*** 子育ち12章 ***
 

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「第 2-07 章」


『目立つこと 個性と思う 筋違い』


 ■はじめに

 この章では「何を育てればいいのか?」というテーマについて考えます。
 親であれば,子どもには「生きる力」を身に付けてほしいと願います。
 でも,生きる力とはどんな力なのでしょうか?

 暮らしの中で育ちながら,子どもはいろんな力を自然に蓄えていきます。
 大切なことは,力を何に向けて発揮するかということです。
 強い腕っ節を恐喝に使っては,生きる力とは言えませんね。

 教育やしつけにとって大切なことは,どの方向に育つかということです。
 持てる力を使って,人はいろんな行動をすることができます。
 その行動を価値あるものにできるように育てることがしつけです。

 やればできるのにしないのは,力の持ち腐れだと思いますね。
 乗り物で立っているお年寄りを見過ごすような薄情さもいただけません。
 力の使い方を見定める価値の物差しを教えて来なかった反省が必要です。



【質問2-07:あなたは,お子さんに物差しを与えていますか?】

 《「物差し」という意味について,説明が必要ですね!》


 〇後始末?

 乳幼児は食べるものが関心の的です。手近にあるものを何でも口に持っていきます。フィルムケースより一回り大きい程度のものまでは誤飲しますので目が離せません。幼児になっても,「ママ,おやつは,お腹空いた」と迫ってきます。それを利用しない手はありません。

 おやつなど,食べるもののお使いを頼んだり,食事の前の配膳を手伝わせたりすれば,食べたいという欲求につられて,喜んでママを助けてくれることでしょう。「自分のことをするついでに家族の分も」という進め方が,お手伝いに入門させるコツです。

 成長につれて子どもの力は伸びてきます。お手伝いもステップアップさせましょう。後始末や片づけに関わらせていきます。食器の片づけは食べたい欲求が満たされてしまったので,したいという気にはなれません。余計なことであり面倒ですから,「どうして私がしなければならないのか」という理由を求めます。

 ママのために手助けするという理由からはじめて,片づけたら次にさっと使える利点を教えてください。後始末は次への下準備であることを繰り返し納得させます。生活の段取りを理解させることは,「こうすればこうなる」という行為の結果を見通す目を育ててくれます。片づけ上手な子はいつも先を見る目を働かせられる子です。

・・・ちょっと先の自分が見える時間の物差しが肝要です。・・・


 〇運任せ?

 「走ったら危ないよ!」とママが注意します。子どもは「こうしたらこうなるかもしれない」という状況判断をしていません。それが子どもの危なっかしさの源です。もう一人の子どもが自分と周囲の状況を考えて,起こりうることを推定し,危険を回避するという選択をしなければなりません。しかし,その力は幼い子どもにはまだ育ってはいません。

 中学生になっても,テストの点数が良ければ「ラッキー」と思っています。自分の理解が進んだ結果ではなく,単に運が良かったという受け止め方です。これでは自分の能力の伸張にはつながりません。もちろん試験には山が当たるといった運も絡みます。しかし,基本はあくまでも勉強したら点数が上がるということです。その期待が「努力」を生み出します。

 パパやママは朝出がけに空の状態を見上げますか? ひまわりから見た雲の様子をテレビで見ただけでしょう。自分の頭上にある雲を見て,確かめましたか? 子どもと一緒に雲を見上げてください。「あちらに雲があると雨になる」といった一日の見通しを教えることで,状況判断の良い教材になります。

 「こうしたらこうなるかもしれない」という予測をする判断力は,体験しなければ身につきません。走って転んだら,「走ると転ぶことがある」という経験として残ります。ママが「走るからよ」と念を押すことは大事です。経験はきちんと意識させなければ使えるものにならないからです。点数が上がったら,「よく勉強したからね」と努力の賜であることを気づかせて下さい。 

・・・結果には原因があるという物差しを体験から意識させて下さい。・・・


 〇なぜ勉強を?

