*** 子育ち12章 ***
 

Welcome to Bear's Home-Page
「第 2-08 章」


『思うまま 自由にしたいが 当てもない』


 ■はじめに

 学校で図画の時間に「自由に描いてよい」と言われて,子どもは迷います。
 何を書いていいのか分からないので,いちいち確認を求めるそうです。
 それを問題だという方がいましたが,自由な選択は子どもには無理です。

 ママは夕食のオカズを何にしようか,毎日悩みますよね。
 決めてもらおうと尋ねてみると,「何でもいいよ」。
 何でもいいと言いながら,後でぐずぐず言われたり…。

 「何でも自由に」というのは,かなり難しいものです。
 ぜいたくな悩みですが,その悩みを解くためには,手がかりが必要です。
 選択の目標があれば,それに合わせるように決めることができます。

 子どもたちは,自由に選ぶ恵まれた環境に暮らしています。
 しかし,何をどう選べばいいのかわからないので,羽目を外します。
 目標となるものを持たせなければ,いつまでも迷い続けます。

 したいことをしようとしても,それなりの道案内になるものがあります。
 その道しるべが本物でなければ,とんでもない所に誘い込まれます。
 子どもに持たせるべき本物を見つけてやってください。



【質問2-08:あなたは,お子さんに本物を見せていますか?】

 《「本物」という意味について,説明が必要ですね!》


 〇天真爛漫?

 サザエさんちのタラちゃんはいい子です。でも,ときどき家の内情を近所に言ってまわり,磯野家をあわてさせます。「どうして言ってはいけないですか−?」と問いかけ,サザエさんを困らせます。子どもの絵や作文にありのままのパパやママが登場して赤面させられる経験は,親なら誰でも持っています。子どもは大人の体裁などに無頓着です。そんな子どもの天真爛漫さを苦笑いして黙って引き受けていくのが親の必修科目なのです。

 親は子どもに「してよいことといけないことがある」ことをいろんなケースに応じてしつけなければなりません。ただ,個人的なことにまで分別する力を持たせるためには,順を追って気長に教えなければなりません。はじめから細かい分別を教え込もうとすることは,一年生に割り算をさせるようなものです。もっと大事なこと,それはとても簡単に理解できるものなのですが,人の喜びや悲しみに共感できる分別です。

 テレビでサリドマイド障害の子どもの頑張りを見ていた六才の男児が,「ねえ,お母さん,ぼくどうして涙が出るの?」と言って,ママをTVの前に引張って行きました。人のために涙を流せる子どもは,幼くても,幼いからこそ,本物の価値を本能的に感じ取っています。ママが,「不自由なお友達と仲良くなれたら,きっと涙は出なくなるよ」と話してやると,子どもはママの手を握り,頷きました。

・・・子どもにも共感できる分別が本物です。・・・


 〇汚い?

 子どもを連れて公園などに遊びに行くと,走り回り転げ回り滑って回ります。ママは服を汚しちゃダメと言いますが,それはママの都合です。汚してもいいものを着せるのが,子どもの遊びへのママの気配りです。洗濯をするのはママではなく,洗濯機なのですから。

 今の生活は小綺麗になりました。無菌で清潔,防音で静寂,脱臭で無臭,規制で安全な生活ですが,これは隔離された生活でもあります。不潔で騒がしくて臭くて危険な部分を放逐する生活です。生活には光と陰があり,その陰も自分のものと受け入れることが,本物の生きる姿です。

 食卓に並ぶ美味しいものは,台所の汚れ物とセットになっているはずです。子どもに求められている生きる力には,その汚れ物から逃げないでつきあっていく力が含まれています。手を油でべとべとにすることを嫌がっていたら,生活はできません。最近の子どもたちの生活感の無さは,陰から隔離されていることから始まっています。喩えを追加すれば,木は枝を伸ばし葉を茂らせる陽の部分と,同じ程度に地中に根を張る陰の部分があって生きています。

 子どもには元々から汚いという気持ちは全くありません。何でも平気で触りますよね。汚いという気持ちは親から教え込まれたものです。健康を害するものだけを汚いと教えてください。汚れることと汚いことの区別をしつけてください。汚れることは一向に構わないことです。洗えば済むことです。

・・・汚れない生活は偽物です。・・・


 〇美しい人?

 レストランでの子どもの行儀の悪さが話題になります。これは悪い行儀をしつけられているのではなくて,行儀をしつけられていない,無行儀なのです。行儀という言葉は若い人には古めかしくて堅苦しいものに感じられるかもしれません。行儀などは今の子どもには不用だと思っていたら,そのツケはやがて子どもが払わなくてはならなくなります。

 行儀とは美しくなるための振り付けです。食べ方にも美しい食べ方があります。どんなにお澄ましをしていても,箸の持ち方が不自然なら,それは醜い姿になります。空き缶・空き袋を投げ捨てるようでは,食べ方のイロハがしつけられていないことになります。食事は人の大切な行為ですから,美しく食べる振り付けは人生の財産なのです。

 かつて,ピアノの巨匠が日本を訪れたとき,日本人の箸使いに感動しました。西洋ではフォークとナイフを握って食べますが,和風では箸を指で優雅に使います。箸を使える限り,日本人の指の器用さは健在であり,ピアノを弾く技量は優れたものであり続けると断言してくれたそうです。

 食べる姿勢も気になります。片肘をテーブルに突き,どんぶりに顔を突っ込んで犬食いをするさまは,誰かに支配されている奴隷の姿なのです。作法を他に誇示する権威である必要はありませんが,自分を美しくする振り付けは身につけておいた方がいいでしょう。

・・・立ち居振る舞いの美しさが本物の美しさです。・・・


 〇見えない?

