*** 子育ち12章 ***
 

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「第 20-12 章」


『子育ては 小さな喜び 積み重ね』


 ■徒然子育て想■
『手作業?』

 手作業を大事にする人が,物事を見極める力を身につけているような気がします。手作業は脳神経の接続作業になると考えることができます。あれとこれを結びつけてみようする作業が,同時に脳神経の接続と連動しているということです。手作業を厭わないでああでもないこうでもないとやっていると,神経回路が複雑になっていき,そうかこうなるんだという完成時に,結節点が出来上がり,情報処理のための頭脳回路ができあがるのではないでしょうか?

 夏休みに地域の子どもたちと一緒にラジオ体操をしました。最初の頃,子どもたちの振り上げる腕は肘から曲がってくの字になっていました。ピンと伸ばすという行動指令が指先まで届いていません。脳がいい加減な働きしかしていないということです。ちゃんとするという意識回路ができあがっていません。自分の身体を隅から隅まで統制できるように神経回路が完成していなければ,他のことも同じです。たかがラジオ体操ではなく,ラジオ体操もできないという未発達が見えています。

 生活がだらしなくなると,いろんな能力が未熟なままに留め置かれ,妙な脇芽が出てくるようになります。真っ直ぐの育ちが滞ります。気持ちがしゃんとしていないからと考えて,口やかましく矯正しようとします。子どもにすれば,言われるからといって急にしゃんとはできません。それを可能にする意識回路ができあがっていないからです。日々の手作業による生活行動を実際にこなすことによって,神経回路が微妙な接続をしていきます。ソフトのインストール操作と思えばいいでしょう。

 手は第二の脳と言われています。手を動かすのは脳からの指令ですが,手を動かすから脳が機能を獲得していきます。練習という行為によって上手になるのは,そのことを示しています。神経はいろんな接続をしていきますが,どの接続を生き残るものとして選ぶか,その選別過程が手作業です。神経配線を整理統合することで,理性という機能を備えた回路ができあがっていきます。生活習慣のしつけは,真に頭のいい子になるための下準備なのです。

 もちろん手だけに限りません。身体全体をフル稼働することが大事です。夏休み明けの九月の学校で,身体がだるいと訴える生徒が続出したという話を聞きました。理由を尋ねると暑いということだったそうです。夏休みの間冷房の中にいたので,暑さに対応する機能が働かずに錆びついていたようです。気持ちを奮い立たせる前に,身体につながる脳の指令系統が機能不全に陥っています。これではやる気も出てきようがありません。



【課題20-12:パパお願い! 教えてくれるとき怒鳴らないで!】


 ○こんなこと・あんなこと!

 パパとキャッチボールをしています。パパが投げてくれるボールをグラブで受け止めると,手にバシッと響きます。ちょっと怖い! 少しボールが逸れると,ボクのグラブに入ってきません。「ボールをちゃんと見て!」ってパパが言うから,一所懸命に見ているけど。何遍も後に逸らして,ボールを追いかけていると疲れちゃう。パパのへたくそ! パパはキャッチボールが続かないので,イライラしているみたい?

 「自転車に乗る練習をするぞ」,「ハーイ」。パパから自転車を買ってもらったんだけど,乗れないので玄関に置きっぱなしになっていました。パパがそのことに気付いて,昨日から乗る練習が始まりました。「身体を真っ直ぐにして」。パパの厳しい声が背中から響いてくるけど,倒れそうで怖くてハンドルにしがみついちゃう。「前を見て」。「ペダルを踏んで」。いっぺんにあれこれ怒鳴らないで,どうしていいか分からなくなっちゃうから。パパ,手を離さないでね!

 オモチャが壊れたので,ママに言ったら,「パパに見てもらいなさい」って。「パパ,見て」。「どうした?」,「動かないの」,「またか」。パパが受け取ってあっちこっちを触っていましたが,しばらくすると直りました。「動く?」,「ここを触っちゃいけないって言っていただろ,どうして教えたとおりにしなかった?」。ボクは触らないようにしていたけど,弟のしんちゃんがボクがいないときに遊んでいたから・・・。

 お兄ちゃんが学校の算数の宿題をパパに尋ねています。パパがお兄ちゃんに説明していますが,説明が難しいのでしょうか,なかなか伝わらないようです。「どこが分からないのか」とパパが聞いていますが,「そこはさっきから説明してるだろ,だから・・・」と一段と大きな声で同じ説明が繰り返されています。パパの教えていることが分からないので,お兄ちゃんは困っているようです。声を大きくしたからって分かりやすくなるのではないのに!

