいのでしょう。それは身近な人づきあいの中にあります。面倒だと逃げているから,したいことが埋まっていることに気がつきません。面倒さを我慢するのです。そうすれば,人の素晴らしさをはじめとして,いろんなことが見えてくるものです。

 したいことがないという発想が既に見当外れです。したいこと? 楽して大金持ちになること? そのためには,セレブな人に拾ってもらうこと? 誰かに無理矢理たかること? 公金をちょろまかすこと? ろくな思いつきしかできません。したいわけではないことをワザワザするという行動から,本物のしたいことが見えてきます。子育ての苦労から,子育ての幸せが見えてくるのと同じです。我慢できないということは,幸せが見えないということなのです。



【質問19-10:待てるから,幸せをつかむことができます!】


 ○第10軸:明日

 寂しさを我慢して,お母さんの帰りを待っています。「ただいま」,「お帰りなさ〜い」。走り寄っていきます。ママの懐に飛び込んで,ママの温もりを吸い込んで,幸せなひとときを過ごすことができます。幸せ感は爆発のようなものかもしれません。抑え込まれた思いが一気に発散する瞬間,至福の時となることは,いろんな面で経験されていることでしょう。飛躍をする前にはグッと息を止めるのと同じで,動きを止めた待ち状態が何かを掴むための態勢になります。

 お腹が空いたな。「お母さん,夕ご飯はまだ〜?」。「お腹が空いたのね。もうすぐだからね」。待ちかねた夕食。「慌てないで,ゆっくり噛んで食べなさい」。「ああ,美味しかった」と箸を置きます。何気ない暮らしのひとこまです。そこに幸せがあります。お腹が空けば,夕ご飯を心待ちにします。待ち時間を縮めるために手伝いをしようという気にもなります。さらには,お腹が空けば食事が美味しく感じられます。本物の美味しさです。

 食事に満足すれば,気持ちに余裕が生まれます。そのときに後片づけというお手伝いを追加しておきます。ママの手間が少しでも減れば片付けは早く終わり,一緒に過ごす時間が早く訪れます。ママはそのことをちゃんと子どもに伝える責任があります。手伝った甲斐があったと知ることは,とても大事な動機付けになるからです。こうして暮らしの中で協力する喜びを自然に身につけていくことができます。

 後片づけは明日への下準備であり,明日を迎える待ち態勢の実現です。明日を待つつもりがあるから,後片づけをしているはずです。片付けのできない人がいますが,今がよければそれでいいと,明日を心待ちにしていないからです。明日にいいことが待っていれば,今日を楽しく過ごすことができます。明日にいいことを見つけることができたら,今日を我慢することができます。明日にいいことがあるかもしれないと思えば,今日は待つことができます。

 明日遊ぼうね。子どもたちは楽しい明日を待っています。でも,親は今のままでは先が思いやられると,子どもの明日を心配します。心配だからあれこれ口出しして,子どもの明日を楽しくないものに替えてしまいます。子どもの明日はささやかです。親の思う明日は重たいものです。とても太刀打ちできず,子どもの明日は押し付けられたものになり,子どもの手に余る難題となります。もっと身軽にしてやらないと,子どもは背丈にあった伸びをすることができません。

・・・明日を待つ気持ちがあれば,今日を生きる意欲が引き出されます・・・


 ○前向き!

 子どもは親の背中を見て育ちます。男の子であればお父さんのように,女の子であればお母さんのようになりたいと思います。そう思われるように努めたいものです。かつて言われていた「お父さんのようになってはダメ」という逆さ励ましは感心できませんね。「それじゃ,どうなればいいの」という子どもの疑問には,答えきれていないからです。見えないものは追いかけようがありません。子どもにはもっとはっきりと見せてやる必要があります。

 すごくよいモデルである必要はありません。そんなことを求められたら,親はたまらないですね。まあ自分はこの程度でそこそこに幸せであると思えるなら,それで十分ではないでしょうか。結婚して子どもができて・・・,満点ではなくても幸せなはずです。そのことを自覚すれば,子どもに対してゆとりを持った接し方ができます。子どもは幸せの高望みをしなくて済みます。親が手に入れている幸せは,目の前に確かに見えています。

 そんなことでは中途半端な状態に甘んじてしまい,向上意欲が育たないと心配されるかもしれません。まず念のためですが,親自身の後悔を子どもに晴らしてもらおうという気持ちがないか,気をつけておくことが大事です。子どもの直感は親の隠された意図を見抜きます。そんなことはないとして,子どもは育っていくものという点に期待をかけましょう。今の半端な育ちを認めてやれば,至らない部分をなんとかしようという前向きな気持ちを持つことができます。

 「そんなことでは先が思いやられる!」。今のままではいけないと言い渡すことになり,子どもは自信を洗い流されるだけです。今を否定するのは気持ちが後向きだからです。「今はそれでいい。明日はもうちょっとよくなれるよ」。明日はよくなるということが前向きであるということです。明日のずっと先には親たちが待っている,そう信じることができれば,子どもは安心して育っていきます。育ちとは前向きなものです。

 自分の明日を信じること,それは子どもにとって最も幸せなことです。自分が育つこと以上に子どもが本能的に求めていることはありません。今日の自分が明日の自分を楽しみに待つことができる,それが育ちの目的です。明日はいいことがないと思うようなことがあれば,育ちは意味を失い,生きることにさえ絶望していきます。追いつめられた後ろ向きの育ちではなく,明日を待つ前向きな育ちを子どもに与えるようにして下さい。

・・・明日の自分を待つという育ちが,子ども自身に最高の幸せである・・・



《子育てには,幸せを求める知恵を授ける目的があります。》

 ○「上を向いて歩こう 涙がこぼれないように ・・・ にじんだ星を数えて ・・・ 幸せは雲の上に 幸せは空の上に ・・・」。遙かな星を仰げば,広い宇宙空間の中にぽつんと生きている自分を感じます。くよくよしているのがつまらなく思えるようになります。もっとゆったりと堂々と生きてもいいのではないか,精一杯生きてみようかな,その先に見える雲の上空の上にある幸せに向かって! 小さな自分だから,健気に生きていこう。それが生きる喜びでしょう。

 元気の出る歌を口ずさんでみると,気持ちが元気になります。台所でママがハミングしていると,子どもは楽しくなります。お母さんが歌っていた歌を,子どもはいつまでも覚えているものです。人は歌に対しては素直になれるものです。メロディで装った歌詞を聞かせることで,直接的な会話では重たくなるようなメッセージを伝えることができます。人が歌を楽しむのは,心に響く力があるからです。子育てにも歌は役に立つはずです。素敵な歌を見つけてください。

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