*** 子育ち12章 ***
 

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「第 21-08 章」


『子育ては するとしないの けじめ付け』


 ■徒然子育て想■
『思いやりとお節介?』

 相手によかれと思ってしてあげたことが,余計なことである場合があります。例えば,目の不自由な人が路上で困っているとき,誘導してあげるつもりで手を引こうとすると,時として嫌がられます。知らない人に手をつかまれると,なんとなく不安になるからです。手を引くのではなく,手につかまってもらうようにします。相手の意思を尊重する形式になるので,安心感を与えることができるからです。思いやりもやり方で台無しになります。

 子どものためにと親がしてやることが,場合によっては子どものためにならないことがあります。昔から繰り返されていることに,甘やかしがあります。子どもの喜ぶ顔が見たいという大人の側の気持ちが,モノを与えすぎて我慢を忘れさせ,食べさせすぎて肥満に育てます。一方逆に,甘やかしては子どものためにならないと,子どもの自主性に任せるという理由からの放任も見受けられます。「それでは,どうしたらいいの?」という問が出てくるはずです。

 一つには,ことさら子どもを喜ばせようとはしないことです。喜ばせようという思いやりは,子どもにはお節介になります。喜びとは自分で見つけるものだからです。もちろん,誕生日などの特別のことに対しては,節目として祝うという喜びは必要です。普段のことを言っています。もう一つは,モノではなく,心で甘やかすことは育ちに必要なことであると考えておくことです。笑顔を見せていつでも受け入れるという温もりは,与え過ぎることはありません。

 思いやりがお節介に変質するのは,押しつけがましい場合です。「折角してあげたのに」という気持ちが出てくるような時は,要注意です。「わざわざ買ってきてあげたのに,どうして食べないの?」。「高いお金を払って塾に行かせているのに,どうしてちゃんと勉強しないの?」。「誰のお陰で大きくなったと思っているの?」。子どものためにという親心から出てくる思いやりは,「〜のに」という値札をはがしてから渡してやってくださいね。



【設問21-08:お子さんは,禁止されたことを守れていますか?】


 ○価値の尺度!

 子どもたちの社会性を育む力が低下しています。例えば学力の低下などの子どもの未発達な問題を招く根源的な要因であることに気付いてもらいたいと願っています。また,教室での私語,図書館やバスの中での騒ぎなど,基本的なマナーと呼ばれるものが守られていないという嘆きで止まっていて,子育てに対する反省につながっていないようです。どんなことを意識して子どもに向かえばいいのでしょう?

 社会性を表すキーワードの一つは,公私の別です。あるいは,自他の別と言うこともできます。暮らしの中で出会う局面は,場所柄を弁えるということです。教室は学ぶ場所であり,そこでは静かに先生の話を聞かなければならないという制約が働いています。私語を持ち込むことは,場所柄にそぐわないのです。子どもに教えるべきことは,一つは何をする目的の場所かを理解すること,もう一つ大切なことは自分のことと受け止めることです。

 例えば,お店で万引きをする子どもがいます。お店とはお金を出して買う場所であると分かっています。理由にならない「欲しかったから」という自分の側の言い訳を持ち出します。買う人という自分の立場が守られていません。また,成人式で騒ぐ未成人がいます。式典という場所柄の意味が分かっていません。分からないから自分には関係ないと埒外にはみ出して,目立ちたいという自分の悪ふざけを持ち込んでいきます。自分も参列者の一員であるという意識が希薄なのです。

 ルールに反したことを咎められたとき,「皆もしているのに,どうして自分だけ」というすり替えを持ち出す卑怯な大人もいます。ルール違反をした自分を認めたくない心根も分かりますが,社会的な価値判断をする尺度が欠けていることになります。皆にとってよいことがルールになっており,皆が守るから,自分にもよいことになるというのが社会生活の尺度です。教室で私語を止めて静かに聞いていれば,学力の育ちが約束されているのです。

・・・皆にとってよいものが,自分にとってよいものになっていきます・・・


 ○こんなこと・あんなこと!

 今時の子どもにとって,ご馳走とは何でしょう? ガッツ石松さんは子ども時代バナナを食べるのが夢であったそうです。今ではバナナはありふれた果物で,食べたいという目標ではありません。テレビで○○産の高級食材を使ったご馳走が食べ比べられています。一方で,子どもたちの食生活が置き去りにされて,食育という言葉ができてしまいました。少ない食材をかき集めて食べていた頃は健康で,豊かな食材?を偏食する今は不健康とは,食の禁止を守っていないことですよ。

 幼児は走るとき,怖さを知らずに突っ込んでいくという走り方をします。見ているとハラハラします。幼児は転けたら危ないということが分かりません。こうしたらこうなるという推論は,自分の姿を離れたところから見るもう一人の自分が考えることですが,そのもう一人の自分はまだ生まれていません。危険だから禁止されているという意味が分からないので,守ることができません。親が目を離せない時期は,親が見守る必要がありますよ。

 オモチャを乱暴に扱ってはいけません。思い通りにならないオモチャに腹を立てて,放り投げることがあります。精密なオモチャは取り扱いも細やかにすることが前提です。子どもの扱い方に合わせたオモチャを与えるのが大切です。オモチャはモノが壊れるということを学ぶ教材でもあると考えて,どうして壊れたのかをきっちり反省させることが大事なしつけです。禁止を守れなかったら,その後の対応をしてやりましょう。

 子どもが成長してくると,禁止事項の内容が変わってきます。社会的な禁止,他人に対する禁止事項が追加されていきます。してはいけないことをしたときに,ちゃんと叱るというしつけを守ってください。最近はよそのおじさんは叱ってくれません。親が社会人として叱るという役目を担わなければなりません。蛇足ですが,叱るのはいけないことをしたときです。よいことをしないからと叱るのは,叱責の誤用になります。

・・・してはいけないことは,してしまい反省したときに身に付きます・・・


 ○これからますます寒くなっていきます。紅葉に雪が降り積もっている映像も届いてきます。寒い中では身が引き締まります。樹木はその引き締まった部分を濃く年輪として刻んでいきます。寒い中での我慢の痕跡が,樹木をしゃんと立たせる芯になっています。温もりだけではなく,寒い環境も大事な試練としてその後の在り方を決めます。その寒さを乗り切るためには,大地の支えが不可欠です。子どもにとっては,家庭が大地です。

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