*** 子育ち12章 ***
 

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「第 21-02 章」


『子育ては 温もり満ちた 人の目で』


 ■徒然子育て想■
『ご近所の底力?』

 子育てには日曜日がありません。暮らしていくのに忙しい上にかぶさってくるので,押しつぶされそうになります。子どものことは母親に任せた,そういう雰囲気があり,さらに子育てをきちんとしなくてはという母親の気負いもあるでしょう。きついこともつらいことも面倒なことも,一人で引き受けざるを得ません。放り出すわけにはいかず,誰かがしなければいけなくて,でも母親しかいないという状況があります。

 母親にとって我が子は可愛い存在です。かわいい子どもの面倒を見るのは,喜びでしょう。喜びを独り占めしているといえば,それは現実的ではありません。喜びも辛さも周りの人にお裾分けしましょう。子育ては母親一人でするものではないからです。父親をはじめ家族や隣人,さらに大人が何らかの形で関わらなければできないものです。核家族の中での子育てでは,子どもは十分に育つことができません。

 趨勢として母親が働くことを選び,結果として託児や入園,入学という形で子どもを外部機関や施設に預けます。子育ての外部委託です。そうせざるを得ない背景がそれぞれの家庭にはあります。このような大人の都合のしわ寄せは,必然的に弱い子どもに向かいます。子どもはまだ準備ができていないままで他人の世界に入るというストレス状況におかれます。生まれたばかりのもう一人の子どもは,自分以外の周りの人を警戒の目で見るという刷り込みを受けます。

 不安な気持ちの中で,子どもは自分を守るために内向きの育ちをしなければなりません。育ちとは本来外向きなものです。もう一人の子どもが,自分の居る世界は何の心配もないいい世界だと感じるとき,自分をその社会につなごうという育ちを始めることができます。そのために親たちが準備しておかなければならない環境は,家庭と園などの間にある日常空間です。具体的には,ご近所の底力です。身近な老若男女との温かなつきあいが,本来の子育ちを後押ししてくれます。



【設問21-02:お子さんは,お友だちの目を気にしていますか?】


 ○自他の結合!

 大きくなったら何になる? 子どもらしい答が返ってきます。ケーキ屋さん,ケーキが食べられます。お花屋さん,お花が飾れます。花嫁さん,ドレスが着られます。自分に都合がいいことが主題です。それでいいのです。もう一人の自分が,自分にとって何がうれしいことか楽しいことかをしっかりと感じておくことが育ちのステップになるからです。その後に,自分にうれしいことを,周りの人に移し替えることで,人に優しくなることができます。

 ヒーローやヒロインになったつもりで遊びます。自分をヒーローに準えるとき,もう一人の子どもが目覚めています。見聞きしているヒーローの立ち居振る舞いを自分にさせているのが,もう一人の子どもです。悪いものをやっつけて正義を行う仕方を,自分の身体に教え込んでいきます。子どもを育てているのは,もう一人の子どもというわけです。自分に他者を移し込むことができれば,自分を他者に移し替えることもできるようになります。相手の立場になれるということです。

 子どもはわがままです。自分が生きようとすることは必然的にわがままになります。そのわがままを皆で協力し分け合うことで,社会的な暮らしが成り立っています。そのためには自分と家族を対等に見ることのできる第三者の立場が必要です。そこにいるのがもう一人の自分です。子どもの社会性を育むためには,もう一人の子どもをしっかりと育て上げなければなりません。

 では,どうすればいいのでしょう。ままごとのような遊びを通して,役割を演じるという方法があります。お母さん役をすれば,お母さんのあれこれを体験することができます。お母さんて大変だという感想でいいのです。お兄さんという役割を引き受けることで,兄と弟の立場の違いを学び取っていきます。社会は役割によって成り立っており,そのことを通して社会につながることができています。大人も父親であり母親であり,息子であり娘であり,おじちゃんでありおばちゃんですよね。

・・・自分と他者との結合によって,社会の中での自己確認ができます・・・


 ○こんなこと・あんなこと!

 子どもが親にモノをおねだりするとき,「皆も持っているから」という説得の理由を持ち出してきます。親が世間の人並みという物差しを使っているときちんと見抜いています。「よそのことはよそのこと」と切り返しても,無駄のようですね。「皆と違うと仲間に入れない」とだめ押しされて,押し切られます。皆と同じという横並び指向は楽です。大人でさえ流行に乗っていれば最先端でいられるといった安心感があるのと同じです。

 友だちからどのように思われているか,とても気にすることがあります。特にイジメは小さな違いを殊更に拡大して,マイナスイメージを貼り付けてきます。違って何が悪いと言い切る勇気を持つことは子どもには難しいでしょう。奇妙に目立つこと,皆から浮いてしまうことを恐れる局面があります。しかし一方で,皆と同じではいやという逆の気持ちもないとはいえません。常に最新最高のモノを求める場合で,新発売のゲームソフトを誰より速く手に入れるといったことです。

 親の目が届かないところでは結構羽目を外しますが,親が見ているとおとなしくしています。親に見られている自分を意識するからですが,もう一人の自分が親の立場になって自分を見ることができるからです。やがて「お母さんに叱られるから」という言い方をするようになります。こうして,もう一人の子どもは自分を親に似るように育てていきます。そこで,もしも親の社会的な常識が世間とずれていたら,子どもは世間で恥をかくことになります。

 暮らしの中ではどちらかを選ぶことが続きます。起きるかどうかを決めなければなりません。起きたくない自分に,もう一人の自分が起きなくてはと迫ります。おかずを決めるときは,あれが食べたいという自分と,お金が足りないというもう一人の自分が交渉します。もう一人の自分は,自分が置かれている状況の中で自分を最大限に生かすための決断をすることになります。その状況判断,そこに周りの人の目で自分が見えていなくてはなりません。姿見に映る自分のように!

・・・個性化と画一化の違いは,社会の中での自己決断の有り無しです・・・


 ○自分の思い通りにことが運ばないと癇癪を起こすことがあります。混乱してどうにも手がつけられないといった暴走に至ることもあるでしょう。我を忘れるという状況であり,もう一人の自分がパニック状態に陥っています。もう一人の子どもは未熟ですから,駄々をこねることが多いはずです。親は人の目を気にして気まずい思いをします。格好良くありたい,もう一人の自分がそう思うようになれば,人の目を上手に取り入れることになります。ママのように!

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