*** 子育ち12章 ***
 

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「第 21-01 章」


『子育ては 子どもの育ち 促して』


 ■徒然子育て想■
『子育てポイント?』

 1人の人間を産み育て上げるのはとても大変なことです。動物の子どもであれば,自然界の中でエサの取り方を覚えさせたら長くて数年で子離れできます。しかし人の場合には,食べるために社会との複雑な関わりをしつけなければなりません。仕事をして金銭を稼ぎ必需品を購入し処理し取り入れるという一連のプロセスがあります。大人になっても苦労のつきないことを,子どもに教え込む必要があります。20年の養育期間が想定されているのもうなずけます。

 もちろん,親だけが担いきれるものではありません。社会にも次世代を育成するという責務があり,それなりの支援体制が組み込まれています。家庭・学校・地域という連携が不可欠です。ところが,幼いうちは家庭で,育ってくると学校で,卒業すると地域や社会でという子育てのバトンタッチのイメージがあります。例えば,お箸の使い方を学校で教えなければならないといった不思議なことが起こります。連携とは丸ごと送り出すことではありませんね。

 子育ての主体はいつまでも親です。学校は知識面の育てを,地域は社会性の育てを受け持つ教科担任のようなものです。子どもの育ちの丸ごとについて,親が気配りしてやらなければなりません。それだけに,親の目配りすべきことがたくさんあるように見えてしまいます。日々の子どもの行動にどう対処すればいいのか迷うことが多々あります。そのような迷いの中で,これだけは押さえておいた方がよいという基本的なポイントを考えているのが,このマガジンです。

 自分の子育てはこれでいいのだろうかという不安は,親なら必ず持ちます。それでもなんとか親の役目を務めています。後悔がないということはありませんが,やれるだけはやったということで十分ではないでしょうか? 100点満点などあり得ないといったほうがいいでしょう。100点という評価をすることが子育てに対しては不可能だからです。そうはいっても60点程度の子育てができる要点項目はありそうです。この第21版でご一緒に考えてみましょう。



【設問21-01:お子さんは,自主性を備えていると思いますか?】


 ○自我の誕生!

 赤ちゃんは自分では何もできません。泣くことで訴えるだけです。母親は赤ちゃんの生きるための欲求を満たしてやります。おっぱいを与えおしめを替えるといった世話をしてやります。赤ちゃんは胎児の状態をしばらくは持続していることになります。人間の赤ちゃんは早産の状態であるといわれています。赤ちゃんにとっては母親は自分と一体の存在になっていますが,もちろんそんなことを意識しているわけではありません。

 ところで,母親はいつも赤ちゃんにべったりと寄り添っているわけではありません。離れている母親を捜すと,そこに誰かがいます。父親と母親が夫婦の関係になっています。一体であった母親がそうではないということを感じ取ると同時に,母親を奪うあの人は誰なのかということが気になります。自分と母親と父親という三角関係を突きつけられてはじめて,寂しいという感情を伴って,自分を見るもう一人の自分が誕生してきます。

 子離れの意味とは,子どもに親が従属している関係の解消です。父親による切断が必要になり,これが最初の父親の出番なのです。親にとっては第二の出産であり,子どもにはもう一人の子どもの誕生と見なすことができます。普通の言い方をすれば,自我の誕生ということです。そこで母親が子どもをいつまでも構い過ぎていると,この出産が難産になり,もう一人の子どもが生まれません。わがままで甘えん坊のままというわけです。

 ところで,突き放されて弱い立場に追い込まれた子どもは,逆に親に支配される立場になります。いうことを聞かないと世話を受けられないという受け身になります。子どもが成長するにつれて,親の方にはしつけをしなければという意図が現れてくるからです。ここで子育ちの上で注意すべき点が現れてきます。もう一人の子どもに任せるというとても大事な手続きをしなければなりません。親離れの意味とは,親に子どもが支配されている関係からの解放です。

・・・指導と干渉の違いは,決定権を子どもと親のどちらが持つかです・・・


 ○こんなこと・あんなこと!

 嫌だ。子どもの反抗には手こずらされます。親の手を払って「自分でする」と言い張ることがあります。そんなときは任せればいいのです。手元が覚束なくて見ていられないはずですが,できるできないの問題ではなくて,自分でするという行動パターンを認めてやります。できてもできなくても,そんな自分を思い知ることによって,もう一人の自分が登場することができます。親がしてやると,子ども自身を見つめるもう一人の子どもが眠らされます。

 自主性とは,他からの指示によってするのではなく,自分から進んでしようとすることです。ということは,親にとっては時として反抗ということになります。言われたからわざとしないという場合もあります。「自分でするつもりだったのね,分かったからもう言わないからね」。そう言って,もう一人の子どもに委託するようにします。するかどうかを自分が決めた,なるべくそう言う形になるように指導をしてください。

 何かいけないことをして見つかったとき,その自分の行動を他人のせいにすることがあります。下手な言い逃れをします。誰でも自分は悪くないと思いたいものです。大人でも社会や上司のせいにして,自分の正当性を主張することがあります。自尊心です。もちろん子どもにもあります。あなたが悪いといきなり詰め寄られたら,もう一人の自分は必死に反発し反省はできません。自尊心を認めてやり,その後で反省を促すようにしましょう。

 叱ったりほめたりすることで,子どもをしつけていきます。その相手はもう一人の子どもであることを忘れないようにしてください。特に叱るときには,子どもを頭ごなしに否定するのではなく,行動の悪いところを改めればいいのですから,きちんと言って聞かせるようにしましょう。子どもはわざと悪さをしようなどとは思っていません。結果としてそうなっただけのことと,余裕を持って対処することです。

・・・もう一人の子どもに向き合っていれば,子育てはうまくいきます・・・


 ○子どもを育てている,なんとなくそう思っておれられることでしょう。子どもの中にもう一人の子どもが生まれて,そのもう一人の子どもが育つように世話をするという考え方をすれば,子育ての一つのポイントが見えてきます。子どものことは子どもに任せるということです。例えば,自信を持つのは自分を信じるもう一人の自分がいるからできることなのです。子育ちとは,もう一人の子どもの育ちです。

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