*** 子育ち12章 ***
 

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「第 19-12 章」


『子育ては 普通にできる 能力を』


 ■徒然子育て想■
『過保護から保護へ!』

 少子化と核家族が重なると,子どもの立場がかなりくっきりとします。可愛がって大事に育てられる場合と,忙しくて構ってもらえない場合です。きょうだいで育ち合うとか,祖父母によるしつけで補われるというカバーがありません。今の子どもは過保護であるとか,放任であるというコメントが聞こえてきます。端からとやかく言われるのは,現役の親としてはあまり気分のいいものではありません。そんなことを言われても,じゃどうすればいいのと開き直りたくなりますね。

 どんな状況であっても今の状況の中で,親は育てて子どもは育たなくてはなりません。なんとなく育てていればよかった昔の親とは違って,今の親は賢くなった分きちんと考えて子育てに取り組むことができるはずです。何も考えないことが恥ずかしいことです。しつけは園や学校でとか,勉強は塾でとか,人任せにすることも困ります。過保護とか放任とか言われていることの意味を弁えれば,しっかりとした対応をすることができます。大丈夫だから,がんばりましょう。

 放任とは,子どもの声を聴こうとしないことです。「ママ,あのね」。「忙しいから」。子どもの存在を邪魔にすることです。「あっちに行ってなさい」。子どもをことさら煽てることです。「あの子はひとりで何でもできる」。園や学校に送り出すとき,「やっと手が離れた」と安心することです。休みの日に子どもが家にいることを鬱陶しいと感じることです。子どもの泣き声にイライラして当たってしまうことです。ついついやってしまうことですが,反省すれば大丈夫です。

 過保護とは,子どもに任せずに親がやってしまうことです。「余計なことはしなくていいの」。子どものやり方が気に入らないことです。「どうしてきちんとできないの」。いつまでも子どもが幼いと思うことです。「まだあなたには無理よ」。そう言いながら,「いつまでも手が掛かるんだから」と思うことです。転ばないようにしっかりと掴まえていることです。忘れ物をしないように先走ることです。保護をしてるつもりなので,過保護と分かりにくいところが要注意です。

 子どもの幼さ,未熟さ,頼りなさ,危なげなさ,そんなことすべてを認めることが,親のスタンスを適正にします。余計なことをして,しくじっていいのです。しくじるから,育ちがあります。転んでいいのです。転ばなくなることが育ちです。無理なことをして,できない自分を知ることが育ちです。自分の力を知ることが賢さなのです。子どもを手のひらの上で自由にしてやってください。多少のことには目を瞑って,見逃してやります。手のひらが保護の手です。



【質問19-12:はげむから,能力を伸ばすことができます!】


 ○第12軸:挑戦

 人は若々しくありたいという願いを抱く時期があります。「お若いですね」という社交辞令が交わされることになります。若いというのはどういうことでしょうか? 一言でいえば,挑戦できることでしょう。守りに入ったら,老いる道に踏み込みます。挑戦は新しいこと,未経験のことに立ち向かうことです。そう考えると,子どもの育ちはまさに若さそのものです。生まれてはじめてのことばかりであり,挑戦しなければ育ちができません。

 挑戦といえば,強い勇気が必要だと思われることでしょう。もちろんそういう場合もありますが,大部分はそうでもありません。育ちは連続しています。ちょっとだけできる範囲を広げていけばいいのです。スモールステップを不断に続ければいいのです。挑戦という気負いはないのかもしれません。ちょっとやってみようか,できなくて元々,そんな軽いのりで続けていけばいいのです。できなかったらどうしよう? そんなプレッシャーを感じていたら,育ちはつらいものになります。

 健康のために運動をすることがあります。運動の器具が揃った施設に出かけて,汗を流します。それを実行するには,時間と金の自己相談をしなければなりませんし,何より思い立つという覚悟が要ります。ところで,生活の家事労働をします。結構な運動量になります。近くの買い物には車を置いて歩いて出かけます。ガソリンの節約と運動ができます。ことさら運動をしようと思い立つのではなく,暮らしの中でごく自然に運動がついてきます。生きる力を生かすのです。

