*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-11 章」


『子育ては 子どもの苦労 親支え』


 ■徒然子育て想■
『足がかり!』

 斜面をよじ登ろうとすると,かなり手こずります。山道も階段状に刻みがあれば登るのも楽です。岩山では,目の前にある不規則な岩肌に歩幅に合う岩を見つけて,階段代わりにします。手がかりならぬ足がかりがあれば,動きやすくなります。足がかりには二つの働きが求められます。一つはずり落ちないこと,ずり下がれば振り出しに戻ります。もう一つは持ち上げる足の支点になること,前進という動きを確実にします。

 専門の講義で学生に数式を教えます。どういう背景がありどのような意味があるのかを説明します。もちろん数式ですから記号で表現されています。記号であるからいろんな現実のケースに適用できます。簡単に言えば,数学の文章問題を方程式で解くのに似ています。ただし,そこでは現実を記号化する作業や数式の変形などが必要になります。その記号化が思考上の段差になるせいで,つまずいたり二の足を踏んで立ちすくむ学生が出てきます。

 理解の程度を自覚させるために小テストを実施します。練習問題ということです。自分で考えないと身に付かないからです。できなければ,どこでつまずいているかを自己診断できます。どこが分からないかが分かれば,学びの目当てが見えてきます。ところが,パッと見て全く手をつけない学生が半数以上です。昔はたとえ間違ってはいてもなんとかしようとした学生が主でしたが,今は多くの学生が諦めが早く自分を簡単に見限ってしまいます。

 試験後,解答を説明します。解答を書き写している学生ともう終わったこととして書こうとしない学生に分かれます。本試験の準備になるという誘導をしていますが,できるのはそこまでです。目の前にある課題に対して自分にできることをしようという姿勢,それが生きる力の原型ですが,簡単に逃げてしまう不甲斐なさを見せつけられています。小中高12年の学校教育と家庭教育の中で自分を生かそうという挑戦を教え込まれていない状況があります。

 結果が出なければしても無駄? そこには60点では勉強していないことと同じという評価が見えてきます。60点とは,例えば階段を6段目までは上ってきたという実績なのです。残りの4段はこれから上ればいい,それが育ちの目標になります。○か×ではなくて,△もあるというのが教育です。ここまではできたね,それが評価するということです。育ちの足がかりをしっかりと認めてやらないと,いつまでも振り出しに押し戻されるままになります。



【質問19-11:支えているから,はげむ子どもに育ちます!】


 ○第11軸:支える

 支えるということの意味を明らかにしておく必要があります。例えば,地震対策として,家具類が倒れないように支えます。普段は家具自身でピシッと立っています。支えはいざというときの用心棒です。不都合なことが起こらない限り,出番はありません。防災上は念のための備えということになります。子育ての場合には,親は子どもの支えになろうとします。そのとき,支持を越えて肩代わりをすると,依頼心を育てます。自分の足で立とうとせずにオンブにダッコとなります。

 子ども用の自転車には補助輪が付いています。倒れることを防ぐためであることは当たり前ですが,真っ直ぐ走っているときは補助輪が接地しないように調整されています。倒れて怪我をすることはないという安心感が,真っ直ぐ乗りこなそうという向きに集中力を注がせます。もし倒れるかもしれないという恐れがあると,前にこぎ出そうという力が鈍ります。新しい挑戦には思いっきりというひたむきさが不可欠です。支えを与えることは育ちへの応援です。

 ところで,忘れ物をしないように親が気配りをしますが,余計なお世話です。親は支えているつもりですが,支えにはなりません。忘れ物をするという経験を奪ってはいけないからです。忘れ物をして困ったという苦い経験をしないから,忘れ物をしないようにという気持ちが芽生えません。育ちとは,二度と同じ過ちはしないというプロセスを踏みます。ですから,一度の過ちはしないといけません。もちろん大きな過ちにならないように陰の支えは欠かせません。

