*** 子育ち12章 ***
 

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「第 21-03 章」


『子育ては ぐっと抱きしめ 解き放し』


 ■徒然子育て想■
『親離れ?』

 ラジオを聞いていたら,こんなことを伝えていました。ある調査で,子どもの遊び相手がママになっていることが示されたというのです。友だちと遊ぶのではなく,ママと遊ぶ子どもが増えてきたのです。近所の子どもと群れて遊ぶ機会が失われているのでしょうか? 少子化の中で子どもの数が少なくなって,群れるほどの子どもが近くにいないということでしょうか? 年齢の違う子どもとは生活のサイクルが合わないので,出会うことがないのでしょうか?

 NHKの体操のお兄さんだった方が言っています。番組の中で一緒に体操をしようとすると,ママから離れられない子どもが増えてきたというのです。ママにべったりとくっついて,見ているだけです。甘えん坊さんが増えてきたのは,どうしてなのでしょうか? ママから離れると,ママがどこかに行ってしまうと恐れているのでしょうか? それともママが子どもを離れないように無意識のうちに縛り付けているのでしょうか?

 母子の密着それ自体は微笑ましい姿なのですが,その程度がとても気になります。育ちの中では親離れが不可欠です。そういった知識をママは持っています。そこで子離れしなければと考えて,機会を捉えて子どもの背中を押し出そうとします。そのことも正しいことですが,そのタイミングがわずかにずれているようです。子離れは親離れの結果として現れるものと考えてください。親が決めるのではなく,子どもが決めることだということです。

 親はどうすればいいのでしょうか? 子どもを身近において何やかやと世話をしてやることが母子のつながりではありません。それくらいのことは他人でもできることです。母でなければできないこと,それは慈しみを持って抱きしめてやることです。文字通り触れ合うことです。言葉かけで済ませていませんか? それは手抜きです。手の温もりを直接伝えるようにしてください。十分に慈しみを与えられたら,子どもは自然に親離れをしていきます。



【設問21-03:お子さんは,園や学校が楽しいと思っていますか?】


 ○居所の確保!

 皆が遊んでいる輪から,ポツンと外れている子どもがいます。遊び仲間という居場所がないからです。一緒に遊びたいと思っても,相手がそう思ってくれないと遊びの居場所は得られません。輪の中に親しい友だちがいれば,その伝手によって輪の中に入っていくことができます。友だちの友だちというつながりが社会性の形です。その伝手もないときには,いつも傍にいて顔なじみになるという時間を掛ける手があります。

 登園,登校をしぶる子どもが増えていると聞きます。朝のお出かけしぶりは,子どもの居場所の問題です。子どもが安心を得る場所の縮小化が起こっているからです。家庭と園・学校が離れて存在する点になっています。家庭の外の普段過ごしている広がりの中に園・学校があれば,つながっているという実感を持つことができて不安はありません。ところが,そんな環境は現在ではかなり少なくなっていて,子どもはとても不安になっているはずです。

 親が車で送っていくと,自分ちの車が園・学校に直結し,ドアツウドアになるので,あんがい素直に入り込めます。離れた空間をつなぐ途中の道筋が子どもの居場所になるためには,慣れるという期間が必要になります。とはいえ,慣れるまで放置するというのではなく,いくつかの準備をしておかなければなりません。不安を沈める何かお守りを持たせることも一つです。さらに,園・学校での楽しい場面を思い出せるように話を誘います。楽しいという気持ちが勇気をもたらしてくれます。

 「どうして行かなければいけないの?」。涙の目で問いかけてきます。行かねばならないのではなく,「行けば楽しいことが待っているから」。「行っても楽しくなんかない!」。楽しいことも不安があれば楽しくはありません。ママの傍で安心しているときに,園での新しい体験を思い出させます。本当は楽しかったのかもしれない。そんな積み重ねをたくさんしましょう。子どもの不安を吸い取って,園までの空間を居場所にしてやれるのは,ママしかいません。

・・・園までママの配慮が伸びていると感じたら,園が楽しくなります・・・


 ○こんなこと・あんなこと!

 枕が代わると寝付けないということがあります。うちに帰ると落ち着くという感覚があります。自分の場所には気遣いや不安がないからです。逆にいえば,すっかり安心していられます。ママのそばにいるとホッとする,そうありたいものです。ところが,ママがしつけという役割を持ちだしてきた途端に,子どもにとってママの傍は落ち着ける場所ではなくなります。あれやこれや突かれるのではと不安だからです。パトカーの前を走っているときのドライバーの心境です。

 子どもは生活のほとんどすべてを親に頼っています。親のご機嫌を損ねるとつらいことになるので,親を伺うようになります。「ママ,きれいね」という追従を無邪気さに隠して向けてきます。大人のような見え透いた打算ではありませんが,無意識のうちに自己防衛をしています。特別に咎め立てることではありません。素直に受け止めておけばいいのです。自分の居場所を得ようとしているだけです。

 帰ってきた子どもに,「今日はどうだった?」と尋ねることがあります。子どものことを気に掛けているというメッセージのつもりかもしれませんが,子どもにすればそうは思われません。具体的な問いかけではないことが,ただのポーズにしか過ぎないと感じさせるからです。試しに「別に」と答えてみると,「そう」と受け止めてお終いになることからも見抜かれます。自分のことを具体的に分かってくれている,それが子どもの求める居場所です。

 子どもの育ちは,子どもが居場所を確保したときに,その居場所に根を下ろして始まります。子ども部屋を与えておけばいいという問題ではありません。そんなものはどうでもよくて,心の居場所が大切です。親との気持ちのつながりです。親が自分のことを大切に思い気を配っていてくれる,それが豊かな育ちを保証する育ちの場になります。親が忙しくしていてもどこかに自分のために何かしておいてくれる,そんな証拠を子どもは心待ちにしています。

・・・親とつながっている確かな証拠が見つかれば,子どもは育てます・・・


 ○親による世話と他人の手による世話とは,どこが違うのでしょうか? 食べさせて身体の育ちをさせることは親でなくてもできますが,心の育ちは親でなければできません。親に抱かれると安心しますが,他人に抱かれると不安が先立ちます。幼子が人見知りをするのは当然です。親は何事があっても子どもの傍に寄り添っていくというメッセージを発しているからです。「パパ,ママの子どもでよかった!」。

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