 生活習慣病という不思議なものがあります。人の行動はいろんな状況の中でよいと思われたり得になるものを選択して定着します。いつもの行動とすることで慣れてしまうと楽です。しかし,習慣は固定化することであり,いろんな面で陳腐化や疲労,停滞が起こり,また状況の変化に対応できません。健康については,機能全体をフルに使うということがなくなるので,不使用による退化作用が起こります。慣れた行動を意識して変えるという挑戦が,健全に生きる準備です。

 健気に生きている子ども,溌剌としている子ども,やる気のある子ども,くじけない子ども,どの子どもも挑戦している子どもです。ニートの若者に欠けているのは,挑戦という行動です。自分の今現在の能力を生かして,何事かを為そうということが挑戦です。挑戦には汗をかき,苦労し,かっこよくないことがつきまといます。決して楽で得することではありません。その見た目を突き抜けようとしている姿が,健気で溌剌としているということです。

・・・身近な挑戦をすれば,生きる力が完全燃焼し自己開拓が進みます・・・


 ○上手に!

 上手くやろう,かっこよくしようと思うとかえって緊張し,上手くいかないものですね。そんな経験を数度繰り返すと,すっかり自信を失って,自分はダメだと思い込んでしまうかもしれません。幼い子どものときに,そのようなことがトラウマになると,最も格好を気にする年頃になったとき,より重たくなりかねません。子ども時代は気持ちをゆったりと持たせ,上手くやろうなどという雑念は押し付けない方が賢明です。

 子どもは上手くやろうとは考えていません。ママが見ていても,とても気に入らないほど拙いですね。それでも子どもは満足しています。上手だとか下手だとかという評定はなるべくしないで下さい。ただ「できたね」と言ってやるだけで十分です。できたことはその後繰り返すうちに,自然に上手になります。はじめに上手にできたと言ってしまうと,いつまでも「上手」を更新してやらなければなりません。育ちでは,曲がりなりにもできた,そのポイントが大事です。

 能力は連続してより広く深く高くと伸びていくものです。好きこそものの上手なれ。この言葉の背景には,好きなことは繰り返し経験を積み重ねるということがあります。子どもができるようになったことは,なるべく普段の中で経験できるように誘いましょう。楽しくなるように気持ちを支えてやります。もしも,お手伝いとしてできるのであれば,「ありがとう」という言葉を必ず添えます。大好きなママと関われるようにすれば,やる気が高まります。

 子どもは飽きっぽいという特質も発揮します。熱中していたかと思えば,しばらくすると放り出しています。何をしても中途半端? そんな子どもの姿を歯がゆく思うことがあるかもしれません。それはそれで自然なのです。子どもの今の能力では行き着いてしまっていることもあります。達人の域は遙かに遠いのです。さらなる飛躍のためには,他の能力が必要であり,そのために回り道をしなくてはなりません。長い目で見守ってください。

 上手にというストレスが,親の方にはね返る場合があります。上手に子育てしよう,しなければと思うことです。多少まずくても構いません。常に満点であるママなどあり得ません。今日のママは70点。ちょっと失敗した所は,明日にやり直せばいいのです。真っ直ぐの子育てに進もうと思えば無理をして,結局転びます。ゆとりという遊びが舵取りには必要です。ゆとり,それは失敗してもなんとか取り返せるという気持ちです。ゆとりが結果として上手な子育てを生み出してくれます。

・・・上手にこだわらず無心に続ければ,上手は付いてくるものである・・・



《子育てには,小さなつづらを選ぶ知恵の伝授があります。》

 ○ある特定の能力に秀でた個性的な子どもに育てたいと思われていますか? それとも人に優しく仲良くできる子どもに育ってくれれば十分と思われていますか? どんな子どもがいいという重みは,親それぞれの人生観によって違います。ただ,基本的な共通の能力となるものがあります。それは人としての資質です。責任感であり,信頼感であり,優しさや思いやり,勇気や根気といった社会生活に不可欠な行動様式です。

 基本的な生活習慣,それは決して上手にできなければならないものではありません。誰にでもできることを確実にできればいいのです。その上で,一つだけちょっぴり人の役に立てる能力が育てば,人生は自然に拓けてくるものです。その一つを生涯大事に続けていけば,人間国宝になれます。あれこれ欲を出すから,中途半端になります。そうは言っても,それができないのが,人の弱さです。弱い自分を弁えれば,人の弱さに優しくなれます。それでいいのかも!

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