 かつて存在していた異年齢の集団では,年少者にハンディを与えて一緒に遊んでいました。未熟さを皆が受け入れて,適切な支えをきちんと与えた上で,仲間という関係を自然に作り上げていました。この普段の遊び体験が,支え合うという行為を誰に対しても発揮させていきます。お年寄りとの付き合いも何の苦労もなく入っていけます。総じて人間関係が温かなものになります。同年齢の付き合いでは,子ども自身に支えるという気持ちを育むことは難しいでしょう。

 ママが具合が悪くしゃがみ込んでいます。幼い子どもは何かおかしいと感じ,ママの背中を小さな手でさすります。ママがしてくれたことを覚えているからです。子どもなりにできる支えを自然に持ち出しています。きっとママはその手が愛おしく,励まされることでしょう。他愛のない支えであっても,それを受け取るものにとっては大きな励ましになります。思いやりのある子ども,それは支えという行動を発揮できる子どもです。

・・・支え合うという信頼があれば,育ちにくじけることはありません・・・


 ○可能性!

 赤ちゃんが歩き始めのときには,拙いよちよち歩きの時期があり,やがて突然に歩き始めます。その流れをしっかりと覚えておいてください。能力の育ちは同じパターンをなぞっていきます。教えたからといってすぐにできるようになるのではありません。何度もしくじって,じっくりと身につけていきます。しくじってもくじけずにやり続けることが育ちなのです。能力は既に持ち合わせているのではなく,創っていくものと考えてください。

 子どもは何も持たずに生まれてきます。可能性を引き出すという言い方をするため,封を開けばパッと出てくるように勘違いされているようです。実は小さな部品を一つ一つ丹念に積み上げていく作業というイメージの方が当たっています。未完成の間はよちよち状態です。また才能とは設計図のようなもので,それだけでは能力にはなりません。育ちのプロセスを通して知能や体力を取り込むことで,実体のある存在になります。

 子どもにとって育ちは0からの出発です。口で言うほど容易ではありません。「ママはいいよ,言うだけだから!」という内なる声があります。無頓着に急き立てられていると「どうせできないんだから!」という諦めが出てくることもあります。励ましているつもりが足を引っ張ることになることもあります。励ましとは,まだ途上であり先には可能性が待っているというメッセージです。くじけそうになる気持ちを支えるのは,可能性を信じることです。

 ある日パッと歩けるようになったのと同じに,努力の先に道が拓けます。じっと座っていては,何も起こりません。練習無くして可能性無しという当たり前のことを,実践すればいいのですが,その途中には親子共に結構辛いこともあります。子どもはぐずったり喚いたり,親は「うちの子だけ?」という焦りもあるでしょう。先が見えないという気持ちに閉じ籠もりそうになりがちですが,そこを突き抜けることが努力というものです。先に可能性という希望の旗を掲げましょう。

 育ち終えた親は育ちのゴールに立っているので,どうしても早く早くという応援をしたくなります。いつまでも待ってはいられないという忙しさも分かります。しかし促成栽培がひ弱であるように,育ちはじっくりと取り組んだほうが後の仕上がりが丈夫になります。苦労の期間を積み重ねてできる育ちの年輪が,しっかりと子どもの心身を支えるからです。がんばりはげむことが子どもに可能性をもたらしてくれます。誰もが分かっていること,できることは実行あるのみです。

・・・苦楽のリズムに沿った育ち方が,可能性の扉を開く前準備である・・・



《子育てには,見えない気配りというバリア設定があります。》

 ○子育ては子育ちの支えです。育つのは子ども自身です。苦労している子どもの肩代わりは不可能です。見守っていることしかできません。「そうかな,ちょっと違うのでは」と思われることでしょう。「あれこれ構わなければいけないし,・・・」。ちょっと待ってください。見守るというのは,何もしなくていいということではありません。守るという行動はしなくてはいけないのです。転んでしまう子どもを見ていて,それ以上の危険や転落をしないように周辺の手配りという守りが支えです。

 四六時中子どもを見守るわけにはいかないという状況もあるでしょう。それでも支えることはできます。支えるというのは直接的である必要はないからです。危険なものを除いておくとか,助けになるものを用意しておくとか,いざというときの対応を教えておくとか,環境整備をすることができます。家の周りの危ないところを,ご近所同士でチェックすることも親ができる支えです。

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