*** 子育ち12章 ***
 

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「第 20-04 章」


『子育ては 命伝える 喜びで』


 ■徒然子育て想■
『依存して非難する親?』

 大きな声では言えませんが,「依存して非難する親が現れている」というとても気になる指摘が耳に入ってきます。「いったい何のこと?」。閉塞的な悪循環があるということです。家庭でなされているはずの社会生活の基礎的なしつけを,親が学校教育に依存します。学校は集団教育の場であるという表面的なイメージにとらわれている結果です。学校としては押し付けられたこととはいえ拒否するわけもいかず,集団生活のしつけなどをせざるを得ません。

 集団生活は多少の我慢を強いることになるので,子どもは,学校をどうしても厳しい,窮屈な場所と受け止めていきます。先生は嫌なことをいう存在となり,やがて,子どもは学校は面白くないと学校嫌いになり登校を渋るようになります。そうなると親は,学校とはもっと楽しく登校できるところであるべきではないかという正論?を持ち出してきて,うちの子が学校嫌いになったのは学校のせいだと非難するようになるということです。

 嫌なことをしつけるという役目を学校に依存して,学校がそれをしたら子どもに嫌がられ,嫌がられる学校はけしからんと非難するという,出口のない袋小路状態になるケースが増えているというのです。踏んだり蹴ったりというジレンマが,冒頭の指摘となって水面下を流れていきます。もちろん一部のことなので,殊更にその指摘が親の沽券に関わるということにはなりませんが,親にとっては一つの反省材料とすべきでしょう。

 社会生活は全ての人がそれなりに自分の責任を果たすことで成り立ちます。子どもの養育では,責任者は親です。ところで,学習については専門性が必要なので,学校に委ねることになります。しかし,学習に必要なしつけとして,静かに話を聞く,皆と協調する,約束を守るといった基本的なことは,予め家庭できちんとしつけておくことです。ともすれば予習的な準備が親の責任と思われがちですが,学習態度のしつけの方が子どもには遙かに大事なことです。

 依存することが困るのではありません。社会は専門的なことは専門家に依存するという約束で成り立っていますが,できることは自分で引き受けるということが前提条件です。そのことさえ弁えていれば,家庭と学校の連携が円滑に進むはずです。子どもの育ちの場は家庭だけではなく,学校だけでもありません。家庭でも,学校でも,さらには地域においてもそれぞれの育ちがあります。親は家庭では親,学校では先輩,地域では大人としての責任を負っているのです。



【課題20-04:パパお願い! 休みにはあまり仕事をしないで!】


 ○こんなこと・あんなこと!

 「パパは?」。朝目を覚ますとパパの姿がありません。セミ取りに行こうとパパが言っていたのに! セミがいなくなっちゃう。ママはセミなんて気持ち悪いと言うから,パパじゃないといけないのに。ママは「パパは仕事なんだから仕方ないでしょ。そんなに行きたいのなら,一人で行ってらっしゃい」と言います。どこに行けばいいのか分からないし,どんな風にセミをつかまえたらいいんだろう?

 パパが車を洗っています。水がスルスルッと玉のようになって車の上で転がっていきます。手で追いかけていると,「ダメ」と叱られてしまいました。どうしてと思ったのでパパを見上げると,「邪魔」と一言。せっかくパパと一緒に車さんのお風呂をしていたのに! パパはボクのことなんか無視しているみたい。つまんないからお家に入ることにしたけど,途中でホースにつながっている蛇口を締めてやった!

 ママはダッコしてくれたけど,パパはオンブをしてくれたり,時々は肩車をしてくれます。ダッコされると窮屈なんだよ。オンブはしがみついていなければならないけど,パパと一緒に動いているようで,とっても面白いよ。肩車の時はパパよりも高くなるから怖いけど,なんだか偉くなったみたいでいい気持ち。ママもパパに肩車してもらったらいいのに! また肩車して欲しいけど,パパは今日もお仕事でいない・・・。

 「パパ,どこに行くの?」。夕ご飯が終わって,パパが近くのお店に出かけるときついていきました。手をつないで夜道を歩いていると,パパがお星さまのお話をしてくれました。ちっちゃな星さんたちは本当はずっとずっと遠いところにあるんだって。ボクたちが住んでいるところは地球っていう星だって。なんだかよく分からないけれどすごいことのようで,パパのお話を聞いているとワクワクしちゃう。どうしてかな!

