*** 子育ち12章 ***
 

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「第 20-06 章」


『子育ては 言葉を交わす 人の輪で』


 ■徒然子育て想■
『対人関係能力?』

 OECD(経済協力開発機構)では,成人として必要とされる技能・能力を定義し選択する作業がなされています。そのうちの一つの柱として「社会の多様な集団との交流」が掲げられ,具体的には「対人関係能力」,「協調性」,「問題解決能力」が取り上げられています。その背景には,国際化や情報化というキーワードが示しているように交流社会のより一層の進展という状況把握があります。また国内では,企業が求める能力として「コミュニケーション能力」がトップに浮上しています。

 優しく人に好かれる子どもに育って欲しいという親の願いも,根っこの所では対人関係能力とつながっています。ところが,現実の子どもたちの育ちは,人との関わりという面を置き去りにしています。遊びにしても対人関係が絡む遊びが少なくなっています。その結果として,人と接する能力が著しく低下しています。最近問題になっているニート(若年無業者)と呼ばれる若者の多くについて,コミュニケーション能力の低さが認められています。

 以上のようなことは,ずっと先のことでわが子には関係ないと思われるかもしれません。しかしながら,今の一般的な養育状況を続けていけば,事態はより深みに嵌り込んでいきます。意図的に変えていく必要があります。そこで,親として暮らしの中で何をどうすればいいのかを考えて,実践しなければなりません。「対人関係能力」という雲を掴むような言葉は額に入れておいて,「人と分かり合う能力」,さらには「美しい言葉を使う能力」と置き換えてみましょう。

 子どもとの対話で問題になっている一つは,親が分かり過ぎるということです。家庭ではいい加減な言葉遣いでも親は分かってくれますが,外の世界では分かってくれません。分かってもらうという努力をしていないからです。やがて,内弁慶になり,不登校へという道に踏み込んでいくことも考えられます。そうならない場合でも,分かり合える狭い人間関係に閉じ籠もっていきます。誰とでも話すことができるという能力のしつけは,家庭での対話から始まっています。

 幼い子どもは使える言葉がまだ少ないので,親は分かってやるというフォローが保護者として不可欠です。しかし,自分を名前で呼べるようになると,もう一人の子どもが生まれて言葉の量も増えているので,じっくりと語らせるために親は分かっていても待つようにします。「おやつ」と言ってきたら,「おやつがどうしたの?」。意地悪をしているような形ですが,自分の思いや気持ちを言葉にして分かってもらう練習の機会をたっぷりと与えてください。



【課題20-06:パパお願い! 夕食後テレビばっかり見ないで!】


 ○こんなこと・あんなこと!

 夕食が終わるとパパはテレビの前に座って,野球中継に釘付けです。バッターに向かって大きな声で「打て!」と怒鳴っています。聞こえるわけはないのに,おかしなパパです。「パパ,これ見て!」,「なんだ?」。パパはテレビを見ながら声だけで返事をしています。園でパパの絵を描いたので,パパに見てもらおうと思ったのに。残念! 野球なんかなければいいのに。パパはボクと野球とどっちが大切なんだろう?

 「ママ,新しいパパを探してきて!」,「どうして?」,「だってパパはお家にいるときパソコンばっかりしてて遊んでくれないもん」。ボクもゲームで遊ぶことがあるけど,それは一人でいると寂しいから仕方ないんだ。パパがいるときはやっぱりパパとお話したいのに。パパってお家で何をする人なの? ママはご飯を作ってくれたり,お掃除や洗濯をしてくれるけど,パパはお家では何もしてくれない。

 パパがテレビを見ているので,パパの膝に座り込みました。そこはちょっとゴツゴツしていますが,ワタシの指定席です。ママのお膝は赤ちゃんに譲りました。でもパパといっしょに見ているテレビはちっとも面白くありません。CFのとき,ウサギが出てきました。「パパ,あのウサギ,何ていう名前?」,「さあ?」,「知らないの?」,「ウン」。飛行機が飛んでいます。「パパ,あの飛行機どこに行くの?」,「さあ?」。「つまんないの!」。

