*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 20-08 章」


『子育ては 親の姿が 教材に』


 ■徒然子育て想■
『就業?』

 ニート(NEET)問題という言葉がここ数年社会事象として語られるようになりました。NEETとは,Not in Employment, Education or Training の略で,職探しも進学も職業訓練もしていない若年無業者の意味です。成人後の若者の特徴なので,子育て真っ最中の親にとっては直接には関係ないこととして見過ごしておられることでしょう。しかしながら,子育て環境の大きな変動のうねりは,若者が育ってきたままに,今の子どもたちにまでつながっているのです。

 ニートの手前にはフリーターという姿があります。一言でいえば,きちんとした就業に馴染めない若者たちということです。大人になることは社会的役割を担うことであると考えると,この傾向はかなり深刻に受け止められます。社会の動きに流されない子育てをすることが親の役割であると考えると,自分の意図が及ぶ範囲にいる我が子に対してはそれなりの手立てを講じてやらなければなりません。どんなことに気をつけたらいいのか考えてみましょう。

 内閣府が発表した「青少年の現状と施策」(2005年)に載せられている「青少年の社会的自立に関する意識調査」を見ておきましょう。調査対象は15〜29歳の青少年とその親でした。青少年の就労意識は,「希望の仕事があれば働きたい」が52.9%,「希望と違う仕事であっても働きたい」は24.3%にとどまっています。一方,親の方は「多少希望と違う仕事であっても働いて欲しい」が52.9%で,「希望の仕事があれば働いてほしい」の23.9%を上まわっています。

 青少年についてはさらに,「働いても働かなくてもどちらでもよい」20.9%,「働きたくない」5.4%で,4人に1人が就労に否定的です。働かないが金は欲しいという気だけはあって,女性やお年寄りに牙を剥くという卑劣な構図が現れています。豊かな社会を享受することだけを学び,豊かな社会を担うという気概を持ち合わせていないようです。「苦あれば楽あり」という道理を教えてこなかった親の無作為のツケが若者に覆い被さっているのです。

 働くというのは自分のためにするのではない労働です。お金はおねだりして貰うもの,強奪するものと思ってしまうと不幸しか得られなくなります。わざわざ事を仕えるのが仕事,その感謝として真っ当な報酬が手に入ります。仕事に自分の希望を持ち込むというのが無理です。仕事は他人を喜ばせるためにすることです。その社会的な原則を,家庭にいる子どもへのしつけに取り込んでおくように心掛けることが手始めです。



【課題20-08:パパお願い! 手伝わずに寝てばかりいないで!】


 ○こんなこと・あんなこと!

 夕食の後です。ワタシは食器を流し台に持っていきます。ママが台所で洗い物をしています。パパはパソコンの前に座っています。「パパ,何をしてるの?」,「ネット検索」。「お仕事?」,「じゃあないけど」。「パパはお家のお仕事はしないでいいの?」,「どうして?」。「ママはいつも忙しくしているのに,パパは暇みたいだから」,「・・・」。ワタシはママに「お手伝いをして」って言われるけど,パパはなんにも言われないのはどうして?

 「オモチャを片付けてね」,「ハ〜イ」。日曜日の朝はお掃除です。ママはお部屋に掃除機をかけています。パパは遅く起きてきて,パジャマのままでテレビの前でゴロゴロしています。ボクが「パパはまだパジャマのままだよ」と言うと,「いいの,パパはお仕事で疲れているんだから,日曜日はゆっくりしてていいの」って,ママは言うじゃない! そう言いながらママの目はボクを叱るときの目とおなじような気がするんだけど!