 花火がしたいといったら,パパがいろんな用事を言いつけるんだ。バケツに水を入れて持ってくるように,蚊取り線香を持ってくるように,とか。早く花火がしたいのに,どうしてかな? 蚊取り線香の先に花火をくっつけていると,しばらくしてシュッという音がして花火になる。大きな花火は火がいっぱい出てくるのでこわいけど,パパに付いててもらうと,大丈夫と思っちゃう。終わったらバケツの水に花火を入れると,じゅっという音がするんだよ。パパと一緒は楽しいな!

・・・いろんなことを知っているパパだから,子どもはパパが大好きです・・・


 ○縦のつながり!

 パパにも小さい頃があったことを,アルバムを見せてやったりして想像させていますか? 祖父母から孫が,パパの子どものときの話を聞く機会が少なくなりました。里帰りしたときなどに,そんな時間が持てたらいいですね。パパも子どもの頃はお祖父ちゃんに叱れていたんだと聞けば,子どもにはパパが身近に感じられるでしょう。パパの弱みを知ったということ,それがパパの人間性を知るという効果につながっていきます。

 大人の仕事休みは,昔は藪入りと呼ばれていたお正月とお盆の休みです。里帰りをなさることでしょう。子どもにとっては非日常的体験であり,皆が集まるから楽しい想い出になります。そこに小さな教えをしておくことをお勧めします。お盆とはどんな意味があるのかということです。亡くなった身内の霊が仏となり里帰りをしてくるので,皆が集まって会食会を催すのです。そのご馳走の材料を実家に予め送り届けるのがお中元というわけです。

 ではお正月は? 子どもはお年玉をもらう機会と思っていますが,大人はどう思っているのでしょうか? 仏の供養は通常33回忌か50回忌で一応のケリを付けますが,それを過ぎた仏様はほったらかしになります。そこで,法事を終えた仏は神様に変身すると考えて,神となったご先祖が里帰りするのがお正月です。神をお迎えするので大掃除をし清めてしめ縄で神聖な場を準備するのです。会食会がおせちであり,その材料がお歳暮です。

 お盆もお正月も,自分にまつわる縦のつながりを確認するという意味があります。宗教行事というよりも定着している生活風習として考えると,それをしつけの機会とすることもできるでしょう。大事なメッセージは,世代のつながりという縦のつながりです。親と子のつながりだけではなく,これまで,これからの時のつながりの中に自分の存在感があるという意識です。自分は何者というアイデンティティは横のつながりの中だけではなく,縦のつながりの上にもあります。

 自分の命は自分のものという誤解が,命の尊さを見失うことになっています。自分の命は自分の命を受け継いで行くであろう子ども,孫,ひ孫・・・という命の連鎖の出発点です。受け継いだ命を受け渡すことが,人としての存在感の基本になります。もしも配達されるはずの届け物が故意に配達されなければ責められます。自分を産んでくれたという感謝は,あなたを産んだというお返しがあって完結します。子どもが自分のつながりを認知することはとても大切です。

・・・縦のつながりの中にあるという実感が,アイデンティティの源です・・・


 ○仕事に忙しくしているパパは,見えません。見えないからつながりが薄くなり,気持ちが通うというようにはなりにくくなります。子どもは,ワタシにとって父親とは何なの?という迷いのままに据え置かれます。冗談にもならない「父親が不潔」という感覚は,気持ち的には父親が全くのよその人だからです。我が身同然という感覚が家族の絆の表れですが,そこには不潔といった感性は封じ込められているはずです。

 前号と今号では,子どもがどこで育つのかという問を考えています。育ちは安心の場でしか発揮されません。育ちは何かに向けて飛び出そうという向きに進むものですが,不安であれば閉じ籠もる向きに気持ちを封じ込めます。育ちが封印されます。子どもが育つには安心という居場所が不可欠です。その安心の場とは,大切な人としっかりつながっているという確信です。何があっても親と子である,その信頼は作ろうとしなければできません。その時間を作ることがパパの責任です。

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