 テレビの前に座り込んでいるパパが,「ビール」って言っています。食事の後の洗い物をしているママは,「・・・」。パパはしばらく待っています。ママの所に行って「ママ,パパがビールだって」と教えてあげました。「そ〜お」と言いながら,ママは手を動かしています。パパの言葉がママに届きません。どうしてなのかな? しばらくしてママが言いました。「パパに,ビールがどうかしましたかって聞いてらっしゃい!」。

 「パパ,あのね」,「ウン?」,「ママがね」,「また叱られたのか?」,「ちがうよ,そうじゃなくて,ママがね」,「ママがどうした?」。どうしてもっとゆっくりと聞いてくれないんだろう。ママがいつも言ってるように,テレビの前のパパはお耳がよそ見をしているみたい。本当はパパのことをもっと知りたいんだけど,パパから話してくれないから,話しかけているのに! このままだと居ても居なくてもいいパパになっちゃうよ!

・・・大人ときちんと話ができるためには,父親との日常会話が基礎です・・・


 ○伝わる!

 「それを言っちゃあ,お終いよ」。売り言葉に買い言葉が畳みかけます。さらには,怒りや嘲り,やっかみや妬みといったマイナスの感情から発する言葉は,相手を傷つけるために発せられます。忌み言葉や差別用語も紛れ込むことがあります。抑制しておくべき言葉は,伝わらないように封印しておかなければなりません。夫婦ゲンカの場合でも,お互いの親の悪口など言わないのがルールです。歯止めを失ったときの一言は,取り返しのつかない後悔の種になります。

 最近,いきなり暴力的な関わり合いをするケースが増えてきたような気がします。問答無用という性急さであり,話せば分かるというステップを踏んでいません。パソコンで言えば,プログラムが機能せず暴走しているようなものです。言葉への感受性という面から読み解くと,敏感すぎるのか,鈍感なのかという判断が分かれます。言葉を曲解したり過剰反応したりするのを恐れて避難しているのか,言葉が素通りして反応できないのかということです。

 言葉と喜怒哀楽がきちんとリンクしていないのです。言葉は人と人との間を結ぶ手段であることは周知のことです。子育ちの中では,子どもともう一人の子どもの間を結ぶのも言葉であるということを意識しておかなければなりません。自分の悲しさをもう一人の自分が言葉で表現する,自分の怒りをもう一人の自分が言葉で表す,自分の喜びをもう一人の自分が言葉に換えるといった風に,もう一人の自分が自分の最良の理解者になるのは言葉に拠ります。

 ムカツク。何か分からないイライラを「ムカツク」という言葉で表して口にすれば,もう一人の自分が自分に寄り添うことができます。自分の気持ちを放出できることで,ガス抜きができるようになります。自分の気持ちがもう一人の自分までには伝わったのです。親が関わることは,このムカツクという幼稚な言葉を洗練することです。自分勝手な表現であり他者に対しては捨てゼリフに過ぎないので,誰にも伝わらないからです。

 カラオケで歌う人が自分だけ酔いしれているように,独り言を言う傾向が強くなっています。自分だけ分かってしゃべりまくり,周りの人に分からせようという気がありません。ムカツクという言葉を,いつどこで何があってどのように思っているのかといった情報としての必要な形式に整えることで,言葉が伝わるようになります。誰も自分のことを分かってくれないと言わせないために,分かってもらえるような言葉遣いをしつけましょう。

・・・生の気持ちは言葉で包まないと,人に届けるのは失礼に当たります・・・


 ○コミュニケーションのトラブルには,「言った」,「聞いてない」というケースがあります。パパにあれこれと話していたはずなのに,パパはほとんど覚えがないという頼りないことがあります。伝えても,伝わっていません。逆に言えば,聞いても聞き取れていないのです。言葉の伝達効率は気の合う,合わないという間柄に応じて大きく変動するということです。特に,聞く気がない相手には,何を言っても無駄です。

 「パパ」。「なんだい」。この応対が,父子の気持ちという回路をしっかりと接続する合図です。耳という聴覚器官は危険察知のためにあらゆる音情報を受信していますが,その中から意識して聞くというフィルターを通して認識回路に伝達していきます。一言で言えば,聞こうという気になっていることだけが聞こえて理解されるということです。話をするときは,気持ちのコンセントがつながっているか,確認を忘れないようにしてください。

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