*** 子育ち12章 ***
 

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「第 21-11 章」


『子育ては 子どもの力 出るを待ち』


 ■徒然子育て想■
『保護の拡大?』

 保護者という言葉がますます意識されなければならない状況が生まれてきました。幼い子どもたちが悪魔の手にかかるというとんでもない事件に,憤りを禁じ得ないのはもちろんですが,具体的な行動を起こさなければいけない切迫感があります。登校時は朝なので大人も通勤途上にあるということで比較的見守りがしやすいのですが,下校時は大人はまだ仕事中の時間であり,子どもの家の近くである地域は,もぬけの殻という状況になります。保護の手が及んでいない隙間になります。

 子どもに対する事件が表立つ度に,集団登下校,子ども110番の家,防犯パトロールなどの対応がなされてきました。非常事態への特別なシステムという認識があるために,普段の活動として定着するまでには至っていません。時が流れると,形だけのものになっていることが多いようです。親は保護者としてどのように行動すればいいのでしょうか? できることから始めるしかありませんが,今まで通りでは何も変わりません。

 家を出て家庭に帰ってくるまでは,子どもの保護は誰が請け負っているのでしょうか? 子ども一人一人に身辺警護がつくほどの余裕は,社会にはありません。ガードマン的な警護には金銭的な負担が伴いますので,現実的ではありません。行政の責任というものにも限度があります。結局子どもの保護は保護者が担うことになります。仕事をしているのでできない,そんな理由を不安に思っている子どもに対して親は言えないでしょう。

 地域の教育力,保護力を高めることが一つの方策です。親の保護力のネットワークで地域が覆われているということです。実際には地域の人に手伝ってもらうことであり,それは親と地域の人がしっかりとつながっていることで可能になります。「山口さんちのツトム君」という風に親子共に地域の人に馴染みがあると,親の保護力が地域の人を介して広がっていきます。「どこの子ども?」ということでは,地域の保護力は働かないのが普通です。



【設問21-11:お子さんは,積極性を発していると思いますか?】


 ○反省の豊穣!

 やってみなければ分からない! それが積極性を発する際の一言ではないでしょうか? 積極性に水を差すのは,先が見えないという不安です。人は経験によって先を見越す力を持っていきますが,それは常に中途半端なものです。用心のために,最悪のことを考えるようになります。できなかったらどうしよう? それが二の足を踏ませることになります。できなくて元々! できなかったらやり直せばいい! できるかできないかはっきりしなければ,先には進まないのですから!

 失敗を恐れると臆病になります。子どもを育てるときの親の我慢は,子どもにたくさん失敗をさせることです。子どものうちにあらゆる失敗をしておけば,大人になって失敗をしなくて済みます。失敗しなくなることが育ちなのです。もちろん,失敗は何度も重ねてします。そのたびに今度はどうしようと工夫を考えます。考える力は工夫をするために使うことで進歩していくものです。育ちの間はすべてが練習であると思うことです。

 親の務めは子どもの失敗の尻ぬぐいをすることです。それが嫌だと感じたとき,親の心を失うときです。尻ぬぐいなど格好悪いことは,親にしかできないことだからです。親が積極的に子どもに失敗をさせるとき,子どもは積極性を発することができます。余計なことをしないで! その言葉が積極性を封じ込めます。余計なことをすれば,子どもは身体の使い方,頭の使い方を練習することができます。子どもにとって危険なこと以外,余計なことはないのです。

 失敗しなくなる,そのためには反省というプロセスを踏むことが必要です。反省とは後悔することではありません。何が失敗の原因かを直視し,どのように改善できるかを考えることです。子どもが失敗したとき,咎めることはタブーです。咎められたら反省には進まずに,中止に向かうからです。常に今度はどうすればいいかを考える癖を付けてやってください。子どもは失敗することで考える力を培い,反省の後押しを得て,積極性を発するようになります。

・・・失敗と反省ができるとき,いろんなことに対し積極的になれます・・・


 ○こんなこと・あんなこと!

 子どもは常に壁に出会います。幼い頃はできないという壁を意識することはありません。ドアを開けられなくても,開かないものだと思ってしまいます。高いところにあるオモチャに手を伸ばしても届かなければ,それでお終いです。どうしてできないのかと考えるためには,自分を振り返るもう一人の自分が育っていることが必要だからです。自分と周りの状況との関係を認識する力が備わってはじめて,壁の存在に気付かせられます。

 思うようにできないとき,子どもが癇癪を起こします。挫折感を味わっています。挫折感とは自分に向かう感情です。しかし不快な感情ですから,追い出そうとあがいて,八つ当たりをするようになります。例えば,ものであればグチャグチャにしたり,放り投げたり,人であれば叩いたり蹴ったりという行動をします。しかし,やがてそんなことをしても壁はびくともしないことに気付き,もう一度自分の方に目を向けるときがやってきます。

 思い通りにならないストレスに直面しなければなりません。その気持ちの方向付けが積極性への扉になります。積極性とは外部に原因を探すのではなく,自分の方に工夫の余地を見つけようと発想の転換をすることです。人やモノのせいにしていると,人やモノはこちらの思い通りにはならないので,進展の可能性は見えてきません。できるようになるためには,自分の中に可能性を探すしかないのです。どうすればいいのかという思考を自分に向けることが,自分を動かそうとする積極性です。

 子どもにはいろんな遊びの体験が必要です。ママの目から見れば何の意味もない役に立たない他愛のない遊びであっても,そこにはたくさんの工夫が埋まっています。もっとも基本的なことは,手で道具を使うということです。あるいは,身の回りにあるモノがすべて道具になるという経験が大事です。高いところにあるモノを取ろうとするとき,何か棒のようなモノがあればという発想が生まれ,新聞紙を丸めて棒の代用品を作るという工夫に至ります。何とかなるという体験が積極性を育みます。

・・・何とかしようと経験の知恵を引き出すことが,積極性を生みます・・・


 ○苦しいときの神頼み。神様はなかなか助けてはくれません。いったん神に預けた上で,助けを待つ間,自分でできることはしてみようかなと思い立ちます。それができる人が前向きに生きている人です。すべて自分の力で,そんな風に気負い込んでいる人が必ずしも立派ではありません。できないことだってあります。できるところまでやってみる,その程度の覚悟でいるほうが,永続きします。自分を過信することも挫折から立ち直れない深みを招きます。助けてもらえばいい場合もあります。

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