*** 子育ち12章 ***
 

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「第 20-10 章」


『子育ては 明日の楽しみ 追いかけて』


 ■徒然子育て想■
『社会支援?』

 ある公的な福祉関係の計画を策定するために,住民アンケートの回答を分析する作業をしました。自由記述の欄を読んでいると,親としてのご意見もいくつかありました。わざわざ記述をしてくださる方ですから,それなりに関心の深いお母さんでしょう。たかだか数行の記述ですから詳しい背景は分かりかねますので,素直に字面を受け取るしかありません。まち全体の活動を計画するためにご意見を活かすつもりですが,意に沿いかねる部分もありました。

 子連れで参加するオープンルームについてのご意見です。子どもの年齢層が多様なので,子どもが遊びにとけ込めないでいる。同じ年齢毎に遊べるようにして欲しいというご希望で,できれば保育士などによる遊びの指導もしてもらえたらということです。ママと一緒という趣旨が抜け落ちています。ママは見ているだけのつもりでしょうか? ママたちと子どもたちが誰に指図されるのでもなく,自由に楽しいひとときを創り出してもらうための事業なのですが?

 小学校で当番制による朝の交通見守りが行われていることについてのご意見です。小さい子どもがいるので朝のお役目は困る。老人クラブの人にしてもらいたいというご希望です。小さいお子さんがいるからという理由で,ご自分のお子さんの安全を見守ることができないというのでしょうか? そういうつもりではないと思いますが,そう思えてしまいます。自分の子どもを含めて子どもたちのために役目を買って出るのが,親というものではないのでしょうか?

 子どもの登下校時の安全についてのご意見です。毎日ボランティアの方に見て欲しい。また学校に出かけることがあるのでしょうか,駐車場を作って。学校横の田圃をつぶしてでも,と強くご希望です。ネズミ一匹漏らさない鉄壁のガードは現実的ではありませんし,それを望むなら人に振るものではなく,まず自分から動くことが先です。子どもが徒歩で通っている学校ですから,大人である親のための駐車場は必要ないはずですが?

 親御さんにとってはいささか厳し過ぎるコメントにしてみました。社会は自己責任という前提があって支援が提供されるという仕組みになっています。もちろん,冷たく突き放すというのではなく,一緒に取り組みませんかということです。親だけではなく,また地域だけではなく,親も地域も一緒でなければ社会の共同性を確保することはできません。がんばっている人を見れば,喜んで手助けを惜しみません。それが社会だということは忘れないでください。



【課題20-10:パパお願い! 朝起きるときグズグズしないで!】


 ○こんなこと・あんなこと!

 月曜日の朝です。一週間の始まりです。パパは起きてきません。「パパを起こしてきて」ってママが言うので,パパの体を揺すって起こします。「もう少し」と言いながら,パパは布団の中に潜り込みます。「パパが起きない!」。「布団をはがしておいで」。どうしてワタシがパパの面倒を見なければならないの? 布団を剥がすと,パパは渋々と起きあがり,時計を見ます。「もうこんな時間か,慌てなくっちゃ」,「知らない!」。

 ママはご近所のおばちゃんとお買い物に出かけています。ワタシとパパは日曜日なのでお留守番です。午前中からいいお天気でしたが,昼過ぎから曇ってきました。ポツポツという音が聞こえたような気がしたので,外を見ると雨が降っています。「パパ,雨が降ってきたわよ」,「そうか」。ママが洗濯物を干していたのを思い出したので,急いで庭に出て行きました。「パパ早く」。取り込んでしまった頃に顔を出しても遅いの!