 売春で補導された女子中学生が,係官に「お金を貰えるし,相手も喜んでいた。誰にも迷惑掛けていない」と反論します。「自分を大切にしなければ」と補導されても,「自分のことに他人がとやかく言わないで」と心を閉ざします。迷惑を掛けなければ何をしてもよいという考え方をするわけは,本物の生き方,本物の大切さを見たことがないために,脇道に逸れていることに気づけないからです。

 見たことがないというのは正確ではありませんね。パパとママという素晴らしい本物がそばにいるのですから見ているはずですが,それを意識的に見ようとしていない,気づかせる働きかけを受けていないということでしょう。例えば,パパが今日ママの着ている洋服を見ているはずなのに思い出せないのと同じです。

 夫婦が仲良くしていることは,子どもに本物の愛を教えます。愛なんて腹の足しにならないものです。でも,人の生き方に灯台としての道しるべになります。それが見えるかどうかで,人の幸せに雲泥の差がもたらされます。損得抜きで,お互いの身体を気遣い,心を気配りしていることを,子どもにも少し手伝わせてお裾分けしてやってください。

・・・本物の仲の良さをちらりと…。・・・


 〇思いやり?

 子どもたちにリサイクルを教えるために,回収作業を手伝わせることがあるでしょう。団体等の事業では,付随する収益が目的です。そうして集まった資材は山積みされていきます。リサイクルにはコストが掛かるので,製品の価格に上乗せされ割高になり,消費が伸びないためです。本物のリサイクルとは割高でも優しい製品を使うことなのです。

 災害や事変が発生すると,救援物資として多くの方から品物が寄せられます。子ども用のパーティドレスなどがあるそうです。成長すると小さくなるので着られなくなり,かといって捨てるのも勿体ないものです。途上国の人に差し上げれば,気の毒な人を助けてあげられるし,何より押入のゴミも始末できて,いいことずくめです。しかし,もらった方は迷惑します。行く先の相手のことを全く考えていないのでは,偽の思いやりです。少なくとも,自分が必要としているものを提供することが,相手のためを思いやる最初の選択です。

 チャリティーと銘打って,物品の販売が行われることがあります。買っていく人は市価より安く手に入れて喜びます。本物のチャリティーとは市価よりも高く買うことなのですが,よってたかって得しようという浅ましさに気付いていません。外国では恥をかくことになります。

・・・本物の思いやりとは身銭を切って損することです。・・・


 〇幸せな顔?

 何処で目にしたかメモしておきませんでしたが,向田邦子さんが書いていました。若い役者さんに「幸せな顔をして見せて」と頼むと,誰ひとりできなかったそうです。どんな顔をしたかというと,自慢そうな顔でした。それだけ優劣の激しい世界なのでしょうが,案外と一般的なことかもしれません。

 幸せな顔とはどんな顔でしょうか? 親は子どもの幸せを願っていますが,子どもの幸せな顔を見つけていますか? クリスマスや誕生日のプレゼントを受け取ったときのあの笑顔でしょうか? 子どもの喜ぶ顔が見たいと言うことがありますが,それが幸せな顔でしょうか?

 ママになった女性は,必ず幸せな顔をした経験があるはずです。思い出せませんか? 自分が産んだばかりの赤ちゃんを優しく見つめているときのママの顔です。我が子をこの世に連れてきてやれたという幸せがいっぱいです。でも,残念ながら赤ちゃんはママの幸せな顔を覚えていません。

 子どもが育つにつれて,ママの顔はだんだんと恐くなっていきます。かわいいのですが,思うようにしてくれないので,疲れて焦って,幸せではなくなるからです。ママの幸せは,そこに子どもが生きていることだけだったはずです。チャンとしないから,キチンとしないから,いらない子どもになってしまったのでしょうか? 第二の出産のときには,幸せな顔を子どもに見せてあげてくださいね。

・・・愛されたときではなく,愛したときに幸せになれます。・・・



《本物はすぐそばにあるので,探そうとしさえすれば見つかるはずです》

 ○クラシックという言葉は,クラスの中で一番上等のもの,学ぶに値するものの意味です。先人の探し出した本物を受け取ることが学びです。大事なことは,本物とは誰かが手にできたものです。平たく言えば,「私にできたのだから,あなたにもできるはず」という保証書がついています。だから,みんなの財産になっているのです。植物が明るい太陽と暗い地中に向かって伸びるように,子どもの育ちも本物に向かっているときが健全な育ちです。

 【質問2-08:あなたは,お子さんに本物を見せていますか?】

   ●答は?・・・もちろん「イエス」ですよね!?

「子育ち12章」:インデックスに進みます
「子育ち12章」:第2-07章に戻ります
「子育ち12章」:第2-09章に進みます