 ママがお庭で枯れた花を抜いたり草取りをしています。買ってきた花の苗と植え替えるためです。ワタシは抜かれた草を集めて両手で抱えて,庭の隅まで運んで片付けてあげました。パパはリビングで新聞を広げています。パパはお花には関心がないみたいです。ママが小さなスコップで穴を掘って苗を植え込んでいきます。時々手を休めて汗を拭いているママを見ていると,パパが手伝ってくれたらママもうれしいのにと思います。

 パパの車でスーパーマーケットに買い物に行きました。ママと二人で店内に入りました。パパは車の中でシートを倒してお留守番です。ママとカゴ一杯に買い物をし,レジを済ませて,袋に詰めていきます。小さい袋は軽いのでボクが持ちます。ママは大きな重たい袋を両手に持っています。重たそうだけどボクは持ってあげられない。パパだったらヒョイと持てるはずなのに。パパ,手伝ってあげてよ。

 パパと近くの公園に出かけました。ママが「パパにお外で遊ぼうと言っておいで」と言うので,パパを誘ってお出かけです。「どこに行こうか?」とパパが聞くので,「公園」と答えて引っ張ってきました。公園に着くと「パパはここにいるから,遊んでおいで」と言いながら,木陰の芝生に座り込んでしまいます。ボクはパパと遊びに来たんだけど? いろんな遊びを教えてもらえると楽しみにしているのに? 育ちを手伝って!

・・・賃仕事しかしない甘えは,家庭を買っているという妄想を生みます・・・


 ○教育力!

 家庭の教育力が低下していると言われています。そんなことを言われても,当事者である親は戸惑うばかりです。何が足りないのか,誰も言ってはくれないからです。はじめての子どもの世話に追いまくられて,毎日があっという間に過ぎていきます。これ以上何をすればいいのでしょうか? ちゃんと育てなくてはと思っていても,ちっとも言うことを聞いてくれません。ひっぱたいても言うことを聞かせるということではないようです。

 子どもは親に似て育っていきます。学ぶという行為は真似ることです。子どもは親の言うようにはせずに,親がするようにします。子どもの振る舞いの中に連れ合いの姿が見えることがあります。家庭環境が子育ちを導いているということです。家庭の教育力の低下とは,家庭生活が教育的に不十分になっていると考えればいいでしょう。例えば,親しき仲にも礼儀ありと言われているように,親夫婦が人間関係の見本になっているかどうかです。

 家庭は基本的な社会です。家庭の中で子どもは社会のままごとをしているようなものです。直接に子どもにあれこれしつけをするのではなく,親自身の暮らしぶりに心配りをしていればいいのです。ちゃんとした大人であるパパも,家庭ではママに甘えることがあります。そこで,ママに何かをしてもらったら,「ありがとう」とちゃんと言います。世間ではそれが当たり前なのです。家族だからと手抜きをしていると,子どもはそれが当たり前と勘違いをします。

 けじめということも忘れてはいけません。親と子どもの間には,けじめがあります。夜更かし型になった大人とは違って,子どもは早寝早起きのリズムにしつけます。子どもは早く寝るというけじめです。食事の美食も子どもは控えめにするけじめがあります。美食は成長の妨げになるからです。子どもが日常的に一番美食をしているようでは心身共に健康とは言えません。また欲しいものを手に入れるためには親にねだるだけではなく,どこかで我慢するというけじめも大事です。

 家庭生活に巻き込むということも必要です。幼い頃にする決まったお手伝いといったしつけは,家族みんなの生活に関わっていく入口です。勉強していればいいといった風に生活から隔離するような仕打ちは,子どもの社会観を枯れさせるだけです。社会とどう関わって自分の役割を獲得するか,それが自立して生きるということだからです。家族の中でどのような役割を果たしているか,その体験を価値観として大人になることができるのです。

・・・家庭が小さな社会として機能するとき,子どもに教育力が働きます・・・


 ○子どもに名前を付けるとき,育って欲しい子どもの姿を思い描いて字を選んだはずです。優しい子どもにと願えば"優",人に好かれる子どもにと願えば"和"などとあれやこれや楽しい迷いがあります。ところで,「子の名前 付けたようには 育たない」という川柳があるように,現実はずれていくものですが,それでも親は育って欲しい目標に追い風となるような支えをするものです。

 親が子どもに影響を及ぼす所は家庭しかありません。こんな風に育って欲しいという目標を子どもの前で演じて見せることです。最初は演じていますが,子どもの育ちとともに演技ではなく自然の姿になります。子どもとともに育つというのはそういうことです。親が子どもへの願いにつられていつの間にか変わるのです。その親の姿が下書きになって子どもの育ちが進んでいきます。親は後ろ姿に気をつけましょう。

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第20-07章に戻ります
「子育ち12章」:第20-09章に進みます