 「キャー!」。キッチンからママの叫び声です。「どうしたの?」と走っていきました。パパはリビングでチラッと振り返っただけでした。ママが顔をしかめながら隅の方を指差しています。「何?」,「ゴキブリ!」。ママは虫みたいものが大嫌いです。ボクがのぞきに行くと,「こっちに来させないでよ」って言いながら,「パパ」と呼んでいます。「どうしたんだ」という返事だけです。「早く来ないから,どこかへ見えなくなったじゃない!」。

 「パパ,お風呂に入ろう」,「うん」。「早くしないと,ママが終わっちゃうよ」,「ママが終わる?」。「あのね,ママが台所のお片付けを終わると,次は直ぐにお風呂なんだよ!」。「いいじゃないか,ゆっくりさせろよ」,「いつまでも終わらないって,ママに叱られるから・・・」。「ママが怖いのか?」,「そうじゃないの。早くお風呂を済ませて,パパとママと三人でゆっくりしたいから」。「よ〜し,行くぞ」。

 「そんなところで寝ちゃダメ」。パパはビールを飲んでゴロッと横になると,そのまま寝てしまいます。ママは「そっとしておきなさい」って言うけど,パパにいっぱいお話ししたいことがあったのに,つまんない。パパは自分のペースを通しているからいいだろうけど,ボクやママのペースからずれていて,お客さんみたい! お仕事をしているんだからってママは言っているけど,ママの笑顔をこの頃見なくなったような気がするよ,パパ起きて!

・・・くつろいでいたいのは家族皆であると弁えてこそ,真の世帯主です・・・


 ○いいことが待っている!

 今に不満があると,イライラして不幸ですね。では今にまあまあ満足していれば,幸せでしょうか? のんびり湯船に浸かっていると,幸せだと実感できますか? 正直の所ホッとしているという息抜き状態です。今日に満足していても,明日に不安があれば,決して気持ちの安らぎはなく,幸せでもありません。幸せとは,明日の不安がないというときにしか現れてきません。このままいつまでもと信じることができたら幸せでしょう。

 ことはそれほど単純ではありません。明日のことは分かりません。分からないから不安になります。明日のことを思い描く力を持たされた人間は,不安から逃れることができない運命を背負わされてしまいました。明日に不安がないというのは,見ないようにしているだけのことです。今日が楽しければそれでいいという,明日から目をそらす癖がつくと,幸せは手に入らなくなります。

 不安がぬぐい去れないものであるとはいえ,不安を帳消しにする術を人間は持っています。「何とかなる」という期待や希望を持つということです。日常的な場面でいえば,明日にはいろんな嫌なことや辛いことが見えていても,別の楽しいことやうれしいことを見つけることができたら,明日を迎えてみようという気になります。不安は不安として,安心を目指すという前向きな能力の発揮ができます。

 子どものことでいえば,学校に行って勉強をするのは嫌だなと思っていても,一方で休み時間に友だちと楽しく遊べるとか,給食が楽しみという思いを持つことができたら,学校に行くのも悪いことばかりではないと,気持ちをプラスに切り替えることができます。さらには,何らかの楽しみを見つけることで,多少の嫌なことを我慢できるようになります。先にいいことが待っている,それは自分で見つけることです。

 子どもが「怖い」と言うことがあります。もう一人の子どもが育ってくると,今から先の自分を思い描くことができるようになります。分からない不安を感じるようになるから,怖くなります。そんなときは「大丈夫だから」としっかりと包み込んでやり,「楽しいこと」を思い描けるように導いてやります。尻込みしていたらひどい目に遭うという不安を増長するような後押しは逆効果です。先にはいいことが待っている,それを教えるのが励ましです。

・・・ちょっと見には怖い明日でも,いいことがいっぱい埋まっています・・・


 ○子どもは明日に向かって育ちます。それは自明のことですが,子育ての局面では過剰になるケースがあります。「今のままでは将来が危ぶまれる」という不安です。今日の子どものままで大人になるわけではありません。子どもはあっちに行ったりこっちに行ったりして修正をしながら育っていきます。将来のことはそれまでのすべてが絡むことなので分かりようがありません。そんな曖昧なものに振り回されないことです。

 子どもが育つというのは,子どもは変わっていくということです。今日の子どもは昨日の子どもとは違い,明日にはまた違った子どもに成長していきます。できたら一年程度を育ちの目安にしてみませんか。育ちが目に見える程度になります。一年前のお子さんを思い浮かべてください。ずいぶんと育ったと見えるはずです。一年後はどの程度だろうと想像できるでしょう。将来という遙かな明日を子育てに持ち込まないでください。

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