 「パパ,あの白い雲はどこに行くの?」,「東の方かな」。「ひがしって?」,「東を知らないのか。東はお日様が昇ってくる方角だから,あっち」。「あっちって,学校があるところ?」,「もっとずっと遠いところ」。「車で行けるの?」,「行けるけど」。優しかったパパの声が段々と大きくなってきたので,尋ねるのを止めました。パパともっとたくさんいろんなお話しをしたいけど,パパは直ぐムキになるから疲れちゃう!

・・・新しい知恵を根付かせるには,馴染ませる手立てと時間が必要です・・・


 ○できた!

 勉強が好きな子どもにするにはどうしたらいいのでしょう? そんな子がいるわけがない? 学校や塾の勉強という狭いものではありません。物事をきちんと考えるような子どもです。何も考えずに気楽にしていた方がいいという子どももいるかもしれません。でも,それでは幸せな生き方には程遠いでしょう。考えることが楽しいと思える子どもに育って欲しいですね。そのためには,考える楽しさを教えてやらなければなりません。

 人は他の動物と違って将来のことを想像する力を持っています。こうしたい,こうありたいという夢を描く力を持っています。実現するためにはどうすればいいかを考える力を持っています。先のことは分からないという運命の世界ですが,いくぶんかは自分の裁量で切り開くことができます。運命を切り開くわけです。その達成感は人だけが持っている喜びです。できた! やった! 自分の力が発揮できたという喜びです。

 歩けなかったのに歩けた,上がれなかったのに上がれた,書けなかった字が書けた,読めなかった字が読めた,でんぐり返しができた,箸を使えた,自転車に乗れた,いろんなことができるようになったとき,自分を褒めてやりたくなります。ガッツポーズで決めたくなります。その喜びを経験して知っていると,どうすればできるようになるかを考えることが楽しみになります。できないことに直面しても,何とかなるという前向きさが発揮できます。

 教えられたとおりにしてできたときには,喜びは半減します。喜びはないかもしれません。できて当たり前だからです。ところで,話題になっている100ます計算では,計算に掛かる時間が短くなるという目に見える達成感があります。ただの計算練習では達成感はありません。早くできるからといって,それにどんな意味があるのかということもあるでしょう。子どもに達成感を与えて計算することの楽しさを引き出しているのです。

 もちろん速さだけにこだわると弊害が出てきます。正確にきれいに速くといった複合的な結果が大切ですが,一度にすべてを求めるとどれも中途半端になります。一つずつできるようにしていきます。計算を懸命にしているときに,傍から字をきれいに書きなさいという余計なことを追加すると,計算作業が停滞します。計算ができた,字もきれいに書けた,速くできた,段階を追って達成感の階段を上っていけばいいのです。

・・・できたという喜びを知れば,できるまでの苦労が楽しみになります・・・


 ○機能快という言葉があります。人は自己の能力を発揮できると快感を得るということを表します。できたという喜びは人が持つ快感だというのです。本来備わっていることなので,引き出せるように仕掛けることが子育てになります。与えることはできません。あくまでも子どもが自分で引き出さなければなりません。子ども自身が努力してこそ得られるものです。がんばれば快感がある,その体験を印象づけるために,「できたね」という共感が必要です。

 がんばるとはどういうことでしょうか? がんばるとは,もう止めようと思ったときにもうちょっとだけ続けることです。「もうちょっとだけ」,それが習慣になれば難なくがんばれるようになります。「継続は力なり」という言葉も,がんばると同義なのです。もう時間が来たからさっさと止める,それではがんばるという気持ちは育たないでしょう。時間に左右されている暮らしの中では,がんばる気持ちが育ちにくいかもしれませんね。

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