 今学校では授業が成り立たなくなりつつあります。先生の話を静かに聞いて分かろうとする姿勢が備わっていないのです。授業は表面的には面白おかしいものではありません。いわゆる知的な面白さですから,うわさ話のような感性的な面白さとは異質です。学校は学ぶところであり,学びとは知的な楽しみなのです。

 「勉強しなさい」とママが急かせます。でも,子どもは「なぜ勉強しなければならないのか?」と思うことがあります。それに対して「いい学校に入って,いい会社に就職して,いい暮らしをするため」と答えます。親としてはもっともな目標なのでしょうが,子どもにはそんな遙かな先のことは理解不可能です。一生というとてつも長い物差しは子どもには使いこなせません。子どもが求めているのは勉強する今日の理由です。

 大人は,勉強とは何かの目標に向かってするものと思いこんでいます。自分の受験体験が勉強の意味を塗り替えてしまっていることに気づいていません。ですから,子どもから勉強する理由を尋ねられたとき,その目標を問われていると勘違いして答えてしまいます。子どもが知りたいことはそんなことではありません。その子どもの問いかけと大人からの返事のすれ違いが,勉強そのものや学校に行くことに対する納得のギャップになって,子どもを追いつめてしまいます。

 子どもが問いたいことは,勉強そのものの意味が分からなくなったということです。もっと端的に言えば,勉強が楽しくなくなったということです。勉強して試験があって,点数をつけられて,序列が付けられるというシステムに対して,そんなはずではなかったという不信感を抱いています。

 ひらがなを覚えはじめた頃は,目に付いた街の看板を漢字抜きで読んでいましたね。読めることがうれしくてしようがないのです。訳の分からない曲がりくねった線だと見えていたものが,読むことのできる字であることに感動しています。子どもはなぞなぞが好きです。問の言葉の陰に隠された秘密を読み解くことが楽しいからです。学んで知ることがワクワクすることであったのに,勉強が進むにつれて,その楽しさが感じられなくなっていきました。

 子どもが「なぜ?,どうして?」といろんなことに疑問を持ち始めたときに,その疑問を解く方法と分かっていくときの面白さをきちんと伝授しておけば,子どもは自分から進んで学ぼうとしていきます。子どもが「新発見」をしてきたときに,ママが一緒に面白がってくれたら最高の学びへのしつけです。

・・・疑問を見つけ分かる楽しさが学びを測る物差しなのです。・・・


 〇真面目だからいじめられる?

 太閤秀吉のお伽衆に曽呂利新左衛門という知恵者がいて,いつも呼ばれて話をしていました。他のお伽衆がどんな話をしているのかと尋ねました。新左衛門が「お前たちは菓子は好きか?」と聞くと,皆は「好きだ」と答えました。「それなら毎日菓子を食え」と言われ,「毎日は食えぬ。飽きてしまう」。そこで「わしは太閤殿に米の飯を食わせているんだ」と言って聞かせました。

 ご飯は味がありません。決して美味しいものではありません。しかし,美味しくないから毎日飽きずに食べられます。さらに,オカズとご飯を交互に食べると,味のないご飯が味覚をご破算の状態に戻してくれますから,次に口にするオカズの味が楽しめます。味の付いたものばかりを食べていると,味覚が鈍ってきて濃い味でないと感じなくなっていきます。美味しさとは無味があってこそ引き立つものです。

 「何かおもしろいことはないかな」とおもしろいことばかり求めていると,チョーおもしろいことへと感覚が麻痺していきます。格別おもしろくもなんともないことが当たり前なのだと感じていないから,面白さに暴走します。

 格好にしてもダサイ(=田舎い)ことを最低などと思っているから,派手さを通り越してケバくなっていき,過ぎたるは及ばざるがごとしの域にまで突き抜けてしまいます。普段はダサくていいんだという真正な美的感覚を見失っています。

 学生がゼミをあまりに休むので家に電話をすると,母親が出てきて「今,息子はアルバイトに行き,夜にしか帰りません」と臆面も無く言ってのけるそうです。大学生のアルバイトはゼミに優先するという逆の物差しまで登場する混乱が起こっています。

 真面目であることをバカにするひねくれた物差ししか持っていないから,子ども社会がねじれてしまいます。人としてまっとうなことをきちんと目盛った物差しと交換しなければなりません。

・・・物差しは0の目盛りが消えたら有害です。・・・



《目盛りのいい加減な物差しに頼ると,できたものはこけます》

 ○子どもを抱っこしてママと向き合ってばかりいると,子どもはやがてストレスを感じるようになるそうです。いくら愛し合っていても見つめ合うのはちょっとの間で十分です。子どもはパパの背中におんぶされることが大好きです。それはパパと同じ目線で景色を見ることができるからです。子どもは親と一緒に同じ世界を見ることで,親の物差し使いを学んでいきます。それが背中を見て育つということです。

 【質問2-07:あなたは,お子さんに物差しを与えていますか?】

   ●答は?・・・もちろん「イエス」ですよね